韓国を約20年前に襲った通貨危機は、「IMF(国際通貨基金)危機」とも呼ばれる。支援と引き換えに、金融だけでなく雇用の現場にも市場原理の導入を強く求めたIMFの処方箋(せん)は、非正規社員の増加につながった。現政権が「国難」と位置づけるほど広がる格差。危機は、そのきっかけをつくった。 「IMFは救世主ではなく、死に神だった」 韓国の地方銀行、京畿銀行の融資課長だった鄭奉勲(チョンボンフン)さん(55)は20年前、長年の顧客だった中小企業の経営者に「貸し渋り」を続けた経験が忘れられない。 1997年7月のタイ・バーツ暴落をきっかけに始まったアジア通貨危機は、約4カ月後に通貨ウォン急落と外貨不足という形で韓国を直撃した。支援を要請した韓国政府に対してIMFは、緊縮財政や金利の引き上げ、民間負債の縮小といった構造調整を求めた。危機感を強めた市民が貴金属を放出しあう運動まで広がった。 銀行の貸出金