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東京都内で最もホームレスが多い上野公園(台東区)周辺で、「地域に迷惑をかけない」「困った時は助け合う」という路上生活の「ルール」を無視するホームレスが増えている。 景気の急激な落ち込みで、一時的に路上生活を余儀なくされている「新参者」が続々集まってくることが要因とみられ、古参組との摩擦やトラブルも広がっている。 JR上野駅に近い「アメ横商店街」。深夜になると、シャッターが降りた店舗の前に、2~3メートルおきに段ボールが並び始める。 ここで半年前から寝ているという男性(58)は2月19日、ビリビリという大きな音で目が覚めた。 目の前にある喫茶店のごみ置き場で、見慣れない男がごみ袋を破き、食べ残しのパンを取り出していた。新顔のホームレス3人も同じようにごみ袋を破いて中身を持ち去っていく。路上には、袋から飛び出たごみが散らばったまま残された。 男性は、ごみ袋の中から食べ物を探す時には、袋の口をき
昨年、必要なときに入手できなかったこの本をいまごろになって読む。これを読むと、これまで調べてきたことが改めて確認できる。たとえば、共同飲食の意味はこの本でも確認できる(80頁)。ただし、これは基本的に1945年前後の東京近郊の村での知見をベースにしている。ちなみに、きだみのること山田吉彦は、M・モースの薫陶を受けている。 まず、これまで見てきた本なかでも指摘されている村の平等観念だが、古文書をたどるかぎりではなかなか明らかにならないせいもあってか、あまりはっきりとは書かれていないが、これを近代的な平等概念とそのまま等置してしまうのはかなり問題があることがここから確認できる。 たとえば、村の者はきわめて強欲だ。「部落では物の売り買いは売るときはできるだけ天井値近くで売り、買うときは底値近くで買う、これが相対相場による売買の原則で、部落の住民はこの点では徹底的だ」(21頁)。そして、負い目をつ
2009-02-17 村上春樹の件について、なんかどうも手放しでよろこべない理由を考えてみたんだ ニュース よくやったじゃねえか、村上春樹、よくやったぜお前! そして打順は巡ってくるんだぜ、俺、世界! ……と、昨日、俺はずいぶん盛り上がって書いてみたんだけれど、どうもこれは嘘だ、全部が全部じゃないけれど、どこかに嘘があると、そういう気になってしかた… 2009-02-17 中川昭一議員は休んでくれ、心身をいたわってくれ ニュース −−入院するのか 「手術するということではないが、病院にいた方が不摂生ではないと判断した。できれば今日にも入院する」 http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/090217/fnc0902171328006-n1.htm あの伝説的な会見を行い、いきなり辞任ということになっ… 2009-02-17 フジパンは正気か? ちくわ
昔付き合ってた彼女は東京に行って鬱になり、色んな味で色んな色した薬を日替わりで飲んでる。同級生の女の子は堕胎して死んだけど、家族は恥ずかしがっていた。僕は葬式に行かなかった。高校の時の先輩は犯罪者になった。強姦をしたのだ。その強姦された女の子は中学の頃の同級生で、今は結婚している。中学で大好きだった担任の先生は死んだ。肺がんだった。僕は葬式で泣いたけど、同級生は僕を不思議そうに見ていた。親友の1人はオタクになって絵を描いている。同人界じゃ名が知られているらしいが、僕はあまり知らない。親友の1人は東大に通っているけど、学校に行っていないらしい。どこの大学でも同じように落ちこぼれはいるのだ。親友の1人はODで死んだ。理由は良く分からないけど、いつも控えめでおとなしい子だった。僕はまだこの街で暮らしている。薬局の仕事は楽だけど給料もそれなりで、それでも僕はまだ、この街で暮らしている。
友人(女性)と飲んでいたときの話題に手を加えて再録。最近は、比較的年の近い女性(複数)と飲む機会が結構多いのだが、女性と飲む方が知らないことがいろいろ分かって楽しい。 先週の『週刊現代』の連載で高橋源一郎が書くところによれば、女にアラフォーはあっても、男にはアラフォーはないのだという。これはボクにはよく分かる話で、自分自身をふりかえってみても、いまだに自分が成熟したと実感するのは難しい。子どもの頃は大人になれば何かそれに見合った意識なり何なりを持つようになるのだろうと漠然と感じていた。だが、ここまで生きてきて、その間にはいくつかの重大な選択もしてきたと思うのだが、あまり自分に意識上の変化がおとずれたという感じがしない。中学高校あたりからこの方、ずっと連続した意識のまま来てるような気がする*1。 それどころか、仕事に就いて感じずにいられなかったのは、まともな面して働いている「大人」たちが想像
「わが家にとっての松本サリン事件の終わる日というのは、妻が治った日、あるいは死んだ日。ですから松本サリン事件は、これで終わった日になる。そんな位置付けになると思う」。河野義行さんは5日午後、長野県松本市の自宅前で報道陣の取材に応じ、妻、澄子さんの死去にふれて、こう語った。 澄子さんの14年間の闘病生活を振り返っては、「やっぱり生きる意義を感じていたと思う。それは、自分がいつも妻に『あんたは寝ているだけと思っているかもしれないけれど、実は家族や私を支えているのは、あんたなんだよ』と言っていたので、彼女の中では、生きる意義があって、命のギリギリまで燃やし続けてくれた」と話した。 松本サリン事件の実行犯らに対しては、「以前と変わらない。憎んだりする思いは今でも持っていない」と述べた。 また、事件前の澄子さんの人柄を聞かれた河野さんは、「格安商品が大好き。スーパーで肉が安いと3キロ、4キロと買って
_ [社会][心]抑圧を免れることは抑圧されている者への裏切りである 昔の子供と今の子供で、ねたみという気持ちに違いがあるとも思えないので、その最大の違いは「希望」なんだろうか、と考えると、なにやら暗くなってくるのであるが。 社労士 李怜香の多事多端な日常 - 勉強ができる子をいじめるのは貧しいマイノリティに共通する現象 と、自分で「ねたみ」という言葉を使ってまとめたものの、どうもすっきりしない。「ねたみ」という感情は、根底に「自分もそのようになりたい」という希望があるものだが、なんだかそれが感じられないのである。「うらやましい」という気持ちさえも、意識にのぼらないような状態。それをなんと言えばいいのだろう。 在日の間で、「白人の真似」現象が起こらなかったのは、経済的に成功するということ、それを目指して学業に励むということが、コミュニティを脱出することを意味しなかったからだろう。事業に成功
「言葉にできない痛み」とは何か 文=小松原織香 トラウマになっていることを語りだすためには、大変なエネルギーが必要だ。だからこそ、「話したい/話さなければならない」という思いが生み出す言葉は、多くの人を釘付けにする。 私は大学生のとき、小さな教室で行なわれた慰安婦問題についての勉強会に参加したことがある。ある学生が、「日本は戦争中に、朝鮮を近代化してあげた。だから、朝鮮人は感謝すべきだ」と主張した。十人ほどの老若男女の参加者が、しーんと黙り込んだ。 ある年配の男性が、自分は在日コリアンである、と前置きして、語り出した。「私たちは、日本が敷いた鉄道を毎日眺めていた。あれは、近代化だった。でも、私たちは一度もあの鉄道に乗ったことがない。だから……」男性は小さな声で、学生の顔を見て、ためらいながら、言葉を探していた。学生は気圧されたように、こわばった顔で聞いていた。男性は怒りも涙もなく、ただ、「
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…
前回、よっぱらって変なことを書いたけど、あそこで書いたことは、自分としては結構まじめに考えたいことだ。 構造主義的な立場の本を、多少注意深くよめば、構造がどうして生じるか、あるいは、個人が構造の一つのはぐるまとして動くような主体となるかといった議論をするとき、個人の生としかいいあらわせない要因がからむことがわかる。ソシュールのラングとパロールを引くまでもなく、多くの主体からなる構造は個々の主体の行動によってささえられる。構造の分析自体は、その主体の行動の動機は説明できない。確かに、個々の主体が構造の歯車の一つとして行動することを前提としての構造の変動、生成、維持を議論する場合には、このような生という要因はとりあえず無視できる場合が多い。しかし、個人がどうして、構造の中の一つの契機として、つまり、主体として構造に参加するかについて考える場合に個人をそのような行動に導くものを考えざるをえない。
火曜日、自宅の上階のおっさんにものすごい勢いでののしられた。家に怒鳴り込まれたのだ。私が上から騒音の被害を受けているのに、おっさんからすると、私の方がある意味加害者らしい。本当に、酷い出来事だった。 そのときは泣きもわめきもせず毅然と対応したけど、酷い出来事が過ぎた後から、寝る前に一気にそのショックが訪れてきた。 今まで詰め込んできた疲れとかたくさんのあきらめとかそれまであった嫌なこととか悲しみとかそんないろいろと肩のこりや腰痛のように積み重なった澱みの感情に押しつぶされそうで、それに対して、何もできない自分も、そして、そんな思い出を受け入れることも消すこともできず後生大事に持つしかない自分も全てが本当にいやでいやで、たまらなかった。 自分が無視してきたそれらすべてがあの罵倒してきたおじさんに集約されながら、自らの中で再生された感じで、一時的に自分の心と体と頭は連携がとれず全部ばらばらにな
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