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ブックマーク / locotabi.jp (6,450)

  • 『アルゼンチンと奥川駿平』後編:ラテンな嫁と僕の日々 - 海外ZINE

    前回までのあらすじ アルゼンチンに住む女の子、アントに恋をした僕。彼女に会いに行ったり、Skypeデートを楽しんだりと、幸せな日々を過ごす一方、遠距離恋愛の限界を感じる。そこで僕は、「せめて最後にハッピーエンドを」と思い、12月から2月までの3か月間、彼女を日へ招待した。 https://traveloco.jp/kaigaizine/okugawa-in-argentina 幸せに満ちた小さな世界へ浸り込む、男の子と女の子。 「光が身体を包む」という表現が出てくる曲があった。曲名は忘れたが、妙に心に残っている。今思い返してみると、その言葉通りの光景が脳裏に焼き付いているからだ。取り替えたばかりの電球の光が、裸でベッドにいる彼女を包み込む。アントが日へやってきたー。 12月、僕たちは羽田空港で4か月ぶりの再会を果たした。前回の終わりがキスならば、始まりはキスからである。 僕が一人暮らし

    『アルゼンチンと奥川駿平』後編:ラテンな嫁と僕の日々 - 海外ZINE
  • 日本の家電は斜陽化したのか? ソニーセンターの売却に見るドイツ市場 - 海外ZINE

    『ソニーセンター』はもうソニーのものではなかった 「ベルリンの観光って、何があるんですか?」と、よく日の人から聞かれます。 これがいろいろあるんですよ。私はカフェやショップが並ぶエリアを散歩したり、アートに触れるのが楽しいと思うのですが、超王道な観光スポットと言えば……。 『ベルリンの壁』とか、

    日本の家電は斜陽化したのか? ソニーセンターの売却に見るドイツ市場 - 海外ZINE
  • タイの日本ブームは本物か? 評判を落としはじめた「思考停止」の日本人 - 海外ZINE

    お互いに文化が浸透し合ったタイと日 僕は、1998年1月に初めてタイに来た。初海外で、タイ人はみな日人あるいは日に憧れがあるということがよく感じられた。街を走る車は日車が多く、家電も日のメーカーで揃えることが彼らの夢でもあったからだ。 あれからちょうど20年。今やタイは空前の日ブームに沸いている。2013年7月に、タイ航空の札幌路線就航によってタイで雪まつりが注目されたことを受け、日政府がタイ人旅行者向けの短期ビザの免除に乗り出した。そのときの勢いが今もなおつづいていており、それに牽引されて和ブームもタイ国内で発生している。地方の日人がいないような場所にも「日料理」を掲げた店が誕生しているほどだ。。 また、日人にとってもタイはかなり身近な国になった。20年前はタイ料理店の数も限られていたし、テレビでタイの映像を見ることはほとんどなかった。当時は「タイに行ってきた」と言

    タイの日本ブームは本物か? 評判を落としはじめた「思考停止」の日本人 - 海外ZINE
  • ケチャップの上位互換!? ニュージーランド人が常備する『トマトソース』 - 海外ZINE

    ニュージーランドのトマトソースはケチャップ「的なもの」 ニュージーランドで日常的に使われる「ソウルソース」といえば、「トマトソース」です。 「トマトソース? あのパスタに使うやつ?」と思われた方がいると思います。日では、トマト缶のようなものや、パスタにかけるソースみたいなものを想像することでしょう。しかし、あなたが想像しているその「トマトソース」と、私が話したい「トマトソース」は別のソース。 前者はニュージーランドで「パスタソース」と呼ばれ(なんとも当たり前の呼び方です)、一方で「トマトソース」はケチャップのような扱いなんです。 それは、ありとあらゆるものに使われます。例えば、ニュージーランドのソウルフードであるパイ(甘いものではなく、中身がステーキ&チーズ、ベーコン&卵、ひき肉など)、ピザ、目玉焼き、マッシュポテトにもかける。ご覧の通り、完全にケチャップ的使い方です。 「じゃあ、トマト

    ケチャップの上位互換!? ニュージーランド人が常備する『トマトソース』 - 海外ZINE
  • 音楽家、鷹匠、映像監督、そして茶の道。裏千家メキシコ協会会長べハールさんの人生観 - 海外ZINE

    「茶室」を訪ねてアフスコの山奥へ メキシコシティ北部に位置する我が家から、道のりにして45kmほど南へ行ったところにあるアフスコの山の中。 メキシコシティ名物の交通渋滞に嵌りながらオフィス街や住宅地を抜け、途中、のどかな羊の放牧地を横目に見つつ、車は山中へひた走ります。3時間弱かけてようやくたどり着いたそこに、かねてから訪ねてみたいと切望していた方の邸宅があります。 茅の輪のような丸い形の扉をくぐり抜ければ、そこは「異世界」への第一歩。その先にある同じメキシコシティにいるとは思えない静かな、そして凛とした空気の中、茶室「寸暇楽(すんからく)」が私を出迎えてくれました。 人間、当に感動するとため息しか出ないもの。このお茶室に迎えられた時、そう感じました。 材料を集めるのに8年。こだわり抜いて造った「メキシコ人の茶室」 「お茶室は単なる建物ではありません。この片隅や天井、いたるところに人の歴

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  • インスタ映えが韓国の過疎地を救う? アート街化と別れる明暗 - 海外ZINE

    世界的なInstagramの流行も相まって、意図的にそうしたスポットを作り出されてきた面がありますが、もともと原色を好む韓国人の色彩感覚が、Instagram全盛時代にマッチしたのではないでしょうか。 そんなインスタ映えスポットはカフェだけにとどまりません。Instagramが世に登場する前から、アートスポットとしての「壁画の町」がソウルにも地方にもあります。しかし、そのような場所の成り立ちを探ってみると、「韓国社会の闇」とされるところが明るみになってきます。 斜面に建つ貧民街「サントンネ」と「タルトンネ」 ソウルや釜山を訪れて街を見渡してみると、小さな山や丘が手の届きそうなところにあります。後者の方が、市内の約半分の面積が山である分より顕著です。そして、これらの斜面にも家々が建っており、人々が暮らしているのです。 このような場所は元々、「山の町(サントンネ(산동네))」と呼ばれていました

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  • 『アルゼンチンと奥川駿平』前編:ラテンな嫁と僕の日々 - 海外ZINE

    の裏側にいる女の子と遠距離恋愛 僕の嫁はアルゼンチン人。そう、僕は日の真下にある国で生きる女の子と結婚し、今は彼女の国で生活をしている。 数ある国際結婚のひとつ。しかし、その遠距離恋愛はもしかしたら「世界最長」と言えるのかもしれない。その出会いは今から遡ること4年半前、僕たちの物語は1通のオンラインメッセージからはじまった。 モラトリアムに飛び込むアルゼンチンからのメッセージ 2014年4月、大学4年生の僕は暇を持て余していた。企業からの内定をもらい、残った単位を消化するためだけに学校へ行く日々。まるで空でもぼんやり眺めるかのように講義を受けていると、利用していたランゲージ・エクスチェンジサイトから通知の知らせ。 「こんにちは」 送り主は、茶色の瞳と髪の毛が魅力的な女の子。丁寧に塗ったであろう青色の爪が白い肌とよく合っている。「綺麗な子だな」、授業も退屈だったので返信をした。名前はア

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  • ライターが自分で選ぶ海外ZINEのマイ・ベスト記事(コメント付) - 海外ZINE

    今回は「ライターズ・セレクション」です 三度に渡ってこんにちは、海外ZINE・編集長のネルソン水嶋です。 「いったい何回出てくるんだ」という声が聴こえてきます。答えは三回です。これが最後です。 https://traveloco.jp/kaigaizine/shocked-articles 先日「編集長が衝撃を受けた記事」ということでオススメを紹介させていただいたのですが~、今回は! 当初から執筆しているライターのみなさんに、マイ・ベスト記事を選んでもらいました。ライターズ・セレクションですね。この記事のURLもそうなっています。と、思っていたところ……! 「2言いたい」という方も多かったので、これはもうそのまま載せることにしました。みなさん、それぞれの記事にこのような思い入れがあると知って、私としても背筋が伸びる思いです。 それでは、どうぞ~! ライターが選ぶマイ・ベスト記事(コメント

    ライターが自分で選ぶ海外ZINEのマイ・ベスト記事(コメント付) - 海外ZINE
  • パオ族の正装はなぜ「頭にバスタオル」? 民族衣装の謎を追え - 海外ZINE

    初めにそのことに気づいたのは、パオ族の聖地カックーパゴダを訪れた時。ミャンマーでは正装でパゴダに参拝する人が多い満月の日だったのですが、そこでは黒っぽい民族衣装をまとい頭にバスタオルを巻いたパオ族の姿がやたらと目に付いたのです。 なお、彼らは、日常的に民族衣装を着る習慣を比較的よく守っている民族です。インレー湖湖畔の村が開催する朝市でも民族衣装のパオ族は目立ち、観光客の格好の被写体になっています。 市場で見かけるパオ族女性は格子柄のスカーフを頭に巻いていることが多く、一方で男性は何も巻いていない人が大多数。ところが、なぜなのか、満月のパゴダや祭りにいたっては男女とも、バスタオルを巻いている人の方が圧倒的に多いのです。 これは、パオ族の民族政党であるパオ民族機構(PNO)の党員が選挙演説する様子を伝える新聞記事、つまり相当にオフィシャルな場面なのですが、彼が頭に巻いているのもバスタオル。 謎

    パオ族の正装はなぜ「頭にバスタオル」? 民族衣装の謎を追え - 海外ZINE
  • 『オルシュティンでおにぎりを』第二回:ポーランド料理は日本食に似てる? - 海外ZINE

    これは元日語教師がポーランドで堂を開くお話です 読者のみなさま、 Cześć!(こんにちは!) 日語教師として世界各地を回っていた私、小林なつみは紆余曲折あり、この夏ポーランドのオルシュティン(日でいえば軽井沢!) で日堂『ちらり』をオープンしました。予定よりも一年遅れるなどなど、はじめる前から山積みだった問題は……今も相変わらず。日々、笑って、泣いて、笑って、大奮闘中です! 日語教師時代と堂オープンまでのいきさつをつづった、前回の記事はこちら。 https://traveloco.jp/kaigaizine/onigiri-in-olsztyn ちらり、ちらり、って変な名前のお店だな。ひょっとしてあやしいお店なんじゃないか。みなさま、そう思われているのではないでしょうか。そこで今回は、店舗の様子や周辺環境、また肝心のメニューについて、ちらりがどんなお店なのかその全体像をご

    『オルシュティンでおにぎりを』第二回:ポーランド料理は日本食に似てる? - 海外ZINE
  • 海外ZINEも今日で一周年なので、はじめた経緯やこだわりなどを書いてみます。 - 海外ZINE

    海外ZINEは今日で一歳になりました おめでとうございます!! と、自ら言ってみました。実は今日、海外ZINEは1歳を迎えます。一周年。読者のみなさん、こんにちは。読者じゃないよと言ってもこれを開いている今は読者だよ。編集長のネルソン水嶋です。 ふだんはほとんど裏側でぺろぺろ編集ばかりしている私ですが(いい擬音が思い浮かばない)、節目ということで今回くらいは編集長としてこの一年を振り返ってみようかと思いまして、今これを書いてます。編集長、と言ってもひとり編集部ですけどね。どうぞよろしくお願いいたします。もしかしたら若干自分語りも入るかもしれませんが、私という人間の仕様なので許してください。 これまでに28人で23カ国の記事を119公開しました なにかのジェネレーターの結果みたいな見出しになりましたが、海外ZINEはスタートしてから一年! この雄大なインターネットの海ではペーペーもいいとこ

    海外ZINEも今日で一周年なので、はじめた経緯やこだわりなどを書いてみます。 - 海外ZINE
  • 『アラブ世界と福嶋タケシ』後編:砂と太陽の異世界にあこがれて - 海外ZINE

    憧れの暮らしはアラビア語の猛特訓から 30歳を目前にして、UAE大学への留学が決まり、長年憧れつづけてたアラブ世界へいよいよ飛び込むことになった私。ここでまずはじめに、UAE大学についてお話したいと思います。 https://traveloco.jp/kaigaizine/fukushima-takeshi-in-katar UAE(アラブ首長国連邦)を構成する7つの首長国。そのうちの1つであるアブダビ首長国と隣国オマーンとの国境沿い、アルアインと呼ばれる町にその大学はあります。 アルアインとはアラビア語で「泉」の意味で、その名の通りかつて砂漠の中のオアシスだったこの町は、ドバイやアブダビのような賑やかさとは縁遠い小さな田舎町。特に学生寮の周りには何もなく、学業に専念するにはむしろちょうどよい環境でした。 UAE大学は自国民のための教育機関であり、国内唯一の国立総合大学です。学生の90%が

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  • 『ドイツ・ベルリンと久保田由希』:あぁ私、毎日ベルリンで生きてる - 海外ZINE

    こんにちは。いつも海外ZINEを読んでくださって、ありがとうございます。ドイツについてあれこれ書いている、ベルリン在住ライターの久保田由希です。 えー、今日は私自身について書きたいと思います。どうして私がベルリンに来たか、それから今までどうやって暮らしているか、などですね。こんな機会もそうそうないと思うので、今回はこの記事をいま読んでくださっているあなたと直接お話しするつもりで、私がふだん友人と話しているような口調で書きますね。ま、お茶でも飲みながら聞いてください。 ドイツ語ゼロで現地校へ。小学生で受けたカルチャーショック なんで私がベルリンに来たかといえば、話は子どもの頃まで遡るんだけど、小学6年生のときに、1年間だけ西ドイツに住んでたの。父親の仕事の関係でね。 そのときまだドイツって、西と東の2つの国に分かれてて、私がいたのは西ドイツのほう。その町には日人学校がなかったら現地校に通っ

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  • 中国最大! 上海の新旧日本人街「虹橋・古北」「虹口」を歩く - 海外ZINE

    上海は海外で「5番目」に日人が多い都市 上海は、日系企業の数は海外で第1位、在留邦人の数は海外第5位と、世界でも在住日人が多い都市のひとつです。中国在住日人の半数近くとなる約6万人が上海都市圏に集まっているため、日人コミュニティも発達しています(※平成30年発表海外在留邦人数調査統計より)。 中でも、上海市の西「虹橋・古北(ホンチャオ・グーベイ)エリア」は市内における日人街と言ってもいいでしょう。 日領事館がこのエリアにあり、上海虹橋空港という空の玄関も近いため、日系企業やそこで働く日人も多く、日レストランや、日人向けの個人経営の堂、スーパー、カフェ、カラオケ(後述します)などの環境が充実しているのです。 ここに在上海日国領事館が虹橋地区に移転してたのは1998年6月。そのころから徐々に日人駐在員が集まり始め、業務量の増加から2004年には敷地内に新館を増設するほ

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  • 消えゆくブラジルの日本人街・リベルダージ、移民110年の足跡 - 海外ZINE

    世界最大の日系社会を有する国・ブラジル 一世紀以上の日移民の歴史を刻む日人街・リベルダーデ 日から地理的に最も離れていながら、世界最大の日系社会を有するブラジル。 1908年から戦前に約15万人、戦後に約5万人が移民し、現在、ブラジルの日系人人口はちょうど国全体の1%にあたる約200万人ともいわれる。過去20~30年の間には、仕事で日に渡り定住する日系、非日系ブラジル人も増えているのは日でも周知の通りである。 日系人が最も集中するのがサンパウロ州であり、州都・サンパウロ市。とりわけ、現在は中国人も増加して東洋人街とは言われるものの、20年以上前まではれっきとした日人街と認知され、今なおブラジル人からその印象が刻印されているのが、リベルダーデ地区だ。

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  • 破壊か再生か、今見直される韓国の戦前日本建築群。 - 海外ZINE

    ソウルの現役日人街は「二村」だがインパクト薄め ソウルには数多くの駐在員らが暮らす二村(イチョン、이촌)という街があります。このあたりには日風の居酒屋や飲店がちらほらあったりします。現在の「日人街」というテーマであれば、来はこちらを紹介すべきでしょう。 しかし韓国では、日式の居酒屋が増え、日系チェーン店も続々と進出している昨今、「日人街」が特別な存在とは思えません。さらに日統治時代(1910~1945年)を経ているため、その当時、またはそれ以前に建てられた近代建築や、日家屋のインパクトが圧倒的に強いのです。 朝鮮の開港と仁川に築かれた日街 日と朝鮮の歴史が大きく動いたのは1875年のこと。西欧列強が勢力を強めていたころ、それを打ち払おうと攘夷政策を行っていた朝鮮(1392~1910)でしたが、日は黄海に軍艦を送りこみ、江華島に近づきます。朝鮮側は日と知らずに砲撃し

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  • アメリカ最大の日本人街・LAのリトルトーキョー、「郷愁」と「流行」の顔を持つ街。 - 海外ZINE

    「伝統」と「流行」の二面性を持つLAの日人街 アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスのダウンタウンは、ここ数年で都市開発が進み、おしゃれな商業施設やカフェ、セレクトショップなどが続々と登場して盛り上がりをみせています。その一角にある日人街・リトルトーキョーもまた、最近では若者や家族連れなどでにぎわう人気スポット。同時に、現地の日人にとっては、お祭りや大晦日など日ならではの文化的な行事の際に訪れて、故郷を感じられる場所でもあるのです。 今回は、歴史と伝統、そしてトレンドが混ざり合った、独自の魅力を持つリトルトーキョーをご紹介します。 街並みは「明治時代」のまま!? ロサンゼルスのリトルトーキョーの始まりは、さかのぼること130年以上も前。1886年にチャールズ・カメこと茂田浜之助が、日レストランをオープンしたことをきっかけに、その周辺に日人移民が集まるようになりました。それから

    アメリカ最大の日本人街・LAのリトルトーキョー、「郷愁」と「流行」の顔を持つ街。 - 海外ZINE
  • バンコクの日本人街はバンコクか? 巨大日系社会その光と闇 - 海外ZINE

    タイの日人街は「どこに」あるのか 近年は日人の海外移住も増えていて、日人街、あるいはリトルトーキョーと呼ばれる場所が増えてきている。ここタイにおいてはどこだろう。実はタイ、特にバンコクにおいては「日人街」をここだと言うには難しい事情がある。決定的な場所がないからだ。 タイの日人街をなにも深く考えずに答えるなら、日系企業の駐在員とその家族が多く暮らす、バンコクのトンロー通りだ。ここのソイ13という小路には「日村」が存在する。ダイレクトに日を押し出した場所としてはタイ初なのではないか。ボク自身が初めて行ったのが2002年ごろだったと記憶しているので、その少し前にできた飲店街である。

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  • ボリビアの街・サンフアンで継がれる「日本」、その過酷な背景と功績。 - 海外ZINE

    ボリビアには「サンフアン」と「オキナワ」という日人街がある ボリビア、と聞いて思い浮かべるイメージはなんですか? 私にとってのそれは正直、ウユニ塩湖くらいのものでした。それも旅好きには定番ですが、そうでないとなかなか思い浮かばない人もいるのではないでしょうか。しかし、実はこの国に2箇所、戦後に日人が移り住み形成された街が存在するのです。 サンフアン地区と、そこから東へ120km強走った先にあるオキナワ地区。前者には1700人、後者には1977年まで入植がつづき、最盛期の日人(日系人)人口は3000人を超えたという。 今日では、経済状況を好転させる施策として「移民」という言葉が話題に上がる機会が増えています。この10年ほどの外国人人口の急増を見ているとすでにはじまっていると言ってもよいかもしれません。しかし、これは受け入れ側の話。実は日もまた、明治から昭和にかけて、南米を中心に多く

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  • "日本人はデュッセルドルフの一部です"…日独の蜜月関係が生んだ街 - 海外ZINE

    欧州最大級の日人街があるデュッセルドルフってどんなとこ? デュッセルドルフはドイツ西部、ライン川沿いに位置する街です。ドルフとはドイツ語で「村」という意味ですが、実際のデュッセルドルフは人口約60万人のわりと大きな都市。 日から観光のためにやってくる人は少ないと思われますが、ドイツ在住、いや欧州在住日人の間では、欧州最大級の日人街がある「デュッセル」(日人は略してそう呼ぶ)としてその名を轟かせています。

    "日本人はデュッセルドルフの一部です"…日独の蜜月関係が生んだ街 - 海外ZINE