二人の女は女のない場所で出会う 「『女らしさ』と『女であること』を巡って」で触れたように、MtFトランスセクシュアルが求めているはずのものは、「女らしさ」ではなく「女であること」のはずです。もしもジェンダー・ロールという意味での「女らしさ」であれば、「女らしい男」という選択肢もあったはずで、それを否定しなお「女」を主張する以上、ジェンダー・ロールという社会的構築物(ほとんど風俗的構築物とすら言える!)をはぎ取った純然たる「女であること」「女そのもの」という仮構が、少なくとも理論上は想定されていなければおかしいことになる、ということです。 おそらくこの過程で措定されるものこそ、いわゆるジェンダー・アイデンティティなるものなのですが、一方であらゆる「女らしさ」「社会的に定義された女」を捨象して析出される透明な「女」とは何か、という疑問がかえってくることは前にも触れました。 トランスセクシュアル