「関東平野の隠れキリシタン」を読んでいたら私の住んでいる深谷市の北を流れる利根川流域のことがしきりと出てきた。 徳川家康が生きていた頃、関東平野は利根川をはじめ諸河川が暴れる未墾の土地であり、江戸を発展させるためにはこれの開墾が急務であり、同時に利根川および諸河川の洪水が江戸をもたびたび襲ったためこれの治水が必要であった。 家康は伊那備前守忠次に命じて主に利根川流域の開墾と治水にあたらせた、これは当時の大事業であり、莫大な人員の動員と、当時最新式の技術が採用された。 全国から人員を動員するためこの工事に働く人たちをある種の治外法権においた、その例が大名行列があれば一般の農民町民は平伏させられたが、この工事で働く人たちは平気で働き続けたという。 家康はある時期からキリスト教を弾圧し始めるが、その隠れキリシタンが多勢この治外法権の工事団に入りこんだ、その証拠に利根川沿いにある古い墓地の墓石から