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ブックマーク / osito.hatenablog.jp (2)

  • 黒歴史化している、パソコンが「ネクラな趣味」だった時代 - 「はなごよみ」公式ブログ

    十年前*1にまだちっちゃい子供だった読者の方にはちょっと想像つかない事かもしれませんが、パソコンを趣味にしている事自体が「ネクラ」*2とか「おたく」と呼ばれていた時代が、かつて存在しました。 仕事で使うのでもないのに、自分用のパソコンをわざわざ買うとか組み立てるとかして毎日のように使っている、それだけで「人間の友達がいないから、パソコンを友達にしている」なんてよく言われたものですし、特にパソコン通信の掲示板とか電子メールなど、「生身の人間との付き合いを拒絶して、バーチャル世界に耽溺する」とも言われたものでした。 これはちょうど今で言うなら、アニメが大好きで毎日のように見ている、フィギュアを集めている、美少女ゲームが大好き、メイド喫茶に行くのが好き、こういう連中とほとんど同列に見られていました。*3こういう人が今でも「人間の彼女ができないから、バーチャルな女の子を彼女の代用品にしている」と非

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  • 高学歴社会とブルーカラー離れ - 「はなごよみ」公式ブログ

    かつて、小津安二郎の映画に「大学は出たけれど」(1929年公開)という題名の作品がありました。昭和初期の金融恐慌の時代、大学を出たはいいけど、働き口が見付からない、そんな青年の物語です。また、同じテーマを扱った「東京の合唱(コーラス)」という作品も小津安二郎の映画にあり、1931年に公開されています。 どちらの作品も、大卒のくせに「会社の受付係」とか「サンドイッチマン」の仕事をするなんて非常に抵抗がある、しかし他の働き口はなかなか見付からない、そんな主人公の心情を描いた作品です。特に「東京の合唱」では、人は仕方なくサンドイッチマンをやる気になっても、奥さんが「いくら職がないといっても、世間に肩身の狭くなるような仕事はやめてください」としきりに懇願するわけです。 昭和恐慌から半世紀以上も過ぎた平成不況の時代にも、似たような光景が繰り返されてきており、その影響は現在まで尾を引いています。それ

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    AltNight
    AltNight 2006/09/30
    フリーターがいないと便利を享受できない、じゃあとあとね・・・
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