司法モデルと戦争モデル 現代人のボクたちは真実が相対的なものであることを知っている。真実は空間的、 時間的によって変化する。しかしフーコーが系譜学的に真実について語るとき、ただ相対的であるということではない。 たとえばある人Aがある人Bにお金を盗まれたと訴える。それに対してある人Bは盗んでいないという。多くにおいてAは警察に通報するだろう。警察は双方から事情を聞き、さらには状況を「調査」する。そしてその調査結果は司法の場へ持って行かれ、真実が明るみに出される。 このように調査によって明るみに出すものは「事実」である。実際にそこでなにかが行われたのであり、それが明るみになれば、Aが正しいか、Bが正しいかわかるはずである。このような「事実が正しい」ということは現代社会生活の中で疑いえないものである。 フーコーによれば、現代では当たり前とされる「調査」によって真実を明らかにする「司法モデル」は、