文世光事件(ムン・セグァンじけん、문세광 사건)は、1974年8月15日に大韓民国(韓国)大統領・朴正煕ファーストレディの陸英修夫人が在日韓国人の文世光に射殺された事件のこと。同時に、式典に合唱団の一員として参加していた女子高生の張峰華(当時17歳)も、朴大統領に迫る犯人に向けて応戦した大統領警護室のセキュリティポリスが撃った流れ弾に当たり死亡した。 この日は、韓国での日本からの独立記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。 事件[編集] 「土台人」となって赤化統一を目指した文世光は1973年10月ごろ、朴正熙大統領の暗殺計画を思い立った。同年5月、大阪湾に停泊中の北朝鮮の万景峰号の船中で、朝鮮労働党対外連絡部の工作指導員から朴大統領射殺の指令を受けた[1]。 1973年11月に香港を旅行した際に暗殺実行のための拳銃の入手