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貧困と新自由主義に関するushiwatatのブックマーク (2)

  • 貧困問題の最終解決 - Munchener Brucke

    朝生のネタに戻る。もやいの湯浅誠氏が「我々はいつまで我慢すればいいのか」と言った一言が非常に印象的であった。自民党の世耕議員は「スキルがなければダメだ」と言い放った。それは間違いではないが、政治家としては無責任である。 世耕議員はサッチャー主義を信奉しているようだが、確かにサッチャー政権は弱者に厳しい上にスキルのない国民を自己責任として放置した。それでは却って国益にならないとスキルを得るチャンスに恵まれなかった国民に職業訓練のチャンスを与えようとしたのがブレア政権であった。 世の中には誰でもできる仕事が沢山あり、とにかく誰でもいいから低賃金で雇いたいと言う産業界のニーズがある。そのニーズに呼応するためにはスキルを得る機会を持たなかった人間を犠牲者としてその需要に当てはめるのは実に好都合だ。しかし、一見人件費を抑えられるために企業収益に貢献するようにも見えるが、これではいつまでたっても国が豊

    貧困問題の最終解決 - Munchener Brucke
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/05/25
    |教育には金を惜しんではいけない| |日本が豊かになるためには、中卒や高校中退は少なければ少ないほどいい。貧乏で高校に行けないという状況は根絶せねばならない。|
  • なぜ街の浮浪者は見えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「貧しい者」はどこにいるのか マザーテレサが来日したとき街の浮浪者に手を差し伸べたという。これは一つのショックである。僕たちはテレビで、マザーテレサは世界中の貧困の地域にでむき、貧しい人びとに手を差し伸べている場面をよく見ている。そして世界にはこんなひどい地域があるんだ。そこに出向き、支援活動をするマザーテレサは聖人だと考える。 だからマザーテレサが日で街の浮浪者に、貧しい国と同じように手をさしのべるとき、「いやいや、違うんだよ、テレサ。同じように見えるし、あなたの立場ではそうするしかないのかな。でも日の浮浪者はそんなのとは違うんだよ。」と苦笑する。 しかしそれとともに、なにが違うのだろうという問いが浮上する。僕たちは、テレビで世界の貧しいひとたちを見て、なんてひどい世界があるんだろう、なか支援しないいけないという思いに駆られる。しかしその思いは、日の街の浮浪者へは向かない。彼らは僕

    なぜ街の浮浪者は見えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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