歴史[編集] 温泉神社 開湯の歴史は古く、奈良時代であるとされ、古くはこの地を「佐波古」と呼んだ。伝承によると、傷を負った一羽の丹頂鶴がこの地の泉に降り立ち、湯浴みをしている所、可哀相に思った若夫婦の旅人が傷口を丹念に洗い流したところ、そのツルは元気に飛び立ち、そして数日後ツルが化けた貴女が現れ、巻物を2人に授けた。そこにはこの御湯を開き、天寿を全うせよとあり、以来そこに「佐波古」の湯が開かれたとされる。 延長五年の『延喜式神名帳』には、この湯に鎮座する磐城郡温泉(ゆの)神社の名前が撰上されるようになり、それに因みいつしか「日本三古泉」という言葉を宣伝文句に用いるようになった(因みに『日本書紀』に記載された「日本三古湯」が採り上げられる場合は有馬温泉、道後温泉と並び、「牟婁の湯」すなわち白浜温泉が該当する)。また、平安の時代には既に「湯本」という地名が用いられており、磐城郡の湯本温泉として