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Wikipediaと世界史に関するwerdyのブックマーク (3)

  • ルイ17世は虐待されたのか、何が正しいかわからなければ沈黙するしかないじゃない - ネットロアをめぐる冒険

    何だか夜がぐっすりで、資料も集まった・結論も出てる、なのに、なかなか書くことができませんでした。ご無沙汰です。ルイ17世の悲惨な境遇について、ずいぶん前に話題になっておりました。 俺は歴史やミリタリ系の質問には割と答えるんだけれど「革命後のルイ17世がどう扱われたか」に関しては決して口にしない。あまりにおぞましくて言葉に出来ない この出来事は人間という生物の極悪を集約している pic.twitter.com/ZZzoT5tkfD — HAL@古き悪しき時代大好き侍 (@HAL9152) 2018年3月17日 ところが、上記のツイートがWikipediaの参照という事で、その信憑性に疑義がつきました。 togetter.com なるほど、キャッチーな話を信用しないことは大事だとは思いますが、上記のtogetterのまとめはちょっと乱暴で、もう少し資料をあたりたいところです。ということであたっ

    ルイ17世は虐待されたのか、何が正しいかわからなければ沈黙するしかないじゃない - ネットロアをめぐる冒険
  • タタールのくびき - Wikipedia

    タタールのくびき(タタールの軛)またはモンゴル=タタールの軛(モンゴル=タタールのくびき、ロシア語: Монголо-татарское иго、タタール語: Татар-монгол игосы、英語: Mongol-Tatar Yoke)とは、13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻とそれにつづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルーシ(現在のロシアウクライナ・ベラルーシ)支配を、ロシア側から表現した用語である。現在のロシア人などの祖先であるルーシ人の、2世紀半にわたるモンゴル=タタールへの臣従を意味するロシア史上の概念である[1]。 「タタールの羈絆(きはん)」と称することもある[1]。 概要[編集] バトゥの征西(1236年-1242年) アレクサンドル・ネフスキー(ソビエト時代の切手) ノヴゴロド公として北方十字軍を撃退し、「タタールのくびき」のもとでウラジミール大公とな

    タタールのくびき - Wikipedia
  • アンボイナ事件 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年3月) アンボイナ島における英蘭の領土を描いた銅版画(1655年) アンボイナ事件(アンボイナじけん、英語: Amboyna massacre)とは、1623年にオランダ領東インド(現インドネシア)モルッカ諸島アンボイナ島にあるイギリス東インド会社商館をオランダが襲い、商館員を全員殺害した事件である。アンボン事件、アンボイナの虐殺とも称される。 この事件により、イングランドの香辛料貿易は頓挫し、オランダが同島の権益を独占した。東南アジアから撤退したイングランドは、インドへ矛先を向けることとなった。 生存したイングランド人の証言に基づいて描かれた拷問の様子。 アンボイナ島は、モルッカ諸島南方のセラム島の南西に位置する小島で、クローブなどの香料を産する

    アンボイナ事件 - Wikipedia
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