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美術史と社会史・文化史に関するushiwatatのブックマーク (2)

  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)

    →紀伊國屋書店で購入 美術館が攻撃的で暴力的だなんて感じたこと、ある? 現在、大新聞の文化欄の過半がミュージアム(美術館/博物館)の催事案内で埋まっている。落ち目と言われる人文方面でも、いわゆるミュゼオロジー、展示の方法論・社会学だけは、美術史を巻き込む形で、ひとり元気に見える。我々の文化がほとんど無自覚・無批判に「美術館」と「博物館」に分けて対峙させてしまった西欧的「ミュージアム」とは何か、コンパクトに通観した傑作を、日人が書いた。ミュージアムの歴史の中では典型的な非西欧後進国である日だからこそ、「コレクションの制度化」をうむ「西欧イデオロギー」をきちんと相対化できた、画期的な一冊である。 そういうである以上、キーワードが「帝国」であることはすぐ想像できるが、何となくというのではなく、「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であるという指摘と、我々がイメージする

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ�:�『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/20
    松宮秀治『ミュージアムの思想』。高山宏脱帽の一冊とのこと。
  • タイトルの企み - ohnosakiko’s blog

    美術作品によく「無題」とタイトルがついているのはなぜか。 表現とタイトルの狭間-「無題」とは何であるのか -煩悩是道場を読んで思ったことをつらつらと(引用箇所は、すべて同記事から)。 「無題」は芸術の中二病から始まった? 絵画・彫刻に限らず「無題」である理由は概ね以下の通りだ。 1.作家が意図的に表現に題を付けなかった 2.作家は作品を番号で呼称し、題と呼べるものは付けていない 3.作家が「無題」という題を付けた 4.作家は何らかの題を付けたが、題が何であるのかがわからない 5.作家が作品を完成させる前に何らかの理由で制作を中止するなどしたので題が存在しない 美術作品の展示の場合、1 では作家自らが「無題」とつけている場合と区別するために、「(無題)」、あるいは「(タイトルなし)」としているのを見たことがある。美術館で一律にそうかどうかは知らない。 普通は、まず人か、人が故人の場合は、

    タイトルの企み - ohnosakiko’s blog
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/10
    「(無題)」なる美術作品群のありよう、つまり作品に名づける自由の誕生、その自由さと微妙な関係を持つ(ダダを筆頭とする)「現代美術」のありようについて。
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