日雇い労働者の町から福祉の町へ フォークの神様と言われた岡林信康が名曲『山谷ブルース』で「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ……」と歌い、かつて日雇い労働者の町だった山谷。浅草の北方1.5キロほどに位置する、今は台東区清川、日本堤などの住居表示のエリアで、1泊2000円前後のドヤ(簡易宿泊所)が軒を連ねている。 早朝、その日の仕事を求める男たちがあふれ、仕事を斡旋する手配師が蠢き、そして夕方には仕事から帰ってきた男たちで満ちるといった光景は、今は昔の物語。最盛期に日雇い労働者3万人がいたとされるこの町はずいぶん静かになった。 「そうさ。都庁もディズニーランドもおれがつくったさ」 と、豪語する元労働者もいるにはいるが、寄る年波に勝てず、多くは生活保護の受給者になった。近年、他の地から移り住んだ人も少なくなく、「福祉の町」と言われるようになって久しい。一方で、ドヤからゲストハウスへ
