表題の通りです。 たいへん面倒臭かったのでもう二度とやりません。
10月24日夜。 とりあえず京都に着いたはいいが、今日はけっこう走ったしまずは思いきり風呂に入りてえもんだと銭湯を探す。知ってる銭湯となると百万遍のほうまで行かなきゃいけなくて、それはそれでめんどうだなと思いインターネットに頼ってみるとどうやらすぐ近くにあるらしい。入る。っていうか年々銭湯の入浴料が上がっているような気がする。牛乳を飲む。次はコインランドリーである。やっぱりインターネットで探す。最寄りのって聖護院のほうまで行かなきゃならないのか案外ないものだなと思いながら湯上がりで少々寒いなかを走り、洗濯をはじめる。30分ほど暇だということで、御池通りを走り抜け(株)はてなへ急ぎ、セブンイレブンの前で一瞬手を合わせ「いつもお世話になっております」と念じたあとまた急いでコインランドリーへ戻る。なにごともなかったかのように乾燥。 ようやく一息ついて21時頃。京都にいたころ深夜営業してるってんで
10月21日。 名古屋駅ちかくの素泊り2500円(トイレ・浴室共同)を出てマクドかなにかで飯を食う。出発時刻を記録していないので分からないのだけどたしか朝飯食って9時半くらいだったはず。まずは知多半島の先っちょまで行く、そしてフェリーを乗り継ぎ鳥羽へという計画。膝の痛みは大丈夫そう?しかし名古屋駅からまっすぐ南下しようととったルートがいきなりマズかった。素直に19号を下ればもうすこしマシだったんだろうけれど、その一本西の通り(名前が分からん)、高速高架の下の道を走った。ずっと左車線が工事中であった。そして港が近く工業地帯が近くなってくると(築地口駅あたりの交差点で左折したその先あたり)先ほどまでの信号機地獄から一転、大型のトラックが俄かに増え、また交差点には横断歩道がないため直進するにも苦労する*1、橋を渡るにも路肩が狭くて苦労する。 さらに悪いことに知多半島の根本あたりでそのまま産業道路
10月18日。 8時半に起床。沼津駅前で朝飯を適当に食って9時過ぎくらいに出発。静岡県内の国道1号はほとんど自動車専用のバイパスらしく、どういうルートをとったらいいのか悩んだけれど、とりあえず380号線沿いを進むことにする。信号も少なく交通量もそれほど多くないのでしばらくは快調に進めたのだけど……富士市に入ってからはそうでもない、というか、どうやって富士川を越えたらいいのかしばしGoogleMapsを見ながら悩んだ。今回の帰省のために(貧弱すぎてまともにGoogleMapsも使えない)iPhone3Gを4Sに新調したのだった。それがここでようやく功を奏した。ありがとう。 でもって、富士山がすぐ近くに見えるということに気がついたのは富士川を渡る直前。そういえば昨日だって見えていたはずなのにぜんぜん気がつかなかった。けっきょくこの日通して、富士山をじっと見つめたのはそのときだけ、富士川を渡る橋
写真もなにも撮っていないのでブログのエントリとしては何も面白くないのですがとりあえず日記だけ。東京から岡山までのうち、とりあえず1日目。東京から沼津まで。 *** 10月17日。 下宿を出たのは深夜3時半。本当は5時くらいに起きて準備してから出ようと計画していたはずなのに。前日は早く眠らなければ早く眠らなければとそればかり考えていたけれど、けっきょく一睡もできなかった。元気な17日のうちに箱根を越えようという予定だった。はじめてのことだからどのくらい時間がかかるか分からない。分からないから不安になる。不安になって眠れなくて、それじゃあ「元気な一日目のうちに」なんてできるのかとさらに不安になる。くよくよするのはやめよう、とりあえず早く出れば早くには着くのだろうということでとりあえずもとりあえず、家を出たのが3時半。 東海道を行くならとりあえず日本橋から出ねばなるまいと日本橋。深夜というか早朝
みなさんお久しぶりです。おはこんばんちは(やっちまった感)!今日はいたく寒い一日でしたが、各地でお花見など催されていたようで、もしかすると皆様のなかにも「今日お花見行ってきたよ!」なんて方がいらっしゃるかもしれません。流行に敏感な青年であるところのぼくももちろん桜を見物しにひとりワンカップを飲んできましたので、その写真をすこしだけ皆様にもご覧いただこうとおもっています。 とはいってももちろんこの時期ですからそれほど盛大に咲いているというわけでもなく。ああ諸君あれが東京の空だ、夜の空さえ輝いて見えるのだ。まだ見ぬ未来都市がここに!そんな近所の公園、かじかむ手を躍起になって押さえながら、未来都市には緑が多いのねとロマンチックなおもいを慰めていました。 ワンカップを右手に持ち無駄に気取っているぼくはピントを合わせることもままなりません、手のブレもおさまりません。故郷のお父さん、お母さん、元気でい
そんなこんなでもう12年も経って、それはつまり、僕の人生の半分は彼なしでやってきたのだということになる。僕が小5の頃の話で、年々思い出せることは少なくなる。もちろん欠席している奴は手を挙げられないわけで、何を忘れてしまったのかなんて分かるはずもないけれど、それが減ってきているんだということくらいは僕にも感じとることができる。 もしかすると、風化するに任せるのが健全というものなのかもしれない。そうだそうだ、「人間は思い出を忘れることで生きていける」だっけか。…そんな台詞がすぽんと頭の抽斗から出てきたものだから、これなんだっけとしげしげ眺めていると、分かった、碇ゲンドウだ。そしてこの台詞の続きが「だが決して忘れてはならないこともある」であったことも思い出した。 今からこうやって書きつけることが「決して忘れてはならないこと」なのかどうかはよく分からないけれど、まあゲンドウの言うことなんてそれほど
そうだな、たしかにあいつは、おれと同じ褪せ人だった。エビが好きなやつに悪人はいねえ。おれはそう思ってる……思ってはいるが、やっぱりものごとには例外ってものがあるんだろうな。……いや……そうだな、悪いやつだというのも違うかもしれねえ。けどやっぱりあいつは……うまく言えねえな。 あいつにはじめて会ったのは、おれがリエーニエの東屋でエビを茹でていたときのことだ。あのときあいつは、たしかに誰かのことを……とあるお嬢ちゃんのことを心配してたんだ。褪せ人なのに誰かのことを心配するなんて、甘っちょろいやつだと思ったよ。だけどとにかく、だからな、悪いやつじゃなかったのさ。なんたってエビも好きだって言うしな。……だけどそうだな、何があったのかってことは、あんまり話したくねえ。この狭間の地でやってくんだったら、そういう後ろ暗いことのひとつやふたつ、あるもんだろう? とにかく、はじめて会ったときのあいつの印象っ
そもそものはじまりはかつてわたしであったものがいつかわたしでありうるものと口論しているのを見てほんとうのわたしであるところの私がそれを止めにここへやって来たことだ。 「君はかつてわたしであったものであって現在わたしであるというわけではあるまい、ということは本当のわたしではないよ」と、かつてわたしであったものが言うと「君こそいつかわたしでありうるものということは、いま現在わたしではないということだろう、つまり私こそがほんとうのわたしだ」と、いつかわたしでありうるものが答えている。馬鹿らしいとは思ったが、しかたがないから私は「そんなことを言ったって君たち二人のどちらだっていまこの瞬間にわたしではないのだから、どちらもわたしではあるまい。現在わたしであるのはただ一人このほんとうのわたしだけだろう」となだめてみたというわけだ。しかしそれがいけなかった。 それを受けて、かつてわたしであったものが「君
すみません、のっけから嘘をつきました。最初から海へ行くつもりでした。遅れてきた五月病を退治するために、ひろいひろい太平洋ではなく、東京湾へ。 …横浜へ行って噂のラ・マシンを見てきたよっつう記録です。 ■■■ 思い立ったのは今日の午後。学校へ行く気も起こらず腐っていたところへ、ふと啓示のようなものが舞いおりてきたのです。「ムラシット君、海を見に行くんじゃ」「だ、誰?」「わしは神じゃ」「ええーっ!?」こんな小芝居を日記で披露する必要があるとは思えませんが、とりあえず僕はそんな感じで旅立ちました。 出発したのがたしか4時ごろ、関内駅に到着したのが5時過ぎくらい。駅前のルノアールで2時間ほど潰して、まずは山下公園に向かいます。 横浜のこのあたりってものすごく几帳面に計画されてるんですよね。気持ち悪いくらい。この「気持ち悪いくらい」っていう感覚は最後まで拭えませんでした。 とにもかくにも山下公園です
ちくしょー、そろそろ頭打ちかなあ、俺の肛門も… 最初は1000ブクマ行かなくても公開するつもりでいました*1。で、ブクマ数が伸びてくるにつれ、やっぱやめようかな…などと思うようになり、最終的には「まあ面白ければいいや」というくらいに落ち着いて来た今日この頃ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。 さて。 こんなことしといてなんですが、そもそも肛門の写真じたいにはおもしろみなんてこれっぽっちもありません。すくなくとも、肛門の写真をドンと目の前に出されてゲラゲラ笑えるかというと…あ、笑っちゃうわ。いや、でも、そんだけだよ、たいして面白くないよ…! そんなことよりも僕がよっぽど面白いと思うのは「1000ブクマまでいけば肛門を公開する」というシチュエーションですし、そのようにして公開された肛門がある(今回は、残念なことに公開されなかったわけですが)という事実です。僕にはそのような文脈が必要です。 た
昨日のことですが、江ノ島に行って参りました。一人で。江ノ島に。寂しくなんかないよ。江ノ島で。ひとり。 ・・・とか言いながら実はウキウキだったんですけれども!空気がちがうんだもの。空気が。 江ノ電はいいですね。女子高生をちらほら見かけたことで僕はすっかり江ノ電のことが好きになってしまいました。 路面電車・クルージング・ラブ! 江ノ島駅にとうちゃく。なぜか叡電鞍馬駅を彷彿とさせる。 行きがけに雨が降ってたので心配しましたが、少しずつ日差しが回復してきました。 というわけで新江の島水族館にとうちゃく。 「水族館 ひとり」で検索したらこんなものが。・・・お前らもっと胸を張るんだ! 「俺はいつだって一人だぜ・・・」 明日起きたらクラゲになってたりしないかといつも思うんですがなれていた試しがありません。どうしてだろう。 水族館から展望台を望む。 海の家が解体される様子に夏の終わりを感じます。 水族館を
ノーベル賞受賞作家は何語で書いてるんだろうか。 パムクの小説を読んでいるときにちょっと気になったのでまとめてみました。*1 *2 英語 イギリス ラドヤード・キップリング、1907年 ジョージ・バーナード・ショー、1925年 ジョン・ゴールズワージー、1932年 T・S・エリオット、1948年 バートランド・ラッセル、1950年 ウィンストン・チャーチル、1953年 ウィリアム・ゴールディング、1983年 V・S・ナイポール、2001年 ハロルド・ピンター、2005年 ドリス・レッシング、2007年 アメリカ合衆国 シンクレア・ルイス、1930年 ユージン・オニール、1936年 パール・S・バック、1938年 ウィリアム・フォークナー、1949年 アーネスト・ヘミングウェイ、1954年 ジョン・スタインベック、1962年 ソール・ベロー、1976年 トニ・モリソン、1993年 アイルランド
つい先日、3月29日のことです、煮詰まりに煮詰まってもうどうしようもなくなってしまい、とりあえず自転車で山手線一周してきました。東京にやってきたわけだし、とりあえず山手線だろうと。一周34km*1、29駅を、なんだかんだで6時間かけて。*2 *3 最後にデジカメで撮った写真をつなげただけの動画も、一応、用意しておきました。 と、いうわけで、駒込*4からスタート。 1.駒込 (20:13) 0分 *5 *6 2.田端 (20:27) 14分 このときにはまだ余裕があった。 3.西日暮里(20:37) 24分 4.日暮里 (20:47) 34分 このへんまでは住宅街を抜けていく感じでなかなかに心細かったです。上り下りも多いし…! 5.鶯谷 (20:52) 39分 6.上野 (21:05) 52分 このへんから怒濤の高架下ラッシュでした。 7.御徒町 (21:11) 58分 8.秋葉原 (21:
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