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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (4)

  • しあわせがつらい - 空中キャンプ

    ある精神科医の書いたを読んでいて、おもしろいなとおもったのは、病気が治りそうになると、治療にこなくなり、他の病院へ転院してしまう患者がいるということだった。理由はもちろん、「このままだと当に治ってしまうから」である。病気が治るのは、実はけっこうつらいものだ。今まで、病気だということで免除されていたあれこれと、現実的に向きあわなくてはいけなくなるからである。就職はどうする。税金を払え。結婚をしろ。子どもは、家は、生活は。それならば、いっそのこと病気でいいやと、つい考えてしまう人がいても、おかしくはない。病気はくるしい。しかし、治るのもけっこうしんどい。だったら、今のままでいいや。これは、たしかに想像がつく。 誰もがしあわせになりたがっている、というのは、たぶんまちがっている。幸福も、けっこうたいへんなのである。逆に、「また失敗しちゃった」とか、「やっぱりだめだった」というのは、とても安心

    Hoo
    Hoo 2013/11/25
  • 『母は娘の人生を支配する』/斎藤環 - 空中キャンプ

    精神科医である斎藤環が、今年の五月に出した新刊(NHKブックス)。斎藤は、ひきこもりの治療や、精神科医の仕事についてのをいくつか著しているのだが、その中で「母親と娘が密着しているパターンがいちばんむずかしい。これだけはなかなか治療が進まない」ということを何度か書いていた。母親と娘の関係性、女性特有の身体感覚や、母性の強迫といった問題は、男であるわたしには理解することが困難だが、このを読んであるていどのイメージをつかむことができた。それだけでも、とてもよかったとおもう。 母親と娘が、どこまでも果てしなく一体化していく、おたがいの精神や肉体をほとんど共有してしまうくらいにつながっていくということが起こる。そこで発生した、きわめて複雑にからみあった依存の関係が、おたがいを閉じ込め、愛憎の激しさゆえに双方を苦しめるのだが、どうしてもそこから逃げだすことができないという循環。斎藤は、こうした状態

    Hoo
    Hoo 2008/10/21
  • 空中キャンプ

    『ブリグズビー・ベア』 ストーリーは更新されなくてはならない 1981年3月30日、ワシントンDC。25歳の青年ジョン・ヒンクリーは、その年に大統領へ就任したばかりのロナルド・レーガン暗殺を試みた。ヒンクリーはかねてからジョディ・フォスターのストーカーであり、大統領の暗殺に成功すれば、彼女に認められると考えていたのだ。いったいどのような理由により、彼が「大統領を暗殺すれば、意中の女優が振り向く」と、何の脈絡もないふたつの事象を関連づけたのかはわからない。しかしヒンクリーはそのような奇矯なストーリーに沿って生きていたのであり、レーガン大統領暗殺未遂事件が私たちに独特の憐憫を呼び起こすのは、犯人がかかるみじめな物語のなかでしか生きられなかったことの空虚さゆえである。 私たちはみなストーリーに沿って生きている。人は何らかの物語のもとでしか生きていけないからこそ、誰もが内部にストーリーを持ち、日々

    空中キャンプ
  • 温度をなくす発想 - 空中キャンプ

    わたしの通っていた小学校の近くには公園があって、クラスの男はみんなそこで野球をしていた。当時、わたしたちの野球熱はあきらかに常軌を逸しており、たいていの子どもは野球のこと以外ほとんどなにも考えられないといった腑抜けの状態で、学校が終わればまっすぐ公園まで走って移動し、ランドセルを降ろすのももどかしく、さっそく試合開始。雨の日をのぞけばほぼ毎日、野球をやっていた。 大雨の翌日など、公園の土はひどくぬかるんでいて、野球をやれば泥だらけになってしまうのだが、そのていどではわれわれの荒ぶる魂を止めることはできず、みなや服が泥まみれになるのもかまわず試合に没頭した。しかし中には、服を汚して帰ると親に叱られる子ども、また、きれい好きで泥だらけになるのを嫌がる子どもなどもいて、彼らは他の子どもたちが野球に熱狂するかたわら、できるだけや服が汚れないように気をつけながら遊んでいた。 そうした子どもは、自

    Hoo
    Hoo 2008/05/05
    >愛は依存だと思う。それがないと「契約」とか「親切」だけになるんです。ぼくはなんだか、依存がないのはいかん! と思いはじめたんです。
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