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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (8)

  • なぜボクたちは「ノンポリ」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ぼくがどうしてこう「ノンポリ」なように見えるのか」 いろいろあって、自分の政治的立場について考えてみた。・・・おそらく、ぼくが採りたいのは、イデオロギーなき革新というか、物語なき進歩主義の立場なのだ。つまり、世の中は変わっていると考え、その変化を基的に肯定するが、しかし特定の物語は信じず、「諸物語の均衡」にこそ支点を見出すという立場だ。 しかし、そんな立場は可能なのか。どうも難しい。そこで考えられたのが、ニヒルな唯物論というか、技術決定主義というか、つまり、革新や進歩は下部構造によって勝手に強いられているのだから、もうあと人間はやることないんじゃないか、みたいな話なんだろう。どうも、ここ数年、ぼくがリバタリアニズムがどうとか、ポストモダンの二層構造がどうとか言っていたことの根源は、そういうことにあるような気がする。 政治来の目的が共通資源のよりよい管理にあるのであれば、その過程が必

    なぜボクたちは「ノンポリ」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ亀田家バッシングは薄気味悪いのか 炎上化する社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    新たな「世論」の力への気づき 亀田バッシングを見ていて感じる薄気味悪さはなんだろう。処罰をこえて、人格攻撃にいたる人々のヒステリックさ。その人格はいままで魅力であったところそのものである。最近、バッシングが途絶えることがない。安部首相と大臣、朝青龍、沢尻エリカ・・・ ボクもなにか不条理なことを知ると、ネットで騒ぎにして、マスコミで取り上げられることを期待してしまう。そこには「世論」が世を正してくれるという期待がある。世論は最近起こったことではないが、新たに人々が「世論」の力に気がついたのが、イラク人質バッシングや小泉支持あたりではなかっただろうか。あの辺りから人々の中で騒ぐことが力となるという漠然とした意識が芽生えたように思う。 この「世論」の新しさは、ネットのインタラクティブ性という技術に関係しているように思う。人々の反応を迅速に表示するという応答性の速さは、人々の興味を短期で一点に集中

    なぜ亀田家バッシングは薄気味悪いのか 炎上化する社会 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/11/07
    メディアと2chの「共犯関係」が|終わりのない動物化の円環が加速化されるという絶望的な閉塞|を生む。 |「さて、次の獲物は誰かな。」とマスメディアと2ちゃんねるは「炎上」先を求め、這い回っている。|
  • なぜ街の浮浪者は見えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「貧しい者」はどこにいるのか マザーテレサが来日したとき街の浮浪者に手を差し伸べたという。これは一つのショックである。僕たちはテレビで、マザーテレサは世界中の貧困の地域にでむき、貧しい人びとに手を差し伸べている場面をよく見ている。そして世界にはこんなひどい地域があるんだ。そこに出向き、支援活動をするマザーテレサは聖人だと考える。 だからマザーテレサが日で街の浮浪者に、貧しい国と同じように手をさしのべるとき、「いやいや、違うんだよ、テレサ。同じように見えるし、あなたの立場ではそうするしかないのかな。でも日の浮浪者はそんなのとは違うんだよ。」と苦笑する。 しかしそれとともに、なにが違うのだろうという問いが浮上する。僕たちは、テレビで世界の貧しいひとたちを見て、なんてひどい世界があるんだろう、なか支援しないいけないという思いに駆られる。しかしその思いは、日の街の浮浪者へは向かない。彼らは僕

    なぜ街の浮浪者は見えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1 純粋贈与と、贈与と、交換 2 貨幣への負債感 3 科学技術−国家(法)−貨幣 4 貨幣交換世界の正当性 5 神々の闘争 1 純粋贈与と、贈与と、交換 幸運と神 たとえば宝くじで10億円当たってしまうと、どのような気持ちになるのだろうか。それは飛び上がるほどのうれしさであるとともに、不安になるのではないだろうか。無償で大金を贈与されることの罪悪感がともなうだろう。 このために宗教への帰属とは関係なく、漠然と神に感謝するだろう。それはこの罪悪感(負債感)を解消するために必要な返礼する他者を想定する。神へ感謝することで返礼する。あるいは慈善団体へ一部寄付することもあるだろう。また知り合いに祝儀を振る舞うだろう。 これはつゆ払いであるとともに、負債感の解消行為である。このような散財による贈与は、神=超越的な他者への返礼であり、負債感の解消である。これは迷信のようなものであるだけでなく、経済的な

    なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽

    コロナ対応のさまざま 世界的にはほぼ西洋人タイプか中国人タイプになる。なんで唯一日人だけが変わってるのか。 <西洋タイプ> 憲法の非常事態に基づいた行動制限法、違反したら逮捕。要請したって守るわけない。法律を制限しても暴動起こして反発する <中国タイプ> 要請なんて絶対無視。法律でも守るか怪しい。だから共産主義権力で、厳しく逮捕、拘束、罰金、資格剥奪。法律に則っているかも怪しい圧力。 <韓国> 一番日に近くで世間圧が働く。でもあそこも国家権力が強くて法律はしっかり作って守らないものは行動をネットで公開されるとか見せしめやってたね <日> なんか緩いコロナ関連の法律作ったけど使ってないだろう。国家圧力も別にない。なのに世界で一番コロナ対策を行われた。同調圧力と言われる。同調圧力だけで国を左右する国 社会系倫理と世間系倫理 日には、社会系倫理と世間系倫理があると言うこと。社会系はようす

    まなざしの快楽
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    |社会の「アーキテクチャー化」| 社会設計・道徳・慣習がその社会の人に強く意識されるようになること。「不安」とセットで「変化の時代」と言い回されてきたこと?McDの貨幣は星の銀貨的状況かも。
  • なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「なぜウェブは資主義を超えるのか」 池田信夫氏のインタビュー「なぜウェブは資主義を超えるのか」http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070802/278983/は面白い。*1ここで重要なことは「ムーアの法則」でしょう。インターネットが成功しているのは、資源が無限にあることで、「ユートピア」が実現されている。 さらには、情報が溢れるように提供された時,相対的に希少になるのは、情報が消費するもの,すなわち「人間の関心」である。そして関心を取り合うことで、ネット上の経済は活発化している。「Googleの検索広告はその典型です。世の中に何十億もページがある中で,自分のページを見てもらうために1クリックいくらで費用を払う。(池田)」ということです。 「書き込みは必ず宛先に届く」 たとえば、ネット上にテクストを書くことによって他者に見られる

    なぜウェブは資本主義を超えないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「なぜCanCam的「めちゃモテ」のひとり勝ちなのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「エビちゃん」という新しい「正しさ」の圧力 通勤電車付近というのは、殺伐としてむさ苦しいものである。そんな中で、いまならばエビちゃん風など流行りのファッションをしている女性を見つけると、なにかドキッとするものだ。単にかわいい女性というよりも、流行りのファッションを身にまとっていると、それだけで引かれるモノがあることを感じる。 これは、そのファッションのもつ魅力であるとともに、そこに新しい「コミュニティ」を見るからではないだろうか。そのファッションを指示する多くの若い女性たちという「コミュニティ」であり、そこに新しい「正しさ」がある。その「正しさ」は漠然としたボリュームを暗示する「コミュニティ」という圧力として働くある種の虚像であり、だから早すぎても、遅すぎるてもダメなのである。 「なぜCanCamの「ひとり勝ち」なのか」 と、考えていると、CanCamの「ひとり勝ち」状態について、女子大生

    「なぜCanCam的「めちゃモテ」のひとり勝ちなのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/06/28
    cf. ファックコミュニケーションvs.褒め褒めコミュニケーション
  • まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか

    「感情労働」時代の過酷 以下の「「感情労働」時代の過酷」の記事は現代の傾向を象徴しているのではないだろうか。 「感情労働」時代の過酷 (AERA:2007年06月04日号)  http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html 看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。・・・平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。・・・そしてここにきて、この「感情労働」があらゆる職種に広がり始めている。 ・・・「ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えま

    まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/06/12
    |社会の「アーキテクチャー化」| 社会設計・道徳・慣習がその社会の人に強く意識されるようになること。「不安」とセットで「変化の時代」と言い回されてきたこと?McDの貨幣は星の銀貨的状況かも。
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