昨年の12月初頭。ふと思い立ってTwitterに小倉百人一首を現代語訳したものをpostした。年末年始の個人的な企画としてよいかなと思い、自分の整理のために#akoyakuというタグをつけた。 これはまったく、個人的な趣味だ。かるた競技としては苦手だが、百人一首のもつ色や匂い立つ感覚は何度読んでも心地よい。その一方で、中学時代の副読本を何度も読みながら、メールをやりとりする現代と、文や歌をやりとりする平安時代は似ているのかなと思っていた。実際、「どんなタイミングでメールを書くか」が恋愛のセオリーになっているところは、後朝の文をいつどういう装飾で届けるかという平安時代とそう変わらない気もする。そう思っていたので、自分なりの「超訳」をなんとなく書き始めていたところだった。 何個かpostしたところで、東浩紀さん(@hazuma)が、この訳を「萌え」と評してRT(ReTweet:引用しつつ紹介)