二子山親方(初代貴乃花)の死は痛恨事だった。ショックだった*1。小学校に入学したあたりにはすでに相撲ファンで、親方の追悼報道でよく流された北の湖との優勝決定戦が昭和50年だから、記憶こそないもののたぶんテレビで見ていたのではなかったか。北の湖と輪島が東西横綱の地位にいて、相譲らぬ北輪時代をかたちづくっていた。 わたしは小学生時代は前から数えたほうが早いくらいに小柄で、「小兵力士」「技巧派力士」になることを夢見ていたほど。巨漢の同級生と相撲をとり、栃赤城ばりの多彩な技、貴乃花ばりの土俵際の粘り、増位山ばりの内掛けで倒すことを快感にした。でも、大の贔屓はなぜか「猫だまし」の三重の海(現武蔵川親方)だった。 親方の二人の息子、若乃花と貴乃花の相撲も嫌いではなかったし、全盛期の二子山部屋を支えた貴ノ浪、安芸の島、貴闘力らも好きだった。でもやっぱり一番好きなのは、相撲がもっとも好きだった頃に活躍して
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