ブックマーク / lessor.hatenablog.com (72)

  • 「利用者のため」が虐待に行きついたとしたら - 泣きやむまで 泣くといい

    業界関係者には、それなりに衝撃が走っているのではないか、と思う。 障害者施設で虐待か 長崎県が処分 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150226/k10015779301000.html 世間は「また虐待か」ぐらいの印象かもしれないが、その障害者施設の運営法人が「南高愛隣会」である。「誰もが優良企業と思ってきた会社の不祥事」ぐらいの意味をもっている。「マクドナルド」や「ワタミ」が事件を起こすのとは、わけが違う。 改善命令を受けたのは、障害者の生活援助や就労支援を行っている雲仙市の社会福祉法人、「南高愛隣会」です。 長崎県によりますと、この法人が運営する雲仙市などの4つの施設で、平成17年ごろから平成24年にかけて、▽興奮状態になった男性の利用者を職員が馬乗りになって押さえつけあばら骨を折るけがをさせたり▽宿直の男性職員が障害のある女性利用者に複数回にわた

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    yono
    yono 2015/03/04
  • 権力より客観的評価 - 泣きやむまで 泣くといい

    保護者と話しながら、ふと整理がついたようなこと。 子どものことで教員に「わかってもらえない」と行き詰まったとき、つい「権力」に頼りたくなって、「管理職」「教育委員会」などに頼りたくなるけれど、「上から叩いてもらおう」で成功するのはレアケースであって、だいたいかえってこじれる。上にチクられたと思う教員は、すねる。意固地になる。 それよりは、子どもについての「客観的な評価」を示せる者に関与を促したほうが、ずっとうまくいきやすい。もちろん厳密に言えば、客観的って何だ、という難しい話になるのだけれど、ここではひとまず子どもに「何ができて、何ができないか」「何がわかって、何がわかっていないか」というデータだと思ってもらえればいい。親が「それは無理です」「支援してください」と言って、教員が「いや、頑張ればできるはずだ」「普通級では、これができなければ困る」というようなやりとりはどこまでも平行線。不毛だ

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    yono
    yono 2015/03/04
    “学校の対応を恒久的に変えていきたいならば、やはり指導計画に反映させるところまでもっていかないと”
  • 「足りない」彼女に救われる、ということ - 泣きやむまで 泣くといい

    どこかでお試し版の第一話だけを読んで「ふーん」と思うだけで済ませてしまっていた。考えてみれば、「このマンガがすごい!」の一位をとった作品がそんな他愛もない話のまま終わるはずがない。最後まで読まなければいけないマンガだった。 ちーちゃんはちょっと足りない (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ もっと!) 作者: 阿部共実出版社/メーカー: 秋田書店発売日: 2014/05/08メディア: Kindle版この商品を含むブログ (9件) を見る ちーちゃんは中学2年生の女の子だ。おそらく「知的障害」の。 かぎかっこをわざわざつけたのにはもちろん理由があって、作品中でそのような言葉は一度も出てこない。割り算ができなくたって、漢字が読めなくたって、空気が読めなくたって、彼女は友人や家族に囲まれながら、明るく日常を送れている。もし医療機関に行けば、きっと診断名はつくだろうが、そのような必要は周囲

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    yono 2015/02/26
  • 力尽きた彼と、逆算しない支援 - 泣きやむまで 泣くといい

    年の瀬も押し迫っていた頃の話。 朝、見知らぬ番号から着信がある。出てみると、以前に自分が支援をしていた子どもの身内だと相手は名乗る。次の言葉が出てくるまでのわずかな時間にも嫌な予感はあった。 子どもが昨日、亡くなったと聞かされる。 言葉を失う。 彼は、進行性の障害をもっていた。 知的障害や自閉症の子どもを主に支援している自分たちであるが、田舎というのはそんなにたくさんの支援者、事業所があるわけではない。どんな障害の子どもでも可能な限りの支援をする。彼は出会ったときからすでに自分で歩くことができなくなっていて、支援の中でいわゆる身体介護の占めるウェイトが重かった。けれど、好奇心が旺盛で、知的な発達にも少しの特性があって、支援者もいっしょになって楽しめることが多い子だった。 だんだんと体を思うように動かせなくなり、頻繁に検査入院を求められたりもするのに、嘆き悲しむ様子を見せない彼が少し不思議だ

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    yono 2015/01/02
    “生活を支える計画や目標に「今」の子どもの願いからはずれた何かが基準として持ち込まれるとき、今の子どもたちのひたむきな生きざまが否定されかねないことの怖さ”
  • 衆院選マニフェスト比較2014(障害者分野) - 泣きやむまで 泣くといい

    当ブログで選挙時恒例になっている「障害者分野限定」マニフェスト比較。なんとなくやらなければいけない責任を感じて、今回もまとめてみました。もちろん景気だって、安全保障だって障害者とは関連するわけで、「障害」という言葉が使われているところを抜き出した範囲での比較であることをご了承ください。 政党間での比較以上に「過去のマニフェスト」との比較をすると、「いま」障害者が置かれている状況がよく感じられる内容になっていると思います(ついでに言うと、各政党の盛衰も)。なお、過去のマニフェスト比較は以下を参照してください。 参院選2013 衆院選2012 参院選2010 では、解散前の議席数の順番に。少しだけコメントをつけておきます。 自民党 http://jimin.ncss.nifty.com/2014/political_promise/sen_shu47_important.pdf <出産・子育て

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    yono 2014/11/30
  • 支援はデマンドに寄り添うことから - 泣きやむまで 泣くといい

    某所で安井(大友)愛美さんのお話をお聞きしてきた。はるばる北海道から来てくださっての5回連続講座。テキストは以前にも紹介したである。最後は、短い時間だが、トークセッションのようなことまでさせていただけた。主催者には、ただ感謝の言葉しかない。 やはりすごい人だった。何の制度にも支えられずに障害児者の支援をはじめた実践は、相手との関係、社会との関係、自分との向き合い方、すべてをいつも省みながら調整してきておられた。その結果としてたどりついた地点は、ソーシャルワークの教科書に書かれていることであったり、社会哲学としては素朴なことであったのかもしれない。大学でも勉強できることだ。しかし、そこに「経験」から改めてたどりつけるのは容易なことではない。 経験豊かな人間はどこにでもたくさんいるのである。現場で何十年と支援経験を積み重ねている者を見つけるのは簡単だ。にもかかわらず、そのすべてが優れた支援者

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    yono 2014/11/12
  • 転ばぬ先に杖をつくには - 泣きやむまで 泣くといい

    地域で昔から続いている行事に参加する。 きっと多くの地域でまだ行われているであろう障害者向けイベント。行政が中心となって企画して、地域に暮らす障害児者や支援者が体育館とかに集まって、簡単なレクリエーションして、みたいな。 しばらくぶりに出会った保護者がたくさんいて、じっくり話を聞く。みんな1年から数年くらい話す機会がなかった人たち。子どもはみんな成人している。ほとんどの生活が大きく変化していて、少し驚く。もちろん学齢児でも変化はあるが、これほどの割合にはならない。そして、どこもが必要な支援をうまく得られずに苦労している。 障害をもつ人が20代半ばから後半くらいになり、親自身が、あるいは祖父母が体や心を痛めていく。家族の中に元気な者がひとりぐらいはいるからどうにか保たれている生活状態。もうひとり倒れたらどうなるのかと思われる家ばかり。 これほど厳しい状況にありながら、支援がもっと優先的に受

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    yono 2014/10/27
    “信頼する支援者にしか任せられないが、何かあったときに信頼する支援者だけでは支えきれない”“支援者が「もっとあちこちを使え」と言うのは簡単だが、支援者にかつて期待を裏切られた経験がある親は多い”
  • 「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症連続体の時代 作者: 立岩真也出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2014/08/26メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 一読した後に「自分にとってはそれほどインパクトのある内容ではない」と思ったのだが、いくつかのニュースと世間の反応を見て、やはり意義があるなのだと思いなおした。けっこう時間が経ってしまったのでタイムリーとは言えないけれど、書き留めておきたい。 もう数週間前のことになるだろうか。視覚障害をもつ高校生が白杖につまづいた中年男性に蹴られる事件が起きた。世間の反応は「なんてひどいことを」であった。少しして「蹴られる方にも非がある」という声があがりはじめた。すぐにそのような声に対する批判もまた巻き起こった。 そこに、どうやら犯人がわかった、という報道がなされる。知的障害の男性だったと言う。そして、その後の報道はあまりなされなくなったような印象もある

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    yono
    yono 2014/09/30
    “「障害があるから、できない」という主張は、「障害はないけれど、できないことへの責任は厳しく問われる」立場の人たちから不快”それで障碍者を追い詰めて良い訳ではないことが前提でないと、同じ土俵には乗れん
  • コンサルからDMが届く福祉 - 泣きやむまで 泣くといい

    先週末に事務所のポストを開けると、透明のビニールに包まれたA4サイズのDMが。捨てるのにビニールと紙の分別だけしようと封を開けて、手が止まる。 ついに障害児を支援する「放課後等デイサービス」の起業や経営改善を促すセミナーの案内がコンサルから届く時代となったのだ。半日でウン万円。ちなみに場所は東京。こちらは関西某所である。受講には合計いくらかかるのだろうか。 ご丁寧にも短めのレポートがついている。もちろん事業の社会的な価値も伝えているものの「うまくやれば儲かりまっせ(大意)」とアピール。単なる「預かり」ではなく、「療育」で付加価値をつけて、他事業所と差別化していくことの重要性を説いている。 ああ、このようにして当事者のニーズから学ぶのではない事業所が増えていくのだな、と思う。 まだ利用者がひとりもいない状態であるのに、毎日の「プログラム」を強調したり、パンフレットのビジュアルがとてもきれいだ

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    yono
    yono 2014/07/16
    保育園と同じで、子どもがいわばどう扱われるのか不安なところにはやはり預けたくない訳で、共同保育所的に自分で必要な場を作るという事例も聞きつつ親が頑張りすぎるのもなんか違うしとも思いつつ、難しい、むー
  • 「エンパワメント」はなぜ求められたのか - 泣きやむまで 泣くといい

    この数週間のあいだに聞いた話や読んだものから考えたことだが、誰かが対人援助における「エンパワメント」とか「ストレングス」の歴史社会学的な研究をすべきだと思う(既に格的にやっている研究者がいたら、ごめんなさい)。読んだものなどを具体的に引用などしながら文章にする時間も気力もないので、以下はメモ程度。 日においては、ある時期から「エンパワメント」等の言葉が海外から紹介され、よく用いられるようになった。「その人がもっている強みに注目しよう」とか「その人自身が主体的に生きられるようにしていこう」という言説は、なぜ普及してきたのか。 例えば「エンパワメント」の強調は、社会福祉が抑制される中で生活上の課題を少しでも自力で解決してもらわなければ困るようになってきたからだ、という人がいる。介護保険のように利用できる支援の上限が決まった制度が多く利用されるようになったのが良い例だ。「エンパワメント」ブー

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    yono 2014/07/09
  • 親の遠慮にも配慮してほしいとは思うけれど - 泣きやむまで 泣くといい

    学校には連絡帳というものがある。仕事上、しばしば目にする。 自分が子どものとき、親と教師の間でどんなやりとりがなされていたのか、ほとんどもう記憶がない。いま小学校などで一般的にどんな使われ方をしているのかもよく知らない。それでも言えることとして、障害をもつ子どもの親にとって先生と交わす「連絡帳」の意義というのは、一般的なそれよりも大きなものではないかと思う。 なぜなら、帰宅後に学校での出来事を話せる子どもばかりではないから。そんな報告ができるのは、むしろ少数派だろう。報告やコメントというのは高度なスキルが求められる営みであって、とりわけ言葉をもたない子どもにとっては難しいコミュニケーションである。 学校でどんな授業があって、子どもがどう学んでいるのか。連絡帳に書かれている内容が親にとっての数少ない情報源となる。連絡帳は一方向的なものではなく双方向のものであるから、熱心な保護者は家での出来事

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    yono 2014/06/11
    連絡帳話、ポイント目白押し。この2年間遠慮なく濃いやりとりができたのはやはり恵まれていたと再認識。今は少々…(遠慮)。先生によってメールを連絡に使っていた時期もあり便利だったけど実際何が有難いかなあ。
  • 差別を生むから「障害」を「症」に、ではない - 泣きやむまで 泣くといい

    「障害」を「症」に 精神疾患の新名称公表(産経新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140528-00000557-san-hlth この記事は、精神神経学会の発表内容をだいぶ略していて、誤解を招く。以下に日語訳の全文と検討経緯の説明がある。 DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン https://www.jspn.or.jp/activity/opinion/dsm-5/index.html#maintitle 説明には、こうある。 病名・用語を決める際の連絡会の基方針を以下に列挙する. 1.患者中心の医療が行われる中で,病名・用語はよりわかりやすいもの,患者の 理解と納得が得られやすいものであること, 2.差別意識や不快感を生まない名称であること, 3.国民の病気への認知度を高めやすいものであること, 4.直訳が相応しくない場合には意訳を考え

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    yono 2014/05/29
    自閉って言葉を使い続けることの方が違和感。「障害」と「症」についてはこちらでも: http://www.ewoman.jp/entaku/info/id/3255/ 勝手に中途半端な言い換えで満足されても(してはいないだろうけど)困るんだけどな的感想。
  • やはり蚊帳の外 - 泣きやむまで 泣くといい

    よくわかる障害学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ) 作者: 小川喜道,杉野昭博出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2014/04/30メディア: 単行この商品を含むブログ (2件) を見る いただきもの。書店で見かけて購入を迷っていたので、ありがたい。 おそらくこのの目的とは、技術者が作り手側の考えだけで支援のためのテクノロジーを開発してしまわないように、身体障害をもつ当事者の声を届けたり、障害の社会モデルについての基的な考え方を伝えたりすることなのだろうと思う。たぶんその目的には適った内容だ。工学的な技術について多くのページを使っているのは珍しいし、執筆陣に多くの当事者を含んでいるのも特徴的。 ただ、書名がいかにも幅広い層をターゲットにした入門書風なので、そう期待して読むと少し戸惑う。「文系」の講義等で使う教科書には向かないと思う。そして、知的障害や精神障害について

    やはり蚊帳の外 - 泣きやむまで 泣くといい
    yono
    yono 2014/05/13
    “知的障害や精神障害についての言及はほとんど無いので、自分のような立場の読者はたぶんがっかりする”やっぱり、いまだにね。
  • 「親たち」が自由になるための本 - 泣きやむまで 泣くといい

    の紹介をしたい。著者は「障害のある子の親」であるが、以下に書くことは少しだけ読み替えれば「障害児者の親」に限らず「親」一般にも当てはまる部分が多いだろう。書名が「障害のある子の親である『私』」ではなく、「障害のある子の親である『私たち』」となっているのはちゃんと理由がある。著者がつけたのか出版社がつけたのかはわからないが、ここに込められた大事なメッセージこそがこのの大きな価値だ。 障害のある子の親である私たち 作者: 福井公子出版社/メーカー: 生活書院発売日: 2013/09/15メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (3件) を見る 障害児者の親が書いたは他にもたくさんある。親が書いたに救われた経験をもつ親もいる。 子どもを産み、育てる過程での不安、ショック、悲嘆、自責。それらはひとりで抱え込むにはあまりに重く、誰かの支えを必要とする。自分のような支援者もその

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    yono 2014/05/07
  • 子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい

    公園で子どもたちと全力の鬼ごっこをする。もちろん仕事で。 もう何年も続けてきているのだが、自分が主に関わっているのは特定の支援が必要な子どもである。年月が経つにつれて、周囲の環境は変わる。特に「お友だち」の顔ぶれは変わっていく。 公園でいっしょに遊んでいる子どもたちの中に「発達の気になる子」は他にもいて、うまくいけばみんなが正しく人との関わり方を学べる場になる反面、下手をすると互いに傷つけたり傷つけられたりするコミュニケーションが加速していく。 低学年のうちは同級生の集団でうまいぐあいにやれていたが、多くの子どもは年齢があがってくると公園では遊ばなくなる。自分の印象では、年齢があがってきたのに公園で遊び続けている子どもの中に「気になる子」は多い。発達の凸凹が見られることもあるし、家庭環境の問題が垣間見えることもある。 「気になる高学年」と「その他たくさんの低学年」が交わるようになってきたの

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    yono 2014/04/09
    “「気になる高学年」と「その他たくさんの低学年」”で起こること、ありがち。集団成員自体を制御?するところから始めないと如何とも、それがまたたいへんそうだけど。
  • 「おそれを知って、できなくなる」という成長 - 泣きやむまで 泣くといい

    「できていたことができなくなってしまうこと」は、一般にはあまり肯定的に捉えられない。 なぜできなくなったのか。およそ人間の能力というのは若いあいだ、伸び続けるか、せいぜい横ばいであると思われていて、できなくなるのは「老い」や「障害」の負の側面と理解されているのだろうと思う。 ところが、若いうちにも「できていたことができなくなってしまうこと」はある。障害をもつ子どもたちと関わっていれば、しばしば直面する事態なのだけれど、もっと普遍化することだってできるのかもしれない。「新たな体験へと踏み出していくことができなくなった」とか「挑戦する意欲がなくなった」とか言えば、多くの少年や青年にとっても耳慣れた話なのではないか。 さまざまな脳機能の障害の中には、実際に「かつて獲得していた能力が失われる」ためにできなくなってしまうケースがあって、それを前向きにとらえていくのはなかなか難しいことである。しかし、

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    yono 2014/04/03
    あるあるあるある!賢くなった証拠だわ~と喜べるかどうか。
  • 白黒つけずに揺れ続けることのススメ - 泣きやむまで 泣くといい

    の紹介をしたいのだが、はじめに少しだけ説明がいる。 今から10数年前、障害児の地域生活を支える仕組みというのはほとんど無いに等しかった。切羽詰まった親や福祉関係者、ボランティアなど危機感を抱いた人々は各地で取り組みをはじめる。もちろん持続可能な運営を続けていくのは簡単ではない。 そのうちに一部の自治体が脆弱ながらも仕組みを作りはじめる。公費が入れば、自由な支援はできない。制度上でやってよい支援とやってはいけない支援が生まれる。わずかばかりの金をもらうがための代償を感じながら、それでも何もない時代よりは前進しているのだと自らを納得させながら支援は生み出されていった。 そのような中、北海道で一切の公費を受けずに障害児の支援をするところが現れた。入所施設を飛び出した女性が作ったのだと言う。あっという間に有名になった。その名は『ぴっころ』。時間あたりの単価を決め、あとは利用者がスタッフをどのよう

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    yono 2014/02/26
    “「大事なものはこれしかない」と高らかに叫ぶ人よりも「あれもこれも大事だと思う」と謙虚に言える人を信用したい。だから、この本に心打たれる”
  • 生きづらさを「程度の問題」として捉えること - 泣きやむまで 泣くといい

    別のについて何か書こうと思っていたのだけれど、さっき風呂の中で一気に読んだコミックエッセイに考えさせられたので、そちらを。良いマンガだった。 今日もかるく絶望しています。 落ち込みがちガールの日常コミックエッセイ (メディアファクトリーのコミックエッセイ) 作者: 伊東素晴出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー発売日: 2014/01/17メディア: 単行この商品を含むブログ (5件) を見る 書店で表紙や帯などを目にした限り、ああ社会の中で生きていくのが苦手なタイプの人の話なのだろう、と思ったのだ。個人的に心をつかまれたのは帯に描かれた「疑心暗鬼がデフォルトです」というコマだった。「この人どうしてこんなに楽しそうに喋ってくれてるんだろう……内心私と話しててもつまんないって思ってたらどうしよう」。 「相手から自分はどう思われているか」について深く考えすぎる。それも悪

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    yono 2014/02/23
  • 「こんな迷惑をかけられた」からの差別は手強い - 泣きやむまで 泣くといい

    グループホーム開設反対運動の件は、一日待ったら追加取材の記事がNHKから出てきた上に、自分がブログで紹介しようと思っていた調査を行なった研究者までその記事中に登場。なんというタイミング。 相次ぐ障害者ホーム反対の背景は http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0127.html 調査結果については、twitterで少し紹介したが、量的調査が難しい領域だとも思う。どのように変数を設定すれば、コンフリクトが生じやすい「地域」像を浮かび上がらせられるのか。「新興住宅地」で多い、というのは何となくわかるが、個々の懸念や不安が大きな運動へと変わっていくダイナミズムを説明するものにはなっていない。「世代」もどのぐらい影響しているのか。良質な事例研究をたくさん読みたいとも思う。 解決策が「仲介者」に求められるのは事後対応として仕方ない。一方で、この種の話題

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    yono 2014/01/29
  • 「みんなといっしょ」を求める意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい

    障害の重い子どもが「地域」の学校に通おうとする。意思表示が難しい子の場合には、親が通わせようとする、と言ったほうが正確かもしれない。世間には冷たい視線を浴びせる人がいるだろう。教育委員会もあまり良い顔はしてくれない。特別支援学校を選んだ親たちも、自分がわが子のためにした選択と比較して、あれこれ言いたくなるかもしれない。 とりわけ重度の自閉症の子どもたちと多く関わっていると、わからなくなることがある。この子たちにとって「地域」とは何なのだろうかと。講演で話さなければいけないことがあり、改めて考えさせられていた。 当事者や支援者によって「入所施設」や「分離教育」が批判される。それに対して「地域」は「ともに生きる」とか「当たり前の暮らし」を象徴する言葉として用いられるようになっていた。単に生活の場として「住み慣れた地域」にいられればよいということでもない。自由のある暮らし、選択肢のある暮らし、文

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    yono 2013/11/15
    “「みんなといっしょ」の実現そのものが本人にとっての苦痛になる場合のことを言っている”社会を変える「ために」障碍児・者がいるわけではない。