人間は、天の影が地上に投影されたものにすぎない、という思想がある。この思想においては、しばしば、人間どころか地上のあらゆる創造物は、すべて天上の理想型の貧弱なコピーにすぎないとされる。 私はこの思想に好感をもっている。人間はつい、事物に原因を求めたくて、「私がこんなにもひどい/よい運命をたどっているのは、神/仏/運のせいだ」などと考えてしまう。しかしこの思想は、世界の成因を押しつける相手として、神のようなものをなにひとつ想定していない。形而上的ではあるが、宗教的ではないのだ。 こうした思想を受け容れたときに人間がとりうるアプローチは二種類しかない。科学的なものか、禅的なものだ。 前者は、文字通り、科学的な方法によって宇宙の秘儀を解明しようとする。ブラックホールの中心ではなにが行われているのか、宇宙の外縁にはなにがあるのか、そもそも時間に始まりと終わりはあるのか。こうしたアプローチは、それ自