(ワシントンDC)-ニューヨーク、ロサンゼルス、ワシントンDC、サンフランシスコの警察が、セックス・ワーカーとトランスジェンダー女性からコンドームを証拠として押収。結果、HIV感染を減らす保健所の活動の障害となっている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書内で述べた。 報告書「危険にさらされるセックス・ワーカーたち:売春証拠にコンドームを押収する米4都市」(全112ページ)は、前述の各都市で警察と検察が、買春容疑立証のためにコンドームを証拠とする実態を調査し、取りまとめた。こうした警察の行動により、セックス・ワーカーやトランスジェンダー女性が逮捕を恐れてコンドーム携帯に消極的になった結果、プロテクションなしの性行為により、HIVほか性感染症の危険にさらされている。本報告書は、2012年7月22日にワシントンDCで開幕する第19回国際エイズ会議に先立って発表。世界中から集まる2万
クィア, フェミニズム, グローバライゼーション2010年9月10日、英国日本研究協会の年次大会において、 "Child Pornography and Law: Nationalism in Anti-regulation Discourses" (児童ポルノと法:反規制言説におけるナショナリズム)という発表をしました。そのスライドと原稿を引っ張りだしたので、日本語に訳して公開します。この発表では、レイプレイというゲームソフトが受けた批判に対して発生した日本語のインターネットスペースにおける論争に注目し、グローバル・セクシュアル・ポリティクスの文脈における児童ポルノを巡る言説について考えます。以下、性暴力の描写が含まれる内容となっています。もし読み進めることに不安があれば、ここでやめて頂いてかまいません。......レイプレイとは、プレイヤーが12歳の女の子を電車で痴漢し、逃げられないよ
14 5月 食べログには絶対載せられないグルメレポ!人間の男性器を「性器喫食会」で食べてきました。 昨日13日夜、阿佐ヶ谷ロフトにておこなわれた、人間の男性器を食べるイベント「Ham Cybele ~世紀喫食会~」に参加してまいりました。先日の記事で告知したとおり、わたくし松澤、食べてまいりました。ひとさまのオチンチンを。いやー、これでとうとうハンニバルレクターなんかとおんなじ、カニバリストクラスタに仲間入りですよ。 とにかくお話ししたいことだらけなので、さっさとレポートに移っちゃいますね。 あ、ただ、あらかじめことわっておきたいんですが、記事内に差し込んでいる写真は、肝心のブツがモロに写っているのをあえて避けてます。「遠めに、ちょびっと見える」「逆光ごしに、シルエットがぼんやり見える」とか、そういう着エロ的なギリギリ写真ばかりを選んでますんで、あらかじめご了承くださいませ。 だってね、キ
2012/3/2110:20 性の受け止め方、語り方 猪瀬優里 「性」は身体や感情にかかわりの深い事象である。それゆえ、性にかかわる話題は、私的なものとみなされる。一方で、性・生殖関係を秩序立てるための制度として結婚があるなど、性は公的な問題でもある。 性は公的なものなので、何らかのかたちで性ある身体を持つ私たちは、つねに所属している集団から「あるべき性」をその身体、行動で実現することが求められている。そのように感じられる「空気」がある。だが、性は私的なものなので、それが具体的にどのようなものであるのかは、公的空間では正式に語られにくい。性に関する規範は明確なものではなく、暗黙のルールとして存在する。 ここでは「性」の置かれている曖昧で不安定な状況を考えるための一助として、男性の身体機能のひとつであり、とくに性的な要素を多く含む「射精」に注目してみたい。 ■中学生・高校生の性意識 射精に関
(「さらば川原泉(その1):なぜ川原作品はあたしというセクシュアルマイノリティにとって読みやすかった(過去形)のか」の続きです) なぜ川原作品は現在のあたしを悲しませているのか。理由は2つあります。 平成の川原作品では、非少女漫画的なモチーフがインフレを起こした後、枯渇してしまった もともとセクシュアルマイノリティに対する偏見が垣間見えていたところに、最近出た「真面目な人には裏がある」がとどめをさしてしまった 非少女漫画的なモチーフのインフレと枯渇について 平成元年花とゆめ14号で「かぼちゃ計画」を読んだとき、「これは三題噺か?」と思ったのを今でも覚えています。「かぼちゃ・囲碁・検尿」と、非少女漫画的モチーフを3つも使っているのが奇妙だなと。ひょっとして、と思い、「フロイト1/2」(平成元年 花とゆめ4・8号)を読み返してみると、やっぱり「フロイト・提灯・雪山登山」*1の三題噺になっている
◇「男と女」だけなのか 決定にモラトリアム必要 「個性…でも疾患」 「人間を男と女だけに分けるのは時代遅れ」「真ん中の性を認めれば、丸くおさまる」 日本小児内分泌学会が性分化疾患のある新生児の性別を判定するためのガイドラインを策定することが明らかになった先月末以降、インターネット上には性別を男女だけに分けるという大前提に疑問を投げかける書き込みが相次いでいる。 一見、非現実的にも思えるが、かつて同様の考えを論じた文章が医師や法律家の間に波紋を広げたことがある。日本生命倫理学会初代会長の星野一正・京都大名誉教授が00年に法律雑誌に載せた論文「性は『男と女』に分けられるのか」だ。 星野氏は日米両国で産婦人科医として数多くの分娩(ぶんべん)に携わり、性分化疾患の新生児にあいまいな性別判定をせざるを得なかった過去の反省に立ち「研究の進歩によって、ヒトを男女に二分して性別を正確に決定する基準を設定し
染色体やホルモンの異常により、外見で男女の区別が難しい新生児が約2000人に1人の割合で生まれているとされる。いずれかの性に近づける医療にあたる際、医師が誤った判断をしているケースが問題化している。染色体や性腺からみるとほぼ女性である子に対し、男性ホルモンを投与していた例もある。日本小児内分泌学会(藤枝憲二理事長)は医療機関が性別を判定するためのガイドライン策定に向け、10月から初の症例調査に乗り出す。 こうした疾患は医学的に「性分化疾患」「性分化異常症」などと呼ばれる。以前は原因がほとんど分からなかったが、90年代以降に性が男女に分化する仕組みが急速に解明され、診断の精度が上がってきた。 しかし、同学会性分化委員会によると最近でも、外性器だけをみれば男性に近いが、染色体が女性型で卵巣もある子に過剰な男性ホルモンを投与し続けたり、外性器で男女の区別がつかない子が染色体検査もされぬまま性別を
昨今、一部のメディアで話題になっている話で、PCなどのゲームの凌辱表現を規制するか否か、といった話があります。 http://algernon.livedoor.biz/archives/737985.html http://arm1475.blog2.fc2.com/blog-entry-4217.html いろいろ話題になってますが、とりあえずこの辺? まあ、今までも何度となく繰り返されてきた議論なのですが。 もちろん、賛成派反対派、ともどもに言い分はありましょう。ただ、そうした議論の中で、案外おろそかにされている部分があると思うのですよ。 なぜ、ここまで凌辱表現を含む18禁作品が増えたのか、という話です。 規制する側にしても、その理由を押さえなければ、手を変え品を変えしても凌辱表現を根絶するなんて土台不可能な話でしょう。 また反対派の男性諸君にしても、いい加減「表現の自由」だけで自分
この件について先日ご指摘をいただいたある方に、僕がフーコーを引き合いに出したことに対して、彼が同性愛者だったという事実も考慮に入れるべきではないか、というご指摘をいただいた。もちろん僕はフーコーが同性愛者であったことを知っているし、そのことは十二分に考慮に入れるべきであると考えている。 しかしここで指摘したいのは、言説を説いたフーコーの批評活動が、単純に同性愛者などのセクシャルマイノリティという抑圧された同胞の「解放」を目的にしていたというわけでもない、ということだ。僕がいちいち感服してしまう彼の天才性とはおそらく、常にものごとを一つ上の次元から考えることだ。彼の問題意識の射程は「同性愛者をいかに解放するか」では必ずしもない。そうではなく、彼の問題意識はいわば「なぜ人(異性愛者、同性愛者関わりなく)は、自分あるいは他人の性について真実を語るべきと考え、同時にそれが社会的な抑圧からの解放にな
海の向こうの「人権団体(笑)」が烈火の如く反応しそうですね。 分類 タイトル数 割合 凌辱系 176 37.1% 非凌辱系 298 62.9% まずは「どうやって凌辱系エロゲの数を数えたのか?」について軽く説明します。参考にしたのは下記の資料。 TECH GIAN BRILLIANT 2008年 上半期 TECH GIAN BRILLIANT 2008年 下半期 ここの作品解説にて「凌辱」「恥辱」「痴漢」「輪姦」などの単語が出てきた作品及び、単語が出てこなくても掲載されているCGが「どう見ても犯されています」な作品をピックアップしました。そしてその結果がタイトルに書いた数。なので作品の分別基準(凌辱系か否か)は「テックジャイアンのライター」と「私」の主観です。従って「こんな数字はあてにならんっ!」と言われてしまえば、「まぁ、その通り」としか答えようがありません。 「もっと正確な数字で」とい
「同性愛者だって、単に同性を好きだというだけで、あとは他の人と同じ、普通の人なんだ!」といったたぐいの「同性愛者の正常化」「同性愛者の成り上がり」を求める主張に対する強烈な批判となっている。 (1998年10月10日に吉田寮食堂焼け跡において行われた野外ライブで、実行委員会が作成・配布したフリーペーパーに寄稿した文章。) 日比野 真(変態左翼活動屋) なよなよした仕草、闇夜にまぎれた公園や公衆便所でのセックス、どぎついオネエ言葉、淫乱旅館での乱交プレイ、スカートをはいたり化粧をした姿、開き直った男娼やショーパブでのお仕事、オカマの健さん(東郷健)—–ホモやオカマに貼られたイメージはこんなものだ。(レズ、といえば、レンタルビデオ屋の中にあるレズプレイや百合族ビデオのことか?) 「ぼくはそんな変なホモなんかじゃない!別になよなよもしていないし、乱交もしたことないし、ちゃんとまともな会社で働いて
「それは、ジェンダーではなく、セクシュアリティというのよ」 「そうですか。性のグラデーションなんていらない」 「どうして?」 「怖いじゃないですか」 「何が?」 「人は、子孫を残すべきだし。伝えていくべきじゃないですか」 「残さなくてもいいじゃない」 「子どもを産まないと」 「それは、産みたい人は産めばいいわけで、産まないといけないわけじゃないじゃん」 「えー、やだー。セクシュアリティがいろいろなんて」 「だから、その理由は?それって、性的志向の対象が減っちゃうからじゃないの。どうしても子どもを産むんだ、なんて探すと、いいの見つからないよ」 「違いますよ。そういうの嫌なんです。怖いんです」 最後まで、怖い理由はわからなかった。 個人が、個人の嗜好として「こわい」と思っている分には、なんの問題もない。 他者にそれを要求したり、社会的制度として構築し始めたりしなければ。 その点、現在の教科内容
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