今回は前置きなしで、いきなり本論に入ります。明治時代の音楽教育について、「そんな昔の話、令和になった今と関係なくね?」と思う方も多いかもしれませんが、こーれーがー、意外と今の「音楽教育」に直結している話なんですよ。続けます! ◇ 日本の音楽教育の定礎をおこなった伊沢修二は、一八五一(嘉永四)年--ペリーが来航し、彼が連れてきた軍楽隊によって、日本で始めて「洋楽」がパンパカパーンと鳴らされたその二年前に、信州の高遠藩に生まれました。彼は幕末の混乱期に、主に理系の洋学を中心にして学を修め、明治政府の文部省に出仕し、愛知師範学校校長となったのちの一八七五年、二四歳で政府から米国留学を命じられます。 留学した彼は、主にマサチューセッツ州の大学でアメリカにおける師範教育の在り方を中心に学び、この時、ボストンで音楽教育家として名を成していたルーサー・ホワイティング・メーソンの教えを受けます。 帰国後、