東大教授の恫喝——優生学史研究を始めたころ 2017年10月4日 | 優生学史, 社会ダーウィニズム, 自跋 | 今は、優生学史の研究をすると言っても誰も怪しまない。ましてや、それを危険視することなど絶対にない。だが1970年代末は、事態はまったく違っていた。 数年前、ある大学の学位請求論文に、優生学史研究が提出され、審査員を依頼された。内容的にはじゅうぶんで何の問題もなかった。だが、この分野からしばらく遠ざかっていた私には、清々と優生学史が論じられ、議論が進んでいく雰囲気に、違和感を隠せなかった。私がドイツ優生学史を始めた当時、このような研究はナチス復活につながる危険な兆候と糾弾され、それに必死に抵抗した。そのことが、鮮やかによみがえってきたのである。 優生学史を研究課題に 話は40年前にさかのぼる。 1976年に私は、三菱化成生命科学研究所・社会生命科学研究室に採用され、科学史の担当と