世にある勧善懲悪ストーリーに馴染んだ人ほど、「素粒子」に書かれた「死に神」という呼称に対して違和感を感じるのかもしれません。たとえば時代劇、前半から中盤にかけて弱い立場の人たちが搾取され・レイプされ・殺されて、たまりにたまった不正義への怒りの感情が終盤のばっさばっさと悪人が切り殺されていくところのカタルシスを産みます。勧善懲悪のお話は、人を犯すもの・人を殺すものは自らもまた殺されなければならないといったような単純な倫理観の再生産をするものでもあるのです。 勧善懲悪型の時代劇はテロリズムを推奨するかのようです。そこでは権力関係などで罰せられない不正義を「法を超えた正義」の力で粉砕するものも多く、中には順法的なお白洲での裁きをクライマックスにもってくるものもありますが、それでさえ悪人側を暴力で膺懲するシーンは定番として必ずのように挟まれます。 「悪の暴力を懲らす正義の暴力」という視点は、これは