斜に構えたフリで目を逸らしつづけていた、「生き方」について*1。 知ってしまった僕らは、 もう心を神へ捧げることはできない。輪廻転生を信じる夢見る少年にはもどれないし、冷静に考えていまさら宗教にハマろうと思ってもハマれないんです。そうしたときにできることは?考えることをやめるか、自分で神に変わるものを作り上げるしかないのです。 未成年の頃は「生きる意味とは何か?」「死とは何か?」という答えを見つけようと、思春期青年期らしく悶々としながら何もせずに日々過ごしていました。いつからか、執着しないことがカッコイイとか、ロストジェネレーションとかそういう傷の舐めあい的な風潮にのっかって斜に構えてるフリをして、答えを出すこと、そして、ぼんやりした不安と向き合うことを避けてきました。三十路もだんだん近づいてきて、書籍にふれたり人と接する中で、「生きること」をもう一回自分の中で整理したい。 今を生きるって