予告どおり、先日の件から日本のネットにおける「公共性」と「世間」について考えてみたいと思う。というか先にかかれちゃった感はあるんだけど、 声を上げ続けること、声を言葉に換えること - 地を這う難破船 まぁ、これも言いたいことの部分に過ぎないのでいいかなぁ、と。(ぼくの説明が分かりにくい人はリンク先の人のところに飛んで確認してくれるといいです。今回は面倒なのですっ飛ばして抽象度高めて記そうと思うので) 今回の件で個人的に思ったのは「世間」知と「公共性」的な正しさが相容れない情況があるのかなぁ、ということ。世間知というかこの世間も2つに分かれるように思うわけだけど。とりあえず「公共性」、<世間>、「世間」としておく。公共性は市民社会的な属性とリンク。 リンク先の文章でとりあえげられていた世間は<世間>とする。つまり<世間>に対する一般的なイメージとしての「空気嫁」的な同調圧力的な世間。んでリン
id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。本題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる
otsuneさんという方から先日のエントリにコメントをいただきました。(otsuneさん、はじめまして。コメントありがとうございます。)長くなりそうなので、エントリにさせていただきました。コメントをきっかけに、いろいろ考えたので、そのコメントに答えるかたちで書いていきたいと思います。まずはコメントを再録します。 「自分のサイトをcocologからハイパーリンクされないようにする機能があるといいですね」というのもアリなのでしょうか? もしくは「自分の本をレビューされないようする機能があるといい」とか。ソーシャルブックマークという他人の領域に書ける事を外部から制限するという発想は独特ですね。(もちろん名誉毀損・脅迫などは法的に駄目なので論外です) まずハイパーリンク制限に関しては、それがウェブの本質である限り無理でしょうね。こういう答え方すると、私がリンク制限をしたいみたいに思われる可能性もあ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く