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インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。 少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日本人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日本人の宗教観は"be
榎本:日本は昔から、海外のものを取り入れることを推奨する人が多いですね。ただそれが基で問題やトラブルが起きてもあまり疑問視しません。 昨今、国の教育施策や企業の教育研修に携わる人がディベートをやたらと推奨している。『ディベートが苦手、だから日本人はすごい』は特にそういう人たちに、日本人のコミュニケーションの本質について考えてほしいと思って書いたものです。 日本人が自己主張が苦手なのは、日本語の構造と文化風土に由来するもので、そこにこそ日本的コミュニケーションの長所があると主張されています。 榎本:日本語と英語は言語構造が全く違います。英語はまず主語のIとかYouが最初に来る。一方、日本語は人称代名詞がTPOによって様々に変化する上、多くの場合で主語が省略されてしまいます。こうした言語構造の違いがコミュニケーションの違いを生み、自分と相手の関係性の違いを生んでいるのです。心が全く違うわけです
「学者は世間知らずだ」という偏見を持つ人に、今でも時折、出会うことがある。世俗から離れて自分の専門の研究をしていればいい人たちという認識なのだろう。 かつては本当にそうだったのかも知れない。明治時代には「研究に熱中していて日露戦争の開戦を知らなかった東大の先生」が世間の話題になったこともあった。 一体その先生は誰か、長岡半太郎(物理学者)、池野成一郎(生物学者)、田中舘愛橘(地球物理学者)、田口和美(医学者)といった当時の東大教授陣が人々の口に上ったという。つまり、「きっとあの人だ」と思わせるような生活態度の学者が多かったのである。 そのようなうわさが流れたということは「国家の一大事にお気楽でいいよな」という、一般からのやっかみがあったと見て間違いないだろう。逆に見れば、大学の研究者はそのような生活が可能なぐらいに保護された、特権的な地位であったのである。 しかし現在の科学者、特に理工系の
2013年9月8日、2020年のオリンピック・パラリンピック競技大会(以下「オリンピック」)の東京開催が決定した。僕はこのニュースを複雑な想いで聞いていた。オリンピック開催ともなると、スタジアムやインフラ設備など、街の再開発の規模は想像を超えたものとなるだろう。これまで歴史的にも、街の再開発と同時に、駅や公園、公共施設などで「適正化」と呼ばれる「ホームレス排除」がおこなわれてきた。 近年だと渋谷の宮下公園や、江東区の堅川河川敷などが有名だが、行政機関が、時に荒々しいやり方でそこに起居している「ホームレス状態の方」を追い出してしまうことも頻発している。 もちろん、駅や公園、公共施設等に無断で違法な形で寝起きすることは、必ずしも良いことだとは思わない。しかし、当事者の声を聞かずに、またきちんとした代替も用意せずに、ただそこから追い立てていくことは、彼ら・彼女らの最後の「居場所」をも奪ってしまう
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