戦後日本の機雷掃海は終戦間もない昭和20年(1945年)9月から始まった。米軍が日本の糧道を絶つため投下したり、旧日本軍が防衛のため設置したりした計6万個以上の機雷を処理するためだ。昭和25年(1950年)の朝鮮戦争では占領軍命令で日本特別掃海部隊が朝鮮・元山に出動する「戦後秘話」もあった。 映画『喜びも悲しみも幾歳月』では日本海側の漂流してくる機雷を処理する場面が出てくる。犠牲者は79人にのぼっている。戦後の第一歩だったとも言える日本の機雷掃海について、ペルシャ湾掃海派遣時現地連絡官(外務省出向)、掃海隊群司令などを歴任した元海上自衛隊海将補の河村雅美さんにインタビューした。 ――なぜ、海上自衛隊の掃海能力が世界的に評価されているのでしょう西側諸国では海上自衛隊の掃海艦艇の数が一番多い(筆者作成)「日本はずっとやってきたから、経験が豊富だからです。終戦の年の9月からやっています。占領軍一