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ブックマーク / uumin3.hatenadiary.org (4)

  • 「死に神」表現と勧善懲悪 - uumin3の日記

    世にある勧善懲悪ストーリーに馴染んだ人ほど、「素粒子」に書かれた「死に神」という呼称に対して違和感を感じるのかもしれません。たとえば時代劇、前半から中盤にかけて弱い立場の人たちが搾取され・レイプされ・殺されて、たまりにたまった不正義への怒りの感情が終盤のばっさばっさと悪人が切り殺されていくところのカタルシスを産みます。勧善懲悪のお話は、人を犯すもの・人を殺すものは自らもまた殺されなければならないといったような単純な倫理観の再生産をするものでもあるのです。 勧善懲悪型の時代劇はテロリズムを推奨するかのようです。そこでは権力関係などで罰せられない不正義を「法を超えた正義」の力で粉砕するものも多く、中には順法的なお白洲での裁きをクライマックスにもってくるものもありますが、それでさえ悪人側を暴力で膺懲するシーンは定番として必ずのように挟まれます。 「悪の暴力を懲らす正義の暴力」という視点は、これは

    「死に神」表現と勧善懲悪 - uumin3の日記
  • uumin3の日記-あなたと私は同じで違う

    「あなた(たち)と私は同じだ。同じに考えて欲しい」 「あなた(たち)と私は違う。違ったものとして認めて欲しい」 このどちらも人は求める時がありますし、異なる状況では同じ人がどちらの願いも言ってしまうのかもしれません。ここだけ抜き出せば相矛盾する内容に見えますが、当にどちらもありの時があるんじゃないかと思います。 たとえば知的障碍を抱えた子供を普通学級に入れたいと願う親御さんは「同じに扱って欲しい」とそこで思うのでしょうし、また同時に「ハンディキャップの分だけは庇って欲しい」と先生や学校に対して希望することもあるでしょう。それをわがままだと切り捨てる人もおられますが、そのケースごとの思いは考えればわかることができるだろうと感じます。原則として同じ存在と認めて欲しい。個別には扱いを考えて欲しい。それは何も特別のことではなく、私たち誰もが願い、そして部分的にも現実にあることなのですから。 これ

    uumin3の日記-あなたと私は同じで違う
    yugui
    yugui 2007/03/26
    他者としての異形に対する恐怖、作中において蟲が他者でないこと。
  • uumin3の日記 他の人もやっているから…というのは小学生の言い訳

    気になったニュースです。 研修生、時給450円残業 千葉養豚場殺人 社団法人「千葉県農業協会」が受け入れている中国人研修生(26)が研修先の養豚場で男女3人を殺傷したとされる事件で、来は残業してはいけない研修生が時給450円で月50時間前後の残業をしていたことがわかった。(略) (ashahi.com 2006年09月02日) 中国人容疑者による殺人と傷害の背景に、苛酷な労働環境(といいますか搾取の構造)があったという話です。 もちろんこの中国人容疑者の刑法上の罪は厳しく問うべきですが、外国人研修生をいいように使っていた側に対しても厳罰があってしかるべきでしょう。これに似た話、かつて日から外国へ出稼ぎや移民に行って搾取されたとか騙されたとかいう話なら、はっきり酷い話だと思う人が多いでしょう。それと何も変わりはありません。人の欲をい物にする奴らはどこの国、どこの時代にもいるでしょうが、

    uumin3の日記 他の人もやっているから…というのは小学生の言い訳
  • 2006-01-31

    最近、少しずつ諸方で「帰属処理」と「切断操作」という概念の名前を聞くようになりました。社会学の概念ということで宮台真司の名前とともに語られたりしています。 直近のこの言葉の流布は、opemuさん@opebloの「僕達も共犯ではなかったのか」(リンク)という話題となった記事が元ではないかと思いますが、この記事以前からも宮台氏絡みで聞くことはできた言葉だと認識しております。 僕が、この話を聞いて思い出すのは、宮台真司さんが言っていた帰属処理と切断操作の話だ。何か訳のわからない事件が起こり不安になった時に、「こいつ」「こいつら」が悪いんだと是が非でも何かのせいにするのが帰属処理で、この「こいつら」は普通の生活を送っている僕達とは違うんだと、自分とは無関係な地平に押し込めて安心するのが切断操作。 … 結局は、宮台さんの言葉を借りれば、「どこの国でもメディアが帰属処理と切断操作を提供するのは変わらな

    2006-01-31
    yugui
    yugui 2006/02/02
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