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道徳に関するwerdyのブックマーク (4)

  • 吉田甲子太郎『星野君の二塁打』(1947)について - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎吉田甲子太郎『星野君の二塁打』(1947)について 青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)を紹介している途中だが、クライストの戯曲『公子フリードリッヒ・フォン・ホンブルグ』の内容を追っていくうちに、最近、やや話題になっている「星野君の二塁打」という道徳教材のことが思い浮かんだ。 野球選手の星野君が、大会への出場がかかった大切な試合で、バッターボックスに立った。監督から「送りバンド」のサインが出る。しかし星野君は、サインを無視して強打、これが二塁打となって、勝利に結びついた。この結果、チームは大会への出場権を得たが、監督は、星野君がサインを無視したことのほうを重く見た。そして監督は、星野君に対し、大会に出場させないという処分を申し渡した。――おおむね、こ

    吉田甲子太郎『星野君の二塁打』(1947)について - 礫川全次のコラムと名言
    werdy
    werdy 2020/03/05
  • 先生たちを悩ませる「教科化された道徳」公平な教え方はこれしかない そもそも学力とは何なのか - ライブドアニュース

    werdy
    werdy 2018/05/24
  • 善悪の判断がつかない子供たち。結論を出さぬ「道徳」授業の弊害 - まぐまぐニュース!

    「どうして現代の子どもたちは、こうも善悪がわからないのだろう」──。こんな疑問を記しているのは、いじめ問題を取り扱うスクールソーシャルワーカーの村崎京子さん。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では村崎さんが、「その背景には道徳の授業が深く関係している」として、実際に村崎さんが目にした授業風景を紹介しながら、今現在取られている教育方針の問題点を指摘しています。 「子どもたちに道徳を教えるということ」-モラルジレンマを超えて- いじめ事案を扱っていると、「現代の子どもたちは、どうしてこうも善悪がわからないのだろう」、と感じることがあります。いじめの加害者と被害者の境界線がはっきりしないだけではなく、「何か考え方の訓練ができていないのではないか」とスクールソーシャルワーカーの私としても困惑することが多々あります。 この子どもたちの善悪に対する意識低下の背景には、小中学校の

    善悪の判断がつかない子供たち。結論を出さぬ「道徳」授業の弊害 - まぐまぐニュース!
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

    werdy
    werdy 2011/07/07
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