誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺して……。 これは演歌、天城越えの歌詞の一節です。阿部定事件を思うとき、私はなぜかこの歌を思い出します。 背徳だと分かってはいても、恋い焦がれる心情にはどこか惹かれてしまうのが、人情かもしれません。もちろん事件そのものを擁護するわけではありません。 目に見えない思いというものを、人間の五感は否応なしに感じ取ってしまいます。それゆえに、阿部定事件はこれまで文学や演劇の世界で、特別な女性として扱われてきたのでしょう。 事件は昭和11年の5月に起こりました。阿部定は愛人、石田吉蔵の局部を切り取りました。 ハトロン紙に包んで身につけて逃走します。現場にはなんと「定吉二人キリ」という血書が残してありました。 局部を切り取るという異常な行為から、猟奇殺人として当時、大きな話題を呼びました。ただし現代の殺人のほうがむしろ、残酷で猟奇的だと私には感じます。 阿部定は取り