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2012年8月6日のブックマーク (5件)

  • 一本を取って勝つことと金メダルを取ること:日経ビジネスオンライン

    毎度のことながら世間はオリンピック一色だ。 まあ、4年に一度のお祭りなのだし、2週間限定だと思えば我慢できない騒ぎでもない。 個人的には、五輪報道ラッシュのおかげで、このひと月ほど執拗にオンエアされ続けてきたいじめ自殺関連のプライバシー掘り返し報道が収束したことが、収穫だと思っている。テレビの中の人たちは、いじめ自殺について、必ずしもその意義を考えて放送していたのではない。単に数字が取れると判断しただけだ。だからこそ彼らは、WHOのガイドライン(WHOが自殺報道について世界中の報道機関に向けて出しているガイドライン:日語訳はこちら)を無視して、延々と関係各方面にテレビカメラを持ち込んでいたのだと思う。 彼らは、もっと良いネタがあればそっちに移動する。獲物を追うジャッカルと一緒だ。オリンピックはそういう意味で、害の少ない、エサだと思う。多少やかましいところはあるが、誰が傷つくわけでもない。

    一本を取って勝つことと金メダルを取ること:日経ビジネスオンライン
  • 【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)

    「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日中を沸かせた男である。 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日の陸上界唯一のメダルであった。 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和

  • 自分のために競技してほしい

    五輪コラム 爲末大学 オリンピックを考える 五輪に3度出場、世界選手権で2度銅メダルを獲得し、先ごろ引退したばかりの侍ハードラーが、独自の視点から五輪を斬る。社会派アスリートが現地で 見て、感じた世界最高峰の戦いを語る。 今回、特に柔道の選手たちが試合後に、「勝てなくてすいませんでした」とインタビューに答えているのをよく目にした。日のお家芸としての期待や、必ず金をとらなければならないという思いから発される言葉なのかもしれないけれど、そこに僕自身、元選手として複雑な思いを抱いている。 五輪選手ほどになると、それまでの人生でたくさんの人に支えられてここまでたどり着いている。強化選手は専用の施設を使い、遠征や強化に国税が投入されていて、当然そこに税を注ぐからには国民は何かの見返りを期待している。 人間のモチベーションや創造性というのは、やりたいことをやっている時に最も大きくなる。気がついたら時

    自分のために競技してほしい
  • 世界宗教者平和祈りの集い:比叡山宗教サミット25周年、脱原発鮮明に /滋賀- 毎日jp(毎日新聞)

    比叡山宗教サミット25周年の「世界宗教者平和祈りの集い」が4日、大津市坂町の比叡山延暦寺であった。今回は東日大震災など自然災害をテーマに開かれ、「原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されない。宗教者は強く警鐘を鳴らす責任があったことを率直に反省する」とした「比叡山メッセージ2012」を発表し、脱原発の姿勢を鮮明にした。 半田孝淳天台座主は福島第1原発事故について「人間のあくなき欲望を満たそうと、大自然に対する畏敬(いけい)の念を軽んじたことが根にある」と指摘。仏教やキリスト教、イスラム教など、さまざまな宗教の関係者約1000人が参加し、平和への祈りをささげた。 比叡山メッセージも福島第1原発事故に言及。「チェルノブイリやスリーマイル島の事故に謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、安全性を過信した結果。技術の選択に深い倫理性が求められている」と訴えた。【石川勝義】

  • 渡り鳥の楽園、存続の危機 橋下市長の改革で : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    湿地を清掃するボランティアと活動拠点の展望塔(奥)(2008年11月、大阪市住之江区で)=南港野鳥園提供 国際的に重要な渡り鳥の生息地として登録されている大阪市の大阪南港野鳥園(住之江区)の存続が橋下徹市長による市政改革で危ぶまれている。改革プランに、鳥の保護活動や人工干潟の管理の拠点となっている施設の廃止検討が盛り込まれたのだ。「廃止した場合、干潟の機能が劣化し、渡り鳥が飛来しなくなる」と自然保護団体などは反発している。 周辺の海岸はかつて干潟に多くの野鳥が生息し、1958年から南港の埋め立てが格化すると、工事現場にできた湿地などに鳥が移った。市民団体などが保全を求め、市は83年に同園をオープンさせた。 約19ヘクタールの園内は導水管を通じて海水が満ち引きし、干潮時には干潟が広がる。ゴカイ類や小さなエビなどが生息し、これらのエサを求めて約150種類の鳥が飛来する。 特にロシアや豪州を往