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lifeとdisasterに関するyyamaguchiのブックマーク (20)

  • 5歳のあの日、大切な母を失った けれど… 阪神大震災遺族代表 | 毎日新聞

    震災で亡くなった母の形見のマフラーを首に巻き、遺族代表として追悼のことばを述べる鈴木佑一さん=神戸市中央区の東遊園地で2024年1月17日午前5時59分、山康介撮影 1995年の阪神大震災から29年となった17日、神戸市中央区の東遊園地で追悼行事「1・17のつどい」が営まれた。母富代さん(当時44歳)を亡くした鈴木佑一さん(34)=同市須磨区=が遺族代表として、追悼のことばを述べた。 ことばは次の通り。 追悼のことば 震災の日5歳の私と母と兄の3人は2階建ての神戸母子寮の建物の1階で生活していました。 地震で建物が倒壊して私は生き埋めになっており、知らない人たちが私を助け出してくれて、を渡してくれました。

    5歳のあの日、大切な母を失った けれど… 阪神大震災遺族代表 | 毎日新聞
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2024/01/21
    「よく聞かれたことがあります。あの時震災が無かったらどうなっていたかと。私は震災で大切な母を失いました。しかし、震災の後に多くの素晴らしい方々に出会い支えてこられてきたことも事実です。」
  • 未来を照らす(28)シンガー・ソングライター さだまさし

    シンガー・ソングライター、小説家、「風に立つライオン基金」の理事……と いくつもの顔をもつ、さだまさしさん。 多忙な中で続けてきたのが東日大震災をはじめとする災害や医療の支援です。 昨年は仲間と共に介護や福祉施設への支援も行いました。 一方で、セルフカバーアルバムを制作し、コンサートを開催するなど、 音楽の灯を守るための活動も続けています。 さだ・まさし 長崎市出身。シンガー・ソングライター、小説家。1973年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。1976年ソロ・シンガーとして活動を開始。「関白宣言」「北の国から」など数々のヒット曲を生み出す。 通算4,450回を超えるコンサートのかたわら、小説家としても『解夏』『風に立つライオン』などを発表。多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。 2015年、一般財団法人 風に立つライオン基金を設立(2017年に公益法人として認定)。さまざま

    未来を照らす(28)シンガー・ソングライター さだまさし
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2021/05/06
    「家族を亡くし、財産をなくし、家をなくした人たちが、僕と一緒に大きな声で歌ってくださる姿を見ると、音楽ってもしかしたら無力ではないかもしれない。微力だけれどゼロではないんだ、と勇気をもらいました。」
  • 石巻の新しい生態系。もやもや女子が描く「おもしろい町」(Yahoo!ニュース)

    「自分のやりたいことや目標、自分なりの答えを最初から明確にもっていたのだろうな」 被災地に入って支援活動に携わる人たちを、私はそんなふうに思っていた。 私にはそのような活動をした経験はない。傍から見ていて、勝手にそう思い込んでいたのだった。 宮城県石巻市を訪れた時も、その先入観は変わらなかった。活動している人たちが、確信を持って行動している、迷いの少ない人のように見えた。なんとなく人生を過ごしてきた自分とは考えも行動も全く違うのだろうな、と。 取材に入ると、その先入観はがらがらと壊れた。そこにいたのは私と同じ普通の人たち。迷い悩みながらも一つ一つ目の前のことに取り組んでいき、その結果、自分の目指したいことをつかんだ人たちだった。 その中の一人、埼玉県上尾市出身の渡邊享子さん(28)にフォーカスする。 「自分自身に『これ』っていうものがなかったから、今も町の中に居場所をいただいてお世話になり

    石巻の新しい生態系。もやもや女子が描く「おもしろい町」(Yahoo!ニュース)
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2016/05/28
    「夢中になって没頭しているような人のそばにいて、それをつなげていくと、すごくたのしい。自分もできた気分になれるんです」
  • 弁護士と銀行員が語るこれからの防災――日本の強み「災害レジリエンス」とはなにか?/岡本正×蛭間芳樹 - SYNODOS

    防災に弁護士と銀行員!?実は、日の防災には法と金融の力が欠かせなかった。東日大震災で無料法律相談を先導してきた弁護士の岡正氏と、防災・減災に取り組む企業を評価するBCM格付け主幹の蛭間芳樹氏が語る、日のこれからの防災の話。(構成/山菜々子) 蛭間 東日大震災から5年を経過し、日の防災はどのように変わってきたのか。今日は、弁護士の岡さんと銀行員の私とで、防災や危機管理の話をしたいと思います。読者の皆さんは、なぜ、この組み合わせで防災の話を? と思われる方もいるかもしれません。 岡 一般的には、備蓄や耐震化が「防災」のイメージだと思います。あるいは、「津波を予期したら自分の判断で率先して逃げる」「地震がきたら安全な場所に隠れたり、身を小さくする」いった、災害が起きた瞬間に命をどう守るかについて。もちろん、それらこそが最も大切な「防災」であることは疑いません。 ですが、仮に命が

    弁護士と銀行員が語るこれからの防災――日本の強み「災害レジリエンス」とはなにか?/岡本正×蛭間芳樹 - SYNODOS
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2016/03/11
    「日常生活の、あたりまえのつながりが、災害後には逆転して様々な悩みと困難の根源になってしまうのです。そのようななかでも、少しずつ生活を立て直すためには、まさに「法律」と「金融」のしくみが重要」
  • なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか あいまいな死に寄り添い生きる

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか あいまいな死に寄り添い生きる
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2016/02/11
    「被災地の人々が多様な死者へ払っている敬意から私たちはもっと学ばないといけない。死者の思いを受け止めない慰霊は、誰の感情に寄り添っているのか。もっと被災者の視点から問われないといけないのです」
  • 今を生きる 灘中・高教諭辞め福島移住 学習指導で恩返し 復興人材育成へ | 東日本大震災 | 福島民報

    高校生に効率的なノートの取り方を指導する前川さん=福島市・学法福島高 ■阪神大震災を体験 前川直哉さん 37 教育を通じ福島の復興に尽くす-。神戸市の進学校「灘中・高」教諭を辞め、福島市に移り住んだ前川直哉さん(37)は、学習支援組織をつくり高校生に受験勉強などを教えている。高校3年で阪神大震災を体験。全国各地からの支援が心に染みた。あの時の恩返しがしたい。「地域をよみがえさせるには、人材育成が何より必要だ」との強い信念を胸に県内の教壇に立つ。 前川さんは東京大経済学研究科の特任研究員を務めている。22日、東大生6人と福島市の学法福島高を訪れ、生徒とともに同校の化学の模擬授業を受けた。終了後、前川さんは東大生と高校生のノートを比べた上で、効率的なメモの取り方や授業の受け方を教えた。 教壇から「皆さんは可能性を持っている。自分の夢に向かって進んでほしい」と呼び掛けた。 前川さんは4月、福島市

    今を生きる 灘中・高教諭辞め福島移住 学習指導で恩返し 復興人材育成へ | 東日本大震災 | 福島民報
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/12/03
    「がれき撤去などのボランティア活動に汗を流した。縁もゆかりもなかった福島だったが、多くの仲間ができた。神戸での教師生活に不満はないが、福島の復興に今後の人生の全てを懸ける決意を固めた。」
  • 中越地震10年:優太さん12歳 夢追い、柔道に夢中 - 毎日新聞

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/10/09
    「10年前のあの日、余震が続く中、3人を捜して歩き回った敏雄さんは「優太は生きる希望だった。レスキュー隊が救ってくれたのは、優太だけじゃない。私たちの命も救ってくれた」と語った。」
  • 朝日新聞デジタル:(語る・つなぐ)写真で伝える宝物 地元リポーター・小沢房子さん 東日本大震災 - ニュース

  • デニム工場に託された、気仙沼の復興の夢:日経ビジネスオンライン

    志を持って、リーダーとして企業や組織を率いる女性たちを紹介するこの連載。第5回となる今回は、東日大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市でデニム工場を営む、オイカワデニムの及川秀子社長にスポットライトを当てる。及川さんは2012年に日政策投資銀行主催で開かれた「第1回女性新ビジネスプランコンペティション」で女性起業震災復興賞を受賞した。 1981年に誕生したオイカワデニム。夫の死とグローバル化の波という2度の苦難を乗り越えて生まれたオリジナルのジーンズは、知る人ぞ知る「通のジーンズ」として名を馳せる。2011年の東日大震災以降は、デニムを使ったバッグの製作を通じて地元の雇用を増やし、被災地域の復興に向けて新たな取り組みを開始した。縫製工場を経営しながら女手ひとつで3人の息子を育て上げた、及川社長の「激動の半生」を振り返る。

    デニム工場に託された、気仙沼の復興の夢:日経ビジネスオンライン
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/03/03
    「私が新潟県・出雲崎町から宮城県気仙沼市に嫁いだのは、今から40年以上前の1969年のことです。」
  • 『生まれ来る子ども達のために』 (制作:福島テレビ)第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 - フジテレビ

    2012.5.16 第21回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『生まれ来る子ども達のために』 (制作:福島テレビ) 福島第一原発から23キロ。福島県南相馬市にある原町中央産婦人科医院の高橋亨平医師は震災直後から診察を続けてきた。目に見えない放射能の恐怖によって住民をはじめ多くの妊婦が避難する中、安全・安心のために高橋医師は被ばく管理や除染活動を自らが先頭に立って進めている。そんな高橋医師は震災から2カ月後にがんを告知された。余命宣告を受けながら放射能と闘う彼の1年を追った。 <5月30日(水)26時20分~27時15分> 「これ以外に道はあるのか…」。震災と原発事故直後から診察を続ける産婦人科医、高橋亨平医師(73)は「なぜ診察を続けるのか」と質問する取材者にそう答えた。 福島県南相馬市の原町中央産婦人科医院は福島第一原発から直線距離で23キロの位置にある。原発事故直後、政府から「

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/01/22
    「安全・安心のために高橋医師は被ばく管理や除染活動を自らが先頭に立って進めている。そんな高橋医師は震災から2カ月後にがんを告知された。余命宣告を受けながら放射能と闘う彼の1年を追った。」
  • 私を変えた運命のカメラ 高校生・釜石望鈴さん | 大槌みらい新聞

    全てが流され、草むらとなってしまった荒野から、新しい花の芽が出るようなものなのかもしれない。その芽がちょっとでも大きくなるように、集まった人たちが水を注いでくれる。大槌町の吉里吉里地区に住む高校1年の釜石望鈴(みすず)さん(15)は、中学生時代は人と接することが苦手で、家からもあまり出なかった。だが、東日大震災発生後、「何かを残したい」と変わり果てた風景の撮影を開始。写真を通じて新たな出会いが生まれ、フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんのカンボジアツアーにも参加した。外の世界に触れることで、改めて地元大槌の復興への思いを強くした。 ともにカンボジアを旅したフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが大槌町で撮影した釜石さん (C) Natsuki Yasuda / studio AFTERMODE きっかけは、震災直後にたまたま見つけたフィルム式の一眼レフカメラだった。津波で被災した母の実家の

  • 遺体に笑顔を取り戻す……『おもかげ復元師』が伝える被災地の現場

    遺体に生前と同じようなたたずまいを取り戻させることで、残された人が死を受け入れやすくする復元師。東日大震災では多くの人々の心を救ったという。 相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール 1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、『震える牛』(小学館)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahi

    遺体に笑顔を取り戻す……『おもかげ復元師』が伝える被災地の現場
  • 「ヒロシマ」撮った90歳、最後の仕事は「フクシマ」

    印刷 メール 「ヒロシマ」撮った90歳、最後の仕事は「フクシマ」 関連トピックス 原子力発電所 福島菊次郎さん=東京・九段、高波淳撮影 原爆ドームの前で暖をとる人たち=1946年ごろ、福島菊次郎さん撮影 津波に流された後、集められた墓石=9月17日、福島県南相馬市、福島菊次郎さん撮影 約65年前、広島を撮った写真家は福島を「最後の仕事」に選んだ。被爆者や「軍事大国・日」を克明に写した報道写真家・福島菊次郎さん(90)が東日大震災で被災した福島県を取材し、「遺作集」を作る準備をしている。福島さんの姿を追った映画の制作も進んでいる。 福島さんは震災前から「原発と原爆は同義語。事故が起きれば核戦争にも匹敵する被害が出る恐れがある」と、著書「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘(うそ)」などで警鐘を鳴らしてきた。 これまでに胃がんや前立腺がんを病み、体重は37キロ。その体で9月、約半世紀使い込んだニ

    「ヒロシマ」撮った90歳、最後の仕事は「フクシマ」
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/07/10
    「「今回の大震災でも、自分だけが生き残ったことを責め、苦しみを抱え込んでいる人が多いのではないでしょうか」この取材を「写らなかった戦後4 ヒロシマからフクシマへ」にまとめ、逝きたいという。 」
  • 事件がわかる | 毎日新聞

    社会に衝撃を与えた重大事件・事故の特集ページです。発生当時の状況や事件の背景、社会への影響について、当時の新聞紙面や写真を使って詳しく解説しています。警察の隠語を紹介した用語集も併せてご覧下さい。

    事件がわかる | 毎日新聞
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2012/03/08
    「震災直後、カゴを持って救援物資を求める被災者の列に晶子さんと並んだ蓮君=昨年3月22日。(写真下)」
  • SYNODOS JOURNAL : 「可哀相なひと」と「困ってるひと」はイコールではない 重松清×大野更紗 

    2011/12/210:49 「可哀相なひと」と「困ってるひと」はイコールではない 重松清×大野更紗  お互いの著書に信頼を寄せる、ふたりの作家の初対面が実現しました。 かたや、数々の賞を受賞し、現在も精力的に執筆をつづける文学界の巨頭、 かたや、今年6月に上梓したデビュー作『困ってるひと』が話題の新人作家。 世代による世界観の違い、震災のこと、文学のこと……。縦横無尽に語りました。 ■「福島」の代弁者にならない 重松 『困ってるひと』の発売からまだ四か月も経っていないけど、毎日がすごく忙しくなったでしょ。 大野 そうですね。ポプラビーチというウェブサイトで連載していたときは、二週間に一回締め切りというペースで必死に八か月間つづけていたので、そのときは書くのが大変でした。が出てからは取材の対応であっという間に時がすぎたというのが正直なところです。 大野 「福島」で取材のお話を頂いたり、福

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/12/02
    「放射線やこれからどうやって生きていくかという事実から少し切り離した心情的な話では、東京の人のほうがストレスを感じ、怯えている印象がある」
  • 自分は仙台に住んでいるんだけど

    1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2011/10/05 00:12:57自分は仙台に住んでいるんだけどさ、内陸だから3月の震災の被害は家が少し壊れるくらいで済んだ。避難所に行かなかったのだからかなりの幸運だ。 それでも震災直後からの1ヶ月間はだいぶ不便な生活が続いた。 ライフラインは全部止まるし、クルマのガソリンだって残り少ない。べ物が、いつどこで買えるかの情報戦も展開されていた。 ある日、朝7時から郊外にあるスーパーへ出かけて、その当時にしてみればかなり多くの料が確保できた。 地元の人なら知っているだろう、震災のどさくさに紛れて、ぼったくりなんてしたあの店で。 これが人のやることか。この非常時なのに、考えているのは目先の金のことだけか。そう家族と話し、憤りを隠さずに帰った。 自宅に戻ると、電気が復旧していた。急いで充電器に携帯電話を繋げる。あの日、我

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/10/24
    「震災のことばかりをつぶやいている。ユニリーバの募金のことは毎日欠かさずツイートしているようだ。毎日毎日、震災のことばかりをつぶやいて、宮城が大変だとか放射能がどうとか、福島はかわいそうだとか」
  • kochikoma.net - このウェブサイトは販売用です! - kochikoma リソースおよび情報

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/08/12
    「ちょうど盆休みにあたる今は、そうやって「祈る」のに最も適した時期なのではないかと思う。」
  • 朝日出版社第二編集部ブログ

    8.11.2011 末井昭第4回 観光気分で被災地巡礼 白夜書房の編集者・末井昭さんが、自殺について、ぐるぐる考えながら書いていきます。 今回は番外編の被災地巡りです。そこで出会った人たちと、人間の霊魂のこと。 「見に行きたい(でも…)」と思っている人、読んでみてください。 震災から4カ月経って、我々夫婦は津波の被災地を見に行きました。 被災地を見に行くことに積極的だったのは、美子chan()の方でした。震災後2カ月ぐらいから「行ってみない?」と盛んに言うようになりました。地元の鉄道会社がやっている、被害の大きかった所をバスで巡る被災地ツアーがあるとか、それに参加するには災害復興に関する調査をしているということが前提になるとか、ネットでいろいろ調べているようでした。 曖昧な返事をする僕に、「テレビの報道だけでは解らないよ」と言うのですが、被災地を観光客のように見て回るのは、家

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/08/11
    「人間は死ぬようにできていて、いろんな死に方があります。今度の津波で、何万人もの人が死んだのでみんなびっくりしますけど、人生とは災害の連続です。そういう世界に生きているということを受け入れなければ」
  • 被災地からのお手紙 :: JKTS - 被災地へ医療スタッフとして行ってきました。短い間でしたが貴重な体験となりました。

    明けましておめでとうございます。 コメント当に当にありがとうございます。 昨年11月末に盛岡に旅行に行ってきました。 盛岡城跡の高台から市内を一望して 遠くの山の向こうの被災地を思ったり わんこそばにチャレンジしたり 伝統工芸品を見たり 陸前高田出身のかたの経営する居酒屋に行ったりとっても有意義な2日間でした。 お仕事以外で岩手に行ったのは 震災以降初めてでしたが道路が隆起していたり 屋根が壊れている家屋を見つけると ついじっくり見てしまうクセがついてしまいました。 募金箱にお金を入れたり、お土産ものをたくさん買ったり 今の自分に出来る支援をしてきましたが、東北のお事はおいしかったし、景色はきれいだし空気も澄んでいて 会う人会う人が優しかったりで やっぱり大好きな場所だなぁと思いました。 陸前高田には1月に入ってから 先日ですが日帰りで仮設住宅とボランティア団体の方対象の健康診断のお

    被災地からのお手紙 :: JKTS - 被災地へ医療スタッフとして行ってきました。短い間でしたが貴重な体験となりました。
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/03/27
    医療スタッフとして被災地に赴いた看護師さんの記録。どれだけ壮絶で過酷な現場なのか→あれ、でも、同様に支援に行った私の友人は、どこに支援に行って何をしたのか外部に一切話してはならないと言われたそうだが…
  • Good night, Posterous

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2011/03/16
    「今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを
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