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ブックマーク / gesubancho.hatenablog.com (8)

  • 『三太』に書いた文章 - gesubancho’s blog

    なんとなく、『三太』に書いた文章のひとつを読み返してしまった。まあ、人間と言うのはなかなか変わらないもんですね。今も同じ様なこと言ってるよ。せっかくなんでそれを載せようと思う。自分でも気に入っている原稿。 『三太』やめてから、まだ2年半しかたってないのか。たいした反響はなかったけど、やった感はある。最大の失敗は(というか予算の関係上しょうがなかったのだが)字が小さすぎたこと。しかもみんな書く量が増えてきて、それに伴い字がさらに小さくなっていって、それで読む人も減ったのではないだろうか。にするという話もあったが、一体誰がするんだ。 このままではまずい、シーンを盛り上げよう、というのが発刊の動機のひとつであったが(最初の編集会議が2005年12月)、お客さんの動員数を考えると特に、今はその当時よりもまずい状況かもしれない。もうこういうものをロハで書く気力はあまりない。私に対する批判でも良いの

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    zaki1010
    zaki1010 2010/08/16
    『生のフィード・バックだと思って聴いていた音が実は前のセットの録音をただ流していただけということがあった。録音だということは最後で分かったことであり、聴いていた音は変えようがない。その事実を知るのと知
  • 「ランダム」について 1 - gesubancho’s blog

    実験音楽の世界で、最近は特に、ランダムな音とかランダムな音の配置がどうのこうのということがよく言われている。何年か前までは、私のやっているような音楽に対して、よくそのような形容がなされていた。では一体ランダムな音というのはどんなものなんだろうか?そこに規則性が見出しがたいような音の並びとか配置を言っているのだろうか? たぶんそうであろう。だが待てよと。もしサイコロを10回振って、その目が全部1だったら、それはランダムな数字の配列だろうか?これは作曲上のメソッドとしても使えるのでそう言っているのであるが、例えば、6拍子で10小節の音楽を作ろうと思い、各小節のどこかの拍に一回音が鳴るようにしようとして、サイコロを投げたとしよう。最初に投げるサイコロの目は1小節目の拍、次は2小節目の拍を決定する。普通は、数字は適度にばらけるだろうから、ランダムな配置がチャンス・オペレーションによって成し遂げられ

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  • gesubancho’s blog

    言葉と旋律 「言葉と旋律」という講座をやります。 ある言葉からどのようなメロディーが導かれるのか? 歌詞に対して自由にメロディをつけることも、もちろん出来る。むしろ作り手の多くは、そうやって自由に歌――言葉をメロディーに乗せるもの――を自分は作っている、そして聴き手の多くも歌はそのように作られるものだ、と思っているのかもしれない。 人が日常で発する言葉には抑揚があり、声を大きくしたり、小さくしたりする他、音(ピッチ)の高低を伴うものもある。それらの音は自然発生的に生まれるもので、特に音高については、この音を高く、次の音を低くしよう、とはっきり意識して発音している人はまずいないだろう。音声言語としての言葉がイントネーションを決定していることが多いのである。 こうした「歌以前」と思われている声の表現の中には、私が「わらべうた」として考えているものも多い。和声進行もなく、使われる音高も少ないが(

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  • 観客数の問題 その2 - gesubancho’s blog

    3連続でお客さんの数が一桁だったので、これはまずいかもと思って、今年になってからの平均観客数を算出してみると、11.43人だった(最高は25人で最低は2人)。これはどういうレベルの数字なのか?間違っても多くはない。しかし、こんなもんでしょう、という気がしないでもない。とりあえず二桁にはなっているし(今のところ)。冷静になって考えてみると、もう何年もこんな感じだったように思う。もちろん希望としてはもう少し入ってほしい。せめてあと3〜4人くらい増えないだろうか、何か打つ手はないだろうかと悩む。もともと売れる音楽じゃないから、売るための努力はむなしいが、多少状況を変える努力はしなくちゃいけないだろう。でもどうすればいいのかな。私なりに色々やってきたつもりだし、これからもこりずにやるだろうけど、それでも集客的なことに関しては実りがほとんどない。地道に続けていけば報われる、なんていうことは私がやって

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    zaki1010
    zaki1010 2009/05/01
    ここまで極端な状況の人は少数派かもしれないが、アマチュア音楽家の大半は多かれ少なかれこのような構造のなかにいるように思う。
  • 最近 - gesubancho’s blog

    『刑事コロンボ』をよく観ている。『水戸黄門』並みに多いお約束の数々。だけど、これが面白くて観てるようなもんなんだよね。中には筋書き的に、これちょっとおかしいんじゃないの、というのもあるが、要はコロンボの立ち振る舞いが楽しめればそれでいい。最初は定番の小池さんの吹き替えで観ていたのだが、ピーター・フォークの声も味がある。物真似研究中。 話は変わって、せっかくマンドリンを持っているのでブルーグラスでも練習してみようという気になって、色々聴いたり譜面を見たりしてほんの少しは弾けるようになったのだが、しかし、それが一体何なんだという気持ちが残ってしまう。結局ただの趣味じゃないの。さらに思うのは、もともとこういう音楽は(ブルーグラスに限らずブルースでもジャズでも)、それが生まれる共同体とか時代的な必然性があって発展してきたものであったのに、今はそういう背景はなくなってただの抜け殻になっている。果たし

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    zaki1010
    zaki1010 2009/03/18
    『練習してみようという気になって、色々聴いたり譜面を見たりしてほんの少しは弾けるようになったのだが、しかし、それが一体何なんだという気持ちが残ってしまう。結局ただの趣味じゃないの。』同感に思うときがあ
  • 楽譜 - gesubancho’s blog

    ここ何日か、海外での自分の評判が気になって検索して色々見てたんですが、何というか恐ろしく不評ですね。こりゃCDも売れんし、ライブの誘いもないわけだ。もちろん気に入った人もいるでしょうが、そういう人はあまり書かなくて(多少はあった)、多くは憤慨している人が書いているから、かなりきついものがありました。知ってる人も結構いるんだよなぁ。それなりに落ち込みましたが、「勝手にやってください、こちらも勝手にやるんで」と思い直してあっという間に回復しました。 ところで、音楽批評というと大概は、CD聴いたり、ライブ観たりして、それへの批評ということになるんだけど、他にも対象となるものがあります。ひとつは楽譜。楽譜もメディアだから、それを演奏してみる、ということもあっていいでしょう。それについて何かを語ることができるはずです。ところがそういうのはあまりない。楽器が出来なくても、五線譜が理解できなくても、そん

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  • さりとて、即興と作曲、マンフレッド - gesubancho’s blog

    佳村萠さんとの『さりとて』が今年の5月にスイスで演奏される。主催はヴァンデルヴァイザー・グループのJuerg Frey。それで譜面をずっと書いていた(その作業で自身の老眼の進行を知った)。一応歌とギターの譜面はあるが、ふたりでずっと演奏しているうちに少しづつ変化したし(CDも譜面と違う)、スイスでやるときの伴奏はチェンバロとチェロなので、思い切ってスイス用に新しいのを作った。 問題は歌詞で、日語で歌ってもらうのはどうかと思ったので、英語ヴァージョンを作ってみた。日語だとだいたい一文字一音ですが、英語だとそうはいかないので、うまくいかない時は少し言葉を変えたりして、なんとかでっちあげた。作詞家(萠さん)にもチェックしてもらいましたが、どうかなぁ。 いきたいがスイスまでいく旅費はなし。 最近は、曲を送ってほしいとか、作曲してほしいとかの話がよく来て、もちろん喜んで引き受けるが、経済的な観点

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  • 音楽 - gesubancho’s blog

    今日『松屋』で牛丼べてたら、いつも以上に店内でかかっているBGMにいらだちを感じた。自分の中の何かがキレ始めているのかもしれない。こんなアホみたいな音楽を一体誰が聞いているのか?もちろん誰も聞いていない。もし流れている音楽がもう少しマシなものだったらどうだろうか?何でもいいが、例えばバカラックだったとしよう。私は個人的にはバカラックは好きだが、それでもイヤな感じはするだろう。事をする時に音楽は要らない。 家の近所に手打ちの旨いソバ屋があるのだが、ここで小さな音量で流れているジャズにも私は我慢がならない。よくある似非高級店の手口である。「うちは他とはちょっと違うのよ」という傲慢さが見え隠れしてしまうのである。勘違いしているんだよな〜。まあ味は良いし、ったらさっさと帰れば問題は何もないが、長時間は居れない。テレビやラジオでも流しているほうがはるかに良心的である。 では、酒を飲んでいる時は

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