タグ

ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (3)

  • 朝日新聞(08・9・28)「耕論」『「貯蓄から投資へ」?』 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新聞を読むのを読書とはいわないだろうが・・。 最近、池田信夫氏のハイエク論や小幡積氏の資主義論などを読んできた。市場とは何かとか、資主義とは何かという話題である。たまたま今日の朝日朝刊にそれにかかわるような話題が載っていた。「耕論」という欄の『「貯蓄から投資へ」?』である。現在、政府は証券優遇税制というのを推進しているのだそうで、その是非につき、三人のひとが自論を展開している。賛成派が勝間和代さんというひと。中立派が小宮一慶さんというひと、反対派(?)あるいは無関心派(?)が橋治さんである。 勝間和代氏の論:「貯蓄から投資へ」というのはリスクを自分でとれ!ということである。日はもはや通常の産業分野では頭打ちである。これからは金融・情報大国化が道であるとすれば、資に(つまりはお金に)働いてもらう必要がある。日人は銀行に膨大な貯金をしているが、これは死に金である。生きたお金ではな

    朝日新聞(08・9・28)「耕論」『「貯蓄から投資へ」?』 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    河出書房新社 2007年4月 書を読んでみる気になったのは、赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」を読んで今ひとつすっきりしない点が残ったためである。赤木氏の議論では、絶対的な貧困と相対的な貧困が充分に区別されていないように思えた。絶対的な貧困とは「飢えて生きていけない」ということであり、相対的な貧困とは「尊厳がなくみじめである」ということである。 赤木氏は「いまでこそフリーターは、私のように親元で生活できている人も多く、生死の問題とまで考えられていないのですが、親が働けなくなったり死んだりすれば、確実に生死の問題となります。それまでの生活水準を維持できないのは当然として、フリーターの給料では自分ひとりですら生きていけるかが怪しく、ホームレスになるか自殺するかの二者択一になる可能性が高いのです。すくなくとも家が資産家でもなんでもない私は、その二択を迫られるでしょう。/ ちなみに私は、どうせ

    上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 内田樹「私家版・ユダヤ文化論」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    文春新書 2006年7月20日初版 ユダヤ文化全体ではなく、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるか」という問題のみを論じたであるという。 当然それについては、「迫害する側」からの見方と「迫害される側」の見方の二つの対立する立場からの回答がありうる。書でもその双方が論じられるわけであるが、その二つの見方がどのようにつながるのかが、わたくしにはよくわからなかった。 「迫害する側」の論理は「寝ながら学べる構造主義」(文春新書 2002年)の延長で論じられているように思う。一方、「迫害される側」の論理は「レヴィナスと愛の現象学」(せりか書房 2001年)の延長線上である。その二つの部分は文体までもが異なっている。 前者の文体:「サルトルの理路は明快である。理路が明快であることは(仮に間違った主張である場合でも)よいことである。明快なおかげで、私たちは比較的簡単な検証手続きによって、ここには「たいへん適

    内田樹「私家版・ユダヤ文化論」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 1