落語の舞台を歩く ■デジカメを持って落語の世界を歩いて行きます■ 江戸落語、当時の状況は現代ではどのように変貌しているのか? その面影が残っているのか、はたまた、全くの別の世界になっているのか、 資料をひもといて、実地検証していきます。
この日、NHKの「日本の話芸」でやった歌丸の「厩火事」は、かつて見たことのない名演だった。この数年の歌丸の藝が進境著しいことは気づいていたが、これはすごかった。サゲの直前で女が涙を拭くところで、私はまったく意識せず、もらい泣きしていた。「厩火事」というのは、そんなに好きな話ではない。愛情確認をする女というのは、男にとって鬱陶しいものだからだ。小三治が演ってさえ、今回の歌丸ほどの完成度はなかった。藝術協会会長の名に恥じない名人に、歌丸はなりつつある。 ところで、米朝師匠は気の毒である。かつて師匠は、関係者がみな55歳で死んだため、自分も55で死ぬのではないかと恐れていたというが、むろん、今年80の長命を保っている。だがその一番弟子の枝雀の自殺に続いて、まな弟子の吉朝が50歳で死んだ。 18年前、尾上辰之助が40歳で死んだ時も、まだ存命だった尾上松緑が気の毒だったが、いま、その息子は四代目松緑
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