今年も東京・市ヶ谷の防衛省で自衛隊殉職隊員追悼式が執り行われた。10月13日、その日は土曜日にもかかわらず、早朝から10台ほどはあっただろうか、大型バスが敷地内に入る。観光バスではない。ここに乗っているのは皆、殉職した自衛隊員の遺族である。 防衛省内の慰霊碑がある一角、メモリアルゾーンと呼ばれるエリアには、これまでの自衛隊殉職者だけではなく陸軍全航空部隊戦没者慰霊碑や、終戦時に責任を取って自決した阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相、杉山元第一総軍司令官、大本営作戦参謀だった晴気誠(はるけ・まこと)少佐の碑などもある。 晴気誠少佐はサイパン陥落の責任を取る形で、この地、市ヶ谷台で割腹自殺した。享年33だった。この若さで作戦の失敗を一身に背負い死出の旅路とは、いかなる心境であったか、現代の感覚では想像を絶することである。 こうした先人たちに見守られるように、殉職自衛隊員の慰霊碑はある。今年も全国
![「戦没者」なのに戦死にあらず?整理が必要な自衛隊員の死を巡る不都合 | JBpress (ジェイビープレス)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/167ae9f0344a8918fd38bf74ed94bb264481a2ea/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjbpress.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F6%2F6%2F1200mw%2Fimg_66770aed139a84a40802248a32866b1145531.jpg)