摩耶観光ホテルの歴史(文;廃墟大好き氏) 摩耶観光ホテルは1930年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として兵庫県摩耶山中に設立された。 1932年からホテルとして営業を開始し、その概観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれて親しまれた。 建物はアール・ヌ−ボー調の鉄筋コンクリート5階建てで、山の斜面に沿って建てられている為、入り口は3階から、ということになり、ロビーも3階に配置されている。 当時の施設内容としては、20畳敷きの岩風呂、舞台付きの400人を収容出来る大ホール、下の階には中ホールがあり、大食堂、和・洋客室13室に加え、屋上にはビアガーデン、庭園の小動物公園、更にはローラースケート場があり、後のヘルスセンターの先駆けでもあった。 摩耶山を走るケーブルカーは戦時中「金属回収令」により、ケーブルの部品等を国事の為に差し出したり、というようなことがあったため、一時運行を休止。 その戦時中には空