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知識に関するyukio2005のブックマーク (4)

  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

  • 知識についての知識について - 内田樹の研究室

    毎日新聞の次は『新潮45』。 総合雑誌の廃刊休刊相次ぐ中で苦戦中の『新潮45』も12月号からリニューアルするそうである。 野木正英さんが編集部に参加する。 野木さんは旧友故・竹信悦夫と高橋源一郎さんと灘の同期である。 このトライアングルがどんな過激で愉快な中学高校時代を過ごしていたのかについては源ちゃんと私の対談(『ワインコイン悦楽堂』)に詳しい。 そういうご縁があるので、竹信への供養もかねて、リニューアル『新潮45』に一臂の力を仮すことにしたのである。 野木さん、編集長の宮さん、三重さん、そしていつもの足立さんが御影においでになる。 インタビューのお題は「呪いのコミュニケーション」。 話頭は転々で何を話したのかよく覚えていないのだけれど、その中で「知識がある」ということが今ほど無意味になった時代はないということを話した。 20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつ

    yukio2005
    yukio2005 2008/09/25
    テクノロジーによって消滅した人間の価値は過去にもいろいろあるよ。 たとえば「力持ち」であることは、大昔は生産について重要だったけど、機械化によって社会的にはほとんど無価値になった
  • SECIモデル - @IT情報マネジメント用語事典

    知識の共有・活用によって優れた業績を挙げている“知識創造企業”がどのようにして組織的知識を生み出しているかを説明するため、一橋大学大学院の野中郁次郎教授らが示したプロセスモデル。ナレッジマネジメント(注1)の基礎理論として知られる。 野中らの組織的知識創造理論では、知識には暗黙知(注2)と形式知(注3)の2つがあり、それを個人・集団・組織の間で、相互に絶え間なく変換・移転することによって新たな知識が創造されると考える。こうした暗黙知と形式知の交換と知識移転のプロセスを示すのが、SECIモデルである。

    SECIモデル - @IT情報マネジメント用語事典
  • 知識創造の「SECIモデル」

    野中郁次郎氏は、経営学の立場から組織の知識創造理論を構築し、経営学の新しいパラダイムを世界に発信し ている組織論・経営戦略論の第一人者だ。氏の「SECIモデル」は今も進化している。 最新のSECIモデルに接した塾生からは「目から鱗が落ちた」という声が続出した。 コーディネーターの米倉誠一郎先生が「知の神様、心の師」と仰ぐ野中氏は 「俺たちヤングリサーチャーは〜」と熱く語る永遠の挑戦者でもある。 ■情報処理から知識創造へ マネジメントをナレッジ(知)で切ると何が見えてくるか。これが私がずっと取り組んできたテーマである。 しかしながら、最初は情報処理(インフォメーションプロセス)理論の全盛期。企業や人間を情報処理のマシンと捉え、組織は情報処理に限界のある人間をマネジメントするためにある、とするマネジメントセオリーに心服していた。この理論では、マーケットの多様性、情報処理の負荷に対してもっと

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