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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (69)

  • 脆弱とマヨネーズ - 傘をひらいて、空を

    世の中にいるのはみんないい人だと思っていた。僕は二十七歳で、パリ近郊の鉄道駅にいて、一文無しになったところだった。 会社が海外でMBAを取らせてくれるというからフランスに行くことにした。ラッキー、と思った。学校では主に英語を使うけれど、現地語もできなくちゃいけない。ぜんぜん休めなくて、「ちょっとこれはまずいかもしれないな」と思ったところで大学の休業期間に入った。バックパックを背負って周辺をくるりと回って、住処の近くのターミナル駅まで戻った。そんなに長くフランスに住んだわけでもないのに、早くもホーム感があった。部屋に帰ったら、すごくだらしない格好で寝そべって、何ひとつしないで眠りこんでやろう、と思った。 おい、あんた、コートがえらいことになってるぞ。声をかけられて自分の背中を見た。もちろん見えない。声をかけてきた男は斜め上から僕の背中をのぞきこみ(僕だって小さくはないけど、彼はアフリカ系で、

    脆弱とマヨネーズ - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/09/12
    今回の話は、いつもより寓話っぽい。
  • メイクと実存 - 傘をひらいて、空を

    年に一度、友人にメイクを習いに行く。友人は何段にも分かれたメイクボックスを持っていて、いくつかの色をわたしの顔にあてる。彼女は眉の描き方を修正し、アイカラーとアイライナーを変えて塗り方を教示し、新しいアイテムとしてハイライトをわずかに使うことを提案して、実際に塗ってくれた。 わたしは彼女の指示をメモする。彼女がつくってくれた「今年のわたしの顔」を撮影する。彼女はアイカラーをふたつくれる。いくらでも買っちゃうから、もらって、と言う。メイクボックスの薄べったい抽斗に目をやると、ずらりとアイカラーが並んでいる。必要があってこんなに買うのではないの、と彼女は言う。だからあげても問題はないの。コスメを買いすぎるのはね、実存の問題ですよ。 実存の問題、とわたしは言う。実存の問題、と彼女も言う。そうしてぱたりとメイクボックスを閉じる。 わたしは母の鏡台を思い出す。父方の祖母のお下がりで、ものすごく古かっ

    メイクと実存 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/09/07
    ちょっと分かりやすいかなぁ。でも短い話で上手く纏めるには、これくらいのクリアな感じが適切なのかもしれない。個人的な希望としては、もっと読後感が悪い話を読みたい。
  • このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね - 傘をひらいて、空を

    出版市場は実は縮小していない。出版されるの数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。 わたしの職能は雑誌編集、単行企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社

    このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね - 傘をひらいて、空を
  • 呪いをかけられなかった娘 - 傘をひらいて、空を

    三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われる

    呪いをかけられなかった娘 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/08/14
    「よくわかりましたねえ、バカのわりに」この方の文章を愛読しているけれど、ここはリアリティがない。私の母親(まあまあ美人)は、バカなので基本バカなことしか言わない。切ないがバカとはそういうものである。
  • ユキコはいい子、いつも、ずっと - 傘をひらいて、空を

    ユキコはまじめな女の子だった。わたしたちは中学生で、同じ塾に通っていた。保護者が熱心に勉強させている家庭の子が行くたぐいの塾で、入塾試験が難しいと評判だった。わたしは間違って入ってしまったみたいな感じで、いつもびりに近かった。ユキコは精鋭の中にあって上位25%のクラスにずっといる成績優秀な子どもだった。 ユキコはきれいな女の子だった。ひょろひょろと背ばかり伸びて、中学一年生としても幼い印象だったけれど、細面の整った顔だちで、所作が端正だった。毎朝きっちり編んだ三つ編みを崩すことなく、塾の入り口のベンチで親の迎えを待っているときにも背筋がぴんと伸びているのだった。 わたしとユキコはクラスがちがったけれど、親の迎えがときどき遅れることは共通していた。塾の入り口にはそうした子どもたちを想定してか、いくつかのベンチがあり、わたしたちはそこで仲良くなった。ベンチのそばには紙カップが出てくるタイプの自

    ユキコはいい子、いつも、ずっと - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/08/01
    個人的にはもうちょっとだけ、渋みが欲しい。
  • シンデレラボーイの妻 - 傘をひらいて、空を

    夫のことをよく知らない。 夫と知り合って十五年、結婚して十二年になる。わたしは夫の仕事の内容や給与や日常のルーティンやべ物の好みを知っている。何に対してセンシティブで何について無関心かだいだい把握している。暇になるとすることのパターンもわかっている。小学生の息子に対する教育方針を話し合う過程で新しくわかることもある。夫婦の会話は多いほうだと思う。 夫は繁忙期だけ帰りが遅い。この時期は夜半まで帰らない。息子が宿題の話をする。自分のルーツを知る、というような宿題が出ているのだという。ルーツ、とわたしは思う。 そして思い出す。わたしは夫の過去を知らない。夫の親や親族に会ったことがない。夫の古い友だちに会ったこともない。それどころか新しい友だちにも。わたしは夫のことを、実は知らない。わたしと一緒にいるのではないときの、夫のことを。 そんなことって、あるんですか。友人が言う。あるんですとわたしはこ

    シンデレラボーイの妻 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/07/23
    話そのものが、というよりありきたりな結婚という制度を、「シンデレラボーイ」という発想に持っていったこと、それを妻の知り合いに語らせる形式をとったことが凄いな。
  • 送り盆の日 - 傘をひらいて、空を

    ときどき、自分の頭に不満を持つ。私が考えたいこと、覚えていたいこと、想像したいことに脳が追いつかないときに、不満を持つ。頭が悪い、と思う。誰と比べて、というのではない。私の欲望に対して、私の頭が、悪い。 夜の夢はあまり見ない。年に何度か、ほとんどはとても単純な、パターン化された夢を見る。半分ちかくが逃げる夢で、半分ちかくが人の死ぬ夢である。要するに私は、逃げてきて、そして、死んだり死なれたりするのが怖いのだろう。ひねりがない。恐怖にクリエイティビティやオリジナリティがない。 人が死ぬ夢は近ごろ簡略化されて、すでに死んだ人が出てくるようになった。死んだ人が隣にいて、私はその人が死者だとわかっている。そういう夢である。複雑なストーリーなどはない。ただの一場面である。 人と並んで歩くときの位置は決まっている。私が左側である。どういうわけか自分でもわからないが、ずっとそうしている。右に人がいると落

    送り盆の日 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/07/18
    静かでロマンティックな話。
  • 可愛いだけが取り柄でしょ - 傘をひらいて、空を

    犬を飼おうと思う。 わたしがそのように言うと彼は首を曲げてこちらを見たあと、ゆっくりと元に戻した。そうして、いいんじゃないですか、と言った。この人が敬語を使うのは、わたしに何かを言い聞かせたいときと、もっと突っ込んで聞いてほしいときである。そこでわたしは尋ねる。うちに犬がいたら、あなた、あまりよい気持ちがしないかしら。もちろんここはわたしの家だから、好きにするのだけれどもねえ。 わたしたちはこの一年ほど、週末にたがいの部屋を行き来している。わたしたちはいずれも一人暮らしで、少なくともわたしはそれをやめるつもりがない。住まいは都市のマンションであって、庭などはないから、犬と暮らしたいなら小型の犬種を室内で飼う。ここまでは確定事項である。 彼は言う。犬は嫌いではない。アレルギーとかもない。犬のいる家に行く程度なら、とくに問題は感じない。見ているぶんには可愛いと思う。進んで飼いたいとは思わないけ

    可愛いだけが取り柄でしょ - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/07/09
    つるんと終わる短い話なのに、何かが引っかかってつるんと納得できない私がいる。私自身が納得できない理由を、どうか 誰かに教えて欲しい。
  • 親密さの設計 - 傘をひらいて、空を

    二十歳のとき、「作戦を立てずに生きていたらいずれ人間関係がなくなるな」と思った。わたしは基的にひとりでいたかった。自分の家族を持つにしてもひとりでいる時間はほしいと思った。昔の村社会みたいなところに所属するのはいやだった。でも完全にひとりになるのがよいのではなかった。 個人としてぶつかるあらゆる問題のもっとも身近な対処例は親だ。わたしの親はたがいにいくらか親密に見えて、あとは数名の親戚があった。母親には年に二度ばかり会う友人が一人いて、ほかにも少しは知り合いがいるようだった。父親は会社の人間関係と自分のきょうだい以外に親しく口を利く相手はいないようだった。会社の人間関係は退職したらそれきりだろうというのもよくわかった。両親にももちろんその両親がいたが、いずれもすでに亡かった。 わたしは思った。この人たちみたいなのは、無理だ。両親のたがいの親密さもさほど強くないように思われるのに、近所づき

    親密さの設計 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/07/02
    この方の書く話は最近寓話的なものが多かった。しかし久しぶりの、足下をすくわれるかと思う一撃。確かに自然な出会いには、不自然な演出が不可欠。
  • この町を出て、永遠に戻らなかった - 傘をひらいて、空を

    東京の下町に生まれた。放課後の主な居場所だった区立図書館には「郷土の棚」というのがあって、区内の歴史だとか、区内を題材にした落語を集めただとか、区内が登場する近代文芸のオムニバスだとか、そういうのが並んでいた。気が向いていろいろ読んだら、都市計画の大家が私の出身地一帯を指して「東京のスラム」と称していた。私は十二歳で、スラムということばを知らなかったから、辞書のコーナーに行って引いた。そこにはなんだかたいへんな印象の漢字が並んでいた。都市、貧民、貧困、密集、荒廃、失業。 私が子どものころに住んでいた小さな一戸建てはトタン屋根で、隣もその隣もそうだった。雨が降ればばらばらと大きな音がするもので、窓をあけて手を延ばしたら隣の家の壁に触れるものだった。戸主が年をとって銭湯に通うのがきつくなるとようよう自宅に風呂をつくる、そういう町だった。敷地の大きい家はたいてい町工場を兼ねていた。町にひ

    この町を出て、永遠に戻らなかった - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/06/25
    永遠に失われれた記憶への、甘い思い出の話。
  • 生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を

    西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇くんは進学校に行くつもりであるらしかった。わたしたちの中学校はどちらかといえばガラの悪い下町の公立校で、わたしたちはだから、相対的に優等生だった。 西脇くんは背の高いがっしりした男の子で、もじゃもじゃの髪を中学校の校則ぎりぎりまでのばしていた。黒縁のめがねをかけていて、そのめがねは上等のものだった。わたしは工芸に詳しくなかったけれど、それでもわかった。 そのめがね、いいね。わたしが言うと西脇くんはそれを外し、制服の裾でていねいに拭いて、見る、と言った。わたしはありがとうと言ってそれを見た。一見ふつうの黒いフレームのめがねだったけれど、流麗なフォルムをしていた

    生徒会長から雲をもらった話 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/06/19
    個人的には、男女の友情というものに懐疑的派。しかし間に芸術を介することで、友情というかある種柔らかな人間関係が成り立つんじゃないかと感じている。つまりこれは彼氏じゃない「仲良し」の男の子についての話。
  • 憤怒の才能 - 傘をひらいて、空を

    嫉妬って怖いですよね。歓送迎会でよく知らない人がそう言うので、そうなんですね、と私は言った。とくに意味のない、社交上のせりふである。歓送迎会はまとめてやるので、ふだんはかかわりのないよその部署の人がいるのだ。 そうなんですね。私が相槌よりやや疑問に寄った四文字を発すると、そうですよと彼は言う。俺すごい嫉妬されるんで困ってるんですよ。 彼はそのように言う。恋愛相談だ、と私は思う。唐突だと思う。私の理解によれば、嫉妬というのは「あなたは私だけに恋していると私は思い込んでいたのに、そうじゃなかったんだ、あなたは別の人を好きなんだ、その人は私ではないんだ。私の世界はまちがっていたんだ、そんなの認めたくない」という感情である。 私があなたの好きな人のようであったらよかったのか。でも私はそのようでない。あなたはその人を好きになった。私はかなしい。私はくやしい。あなたが私を好きなあなたのままでいなかった

    憤怒の才能 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/06/11
    この余韻を感じさせる物語に対して上手く感想を書きたい気持ちがするのだけれど、私の少ない語彙が内容の濃さに太刀打ちできないことが、悔しい。
  • 嘘つきサキちゃんの不払い大冒険 - 傘をひらいて、空を

    サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきがいます。サキちゃんは後者でした。完全にほんとうだと思いこむと嘘がばれないように操作することができません。サキちゃんはそのさじ加減が絶妙でした。嘘を嘘と自覚しながら意識の中ではほんとうと思い込む。サキちゃんはそういうタイプの嘘つきでした。 サキちゃんの妹はやがて、それほど派手な嘘をつかなくなりました。姉妹が中学生のときのことでした。嘘つき姉妹は解散し、嘘つきサキちゃんだけが残りました。サキちゃんは妹を軽蔑しました。正直になった妹は地味で、ださい連中と一緒にいて、いつだってキラキラのすてきなグループにいたサキちゃんとは格が違っていたからです。 サキちゃんは大

    嘘つきサキちゃんの不払い大冒険 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/06/04
    真っ黒な童話。
  • 夫が病気になったので - 傘をひらいて、空を

    朝はテレビのニュース番組をつけっぱなしにして、見ていたり見ていなかったりする。わたしの家の朝の日常的な光景だ。夫は決まってトーストとコーヒー、わたしはそれに加えてヨーグルトかチーズをべる。トーストを焼くのは夫、コーヒーを淹れるのはわたしである。娘が生まれる前は朝に火を使うこともあったが、今はそんな余裕はもちろんない。娘はパンをあまり好まないので、まとめて作って冷凍しておいたいくつかの味つけのおにぎりをレンジアップしてべさせる。べないこともあるが、わたしも夫もあまりうるさくは言っていない。 今朝は娘が自ら保育園に行く支度をしたので少々の余裕があり、ニュースを横目で見ながら感想を述べた。さる医科大学が女性受験生の得点を割り引いたというもので、非常に差別的かつ複合的な問題を感じさせる事件だ。それを見たわたしは当然怒った。ひどい事件だ、と言った。すると夫が言った。しかたないんじゃないの、女

    夫が病気になったので - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/06/01
    ぞっとするようなクリエイティビティを感じるが、素晴らしいと手放しで讃えることができない。なぜなら日常のギリギリの真実を、薄い薄いオブラートにくるんで上手に書いているから。“そこ”は薄目で見るところ。
  • わたしの部下は口を利かない - 傘をひらいて、空を

    榊さんは口をきかない。そういう人なのだそうである。聴覚障害ではない。発声器官に障害があるのでもない。特定の場面、たとえば学校や会社などで口をきけなくなるのだという。榊さんは一度も口を利かないまま同じ会社の別のフロアで何年かアルバイトをして、仕事ぶりが非常によいので、正社員になってもらったのだけれど、部署の上司が転勤することになったというので、人事からわたしのところに話が来た。「口きかない部下って、受け入れてもらいにくいんですよ。でもあなた気にしないでしょ」という。会議で発言できないとなると、担当できる仕事はかぎられるが、それでもいいのだという。 そんなわけで榊さんと面談をした。面談といっても、言語を発したのは榊さんの上司(転勤予定)と人事担当とわたしである。榊さんは音声を発しない。あいさつも無言の会釈である。そうして目をいっぱいに見開いてわたしを見ている。表情はほとんどない。ぴしりと背筋が

    わたしの部下は口を利かない - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/05/30
    あら今度の話は、ちょっと童話みたい。可愛らしい雰囲気ですね。
  • 蟻の女 - 傘をひらいて、空を

    これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、その場所は僕が高校生のころまでいた、いわゆる実家で、そうして僕はこう言ったのだ。肩もんであげようか。 女親の肩を揉むことが僕には知らない女とセックスするよりはるかに大変な行為なのだった。かわいそうにね。かつて僕にカネを払ってホテルに連れ込んだ女がそう言っていた。お母さんに一度も頭を撫でてもらえなくて、かわいそうにね。でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。 そのころ僕は大学生で、女と寝てカネを稼いでいた。僕はたいそうな大学に通っていて気が利いて顔も悪くない若い男で、だから上等だった。僕は高く売れた。女なんか簡単だった。僕みたいなのを好むタイプをフィルタ

    蟻の女 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/05/23
    King Gnuの「The hole」という曲(心にあいた穴について歌った、それはそれは美しい曲)を聴いた時に感じた、切ないというかなんとも言えないやるせない気持ちを思い出させる話だ。
  • 知らないなんて許せない - 傘をひらいて、空を

    ソーシャルメディアをぜんぶ閉じた。ものを書いたときの通知に使用するSNSアカウントを一つ残したが、そこでも一切の相互性を排除した。誰もフォローしない。リプライはしないし、見ない。シェアや「いいね」はもとよりほとんどしないが、徹底してゼロにする。 インターネットで文章を書いて十数年になる。書いているのはフィクション、それから人が書いたフィクションに対する感想文である。ふだんはコメント欄のないブログで延々と書いている。たまに注文原稿の依頼が来る。注文に沿うように努力をするが、いつも注文どおりに書けるのではないし(あきらかに書けない内容の依頼だと辞退する)、しょっちゅう依頼があるのでもない。だから私はプロではない。基的には自分のために無料の文章を大量に書いている愉快なアマチュアである。 私は社交をしないのではない。インターネットでもいい文章を見たら賞賛の感想文を書いてアップロードして人にUR

    知らないなんて許せない - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/05/07
    私は見知らぬ他人であるこの方の文章を読みながら、半年近い養育費の調停を乗り切ったところがある。でからこの方には、ずっと“愉快なアマチュア”でいて欲しいと心から願ってやまない。
  • あなたはこうしてキモくなる - 傘をひらいて、空を

    人間関係におけるキモさというのは、僕が思うに、舐めながら期待しているときに生じるんです。なんていうのかな、「この程度の相手であれば、自分をよく扱うだろう」という感じ。好意が発生するときにはしばしば期待がともなうものだけど、そこに相手を見下げた感覚とか、所有感みたいなのが入ると、一気にキモくなるんです。 僕、モテるんですよ。こう見えて、実はすごくモテるんです。なんでだかわかりますか。「ちょうどいい」からです。それで、誰にモテるかっていうと、自信がないんだけどいつか誰かが自分だけの良さを認めてくれると思ってる女の子にモテるんです。自分だけの良さって、何かっていうと、別にないんです。具体的にはとくにない。あってはいけない。なぜかというと、それは自分を好きになった男が見いだすべきブラックボックスだからです。自分の長所を自覚すると、他人と比べたときにたいした長所じゃないってわかっちゃいますからね。彼

    あなたはこうしてキモくなる - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/05/01
    いつもよりちょっとギクシャクしてる気がする。なぜなら“女性のキモさ”という、一般的にはアンタッチャブルな領域に踏み込んでいるから。
  • 邪悪 - 傘をひらいて、空を

    子の保護者と思われる女性が子の髪をつかみ強く揺さぶった。あんたは、あんたは、と女性は叫んだ。比較的すいた、平日昼間の電車のなかでのことだった。車内には私をふくめ、仕事中の移動と思われる格好をした大人、学生らしき若者、老夫婦などがいた。全員が一斉に、女性と子を見た。女性は子の前に立っていた。子の隣の席に座っていた私には、髪の抜ける音が聞こえた。その音に被せるように女性は叫んだ。親に向かって、親に向かって、親に向かって。 子への暴力が見受けられ、保護者の精神の不安定さが推察され、しかも駅員を呼ぶ時間はない。したがって赤の他人である私が介入することはやむを得ない。そう判断して母子の間に割って入ろうと立ち上がると、私の足に、足が当たった。子の髪をつかんでいる女性の足ではない。子の足だ。私は子を見た。女の子だ。十歳か、十一歳くらい。きれいな身なりをしてスマートフォンを持っている。冷静な顔でうっすらと

    邪悪 - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/04/24
    絶対見たことないはずなのに、この光景を見たことがあるような気持ちになってしまう。
  • 砂糖菓子のお城の王さま - 傘をひらいて、空を

    愛に飢えているのですよと彼は言った。嘘だねと私はこたえた。あなたが飢えているのは愛じゃないよ、どう考えても。それから私たちはなんだか可笑しくて笑った。日常語でないと言われる語彙を、私はわりに平気で口に出すけれども、誰にでもというのではなくって、慣れが必要で、彼はあまりそういう語を口にしたことのない相手なのだった。 十年を過ごした恋人と泥沼の挙げ句に別れてから彼はずいぶんと野方図で、デートの相手を幾人もつくり、色も恋もない話し相手にすら性別が女であることを好むところがあった。以前は年に二度かそこいらしか会わない薄い友人だったのに、そんなわけで私にもなにかとお呼びがかかる。職場の近くで軽く飲みながら女たちに関する話を聞いてやるのが私はそんなに嫌いではなかった。なぜなら彼はみじめで可哀想で、いかにも不安定に見えたからだ。私は可哀想なものにえさを投げるような行為が好きだ。そういう自分を卑しいと思う

    砂糖菓子のお城の王さま - 傘をひらいて、空を
    yuriyuri14
    yuriyuri14 2019/04/24
    この方の文章は、ちょっとワクワクする。そして私にとってこの“ちょっと”というのが、なんとも良いあんばいなんだよなー。