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ブックマーク / www.library-archives.pref.fukui.lg.jp (2)

  • 給帳データセット

    データリスト 初代 結城 秀康(ゆうき ひでやす) 在任期間:慶長5~12(1600-1607) 資料名:「源秀康公御家中給帳」(A0143-01305『松平文庫福井藩史料目録』881号) 翻刻データ(Excel):Excel(51KB) 翻刻データ(PDF):PDF(225KB) 画像データ:松平文庫「源秀康公御家中給帳」(A0143-01305) 成立時期:時期不詳の写。元禄期(1688-1704)の朱注や他との校合あり。 採録対象:士分(知行取のみ)・有力寺社。 記載項目:禄高・姓名・国或生国・役職(一部)・家格(編成)等。 備 考:秀康代は最も多くの給帳が伝来。他の給帳との間に禄高や姓名に異同あり。 参考文献:『福井市史 資料編4』p184~202「53 結城秀康給帳」に翻刻、p954に解題。 参考資料画像 松平文庫「源秀康公御家中給帳」(A0143-01309) 松平文庫「

    給帳データセット
    Guro
    Guro 2020/06/05
  • 1918年の福井県下インフルエンザ・パンデミック(「スペインかぜ」)

    注1)患者数・死亡者数は、内務省衛生局『流行性感冒』1922年による。 注2)人口比、患者比の全国の値は、文末注(2)による。 当時の福井県人口(国勢調査1920年)は、599,155人ですので、42.3%の県民がこのインフルエンザにかかり、5000人をこえる方がたが亡くなりました。全国の患者数が人口比で37.3%(2)であったのに対し、福井県では42.3%でした。 死亡者数から見ても、人口1000人あたり8.53人(全国6.76人)、患者100人あたり2.02人と、全国の値(1.63人)をかなり上回っていました。 また県下の休校数(1918・19年)は、110校、罹患児童数10,814人で罹患率27.9%でした(3)。 2.『大野市史』に記された「スペインかぜ」の被害 このように県内でも広く流行し、多くの死亡者を数えた伝染病であったにもかかわらず、県内自治体史で「スペインかぜ」の具体的な

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