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秋葉原通り魔事件に関するTZKのブックマーク (10)

  • 余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。

    アキハバラ発―〈00年代〉への問い 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/09/26メディア: 単行購入: 8人 クリック: 136回この商品を含むブログ (52件) を見る 今年のことを振り返る時にどうしてお避けて通れないのは秋葉原で起きた連続殺傷事件だろう。 あの事件が起きた時、ネットでは多くの人が事件と犯人の加藤智大の経歴に衝撃を受け、何とか自分達の問題として、言葉にしようとし、おそらくそれと同じくらい、関わりたくない、できれば避けたいと思い沈黙、あるいは語ること自体を牽制し合った。僕はどちらかというと後者の側で、事件が起きた時、ショックを受けてる人に対し、どこか冷めた目で見ていた。 その理由は簡単に言うと、それが秋葉原で起きたオタクが殺された通り魔殺人だからで、例えば、その数日前に僕が以前住んでたアパートの近くで起きた福岡の某所での老婆が殺された通り魔事

    余裕への憎悪  - 成馬零一が考えていること。
  • 昨日(08/6/22)の「文化系トークラジオ Life」 雑感1 - reponの忘備録

    今回(2008/6/22)は、「秋葉原連続殺傷事件」がテーマでした(次回「秋葉原無差別殺傷事件」予告編 (文化系トークラジオ Life))。 メモ書きです。チャット(文化系トークラジオlife20080622(only in Japanese) (at Lingr) > Archives > June 23, 2008)の内容をほぼ採録しました。 文句ばかりになってしまった…… それだけ取り上げるのが難しい問題なんだろうナァ、と思う。 ちょっと長いですが、おつきあいください。(長すぎたので4分割しました) 物語の怖さについて 個別具体的な事件を、「物語」として語ってしまう怖さについては、その通り。 何らかの手近な「原因」を、今回の事件に当てはめてしまうことで二次災害が引き起こされる。 「俺も加藤になっていたかも」→模倣犯 「危険な歩行者天国は中止せねば」→ゲーテッドシティ化 「派遣社員はヤ

    昨日(08/6/22)の「文化系トークラジオ Life」 雑感1 - reponの忘備録
  • 格差社会という虚構の絶対化 | 社会学玄論

    現在日社会を格差社会と位置付ける学者たちがいる。格差社会は、二極化社会とも呼ばれたりする。(正社員/派遣社員)、(勝ち組/負け組)という二極化された区別コードによって創発された社会観である。 しかし、別の区別で観察すると、格差社会論は無意味化する。例えば、(日/外国)という区別で観察すると、日よりも格差が大きい社会はいくらでもあり、日は格差社会とは言えなくなる。また、前近代の身分制社会と比較すると、現代のほうが格差がない社会である。では、格差社会は、どの社会との区別によって格差社会足りうるのだろうか?おそらく、高度経済成長期の一億総中流社会と呼ばれていたころの日社会との区別において格差社会と呼ばれるにすぎない。格差社会論も絶対的なものでなく、観察地点によって異なる相対的な社会観なのである。格差社会論は、一つの社会解釈の枠組=社会観であり、社会的事実そのものではない。自己の観察点に

    格差社会という虚構の絶対化 | 社会学玄論
  • 暗黙共同体へ―秋葉原事件で考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    ジモティの若者と会った ある晴れた五月の午後、地方に住んでいる二十代後半の若者に会った。ここではA君と呼ぼう。A君は、小さな工場で働いている。おそらく収入が三百万円に満たないが、でも恋人もいて、人生には充足しているように見えた。笑顔が素敵で、いつも朗らかな表情をしている。思春期は不良だったというが、いまはその片鱗もない。 A君は生まれ育った土地にずっといて、中学や高校のころからの仲間たちが、周囲にはたくさんいる。その仲間の数は、おおよそ四十人。最初は数人の小さなグループからスタートしたが、数年のうちにここまで大きくなった。暴走族や暴力団のような反社会的要素はなく、ただひたすら集まって騒ぐだけの集まりだ。 「集まったときに何を話すの?」と聞いてみると、A君は言った。「音楽の話とか、ゲームの話とか」「みんなでゲーム機を持ち寄って、一緒に対戦したりとかさ」。仲間が溜まり場にしているカフェが地元に

    暗黙共同体へ―秋葉原事件で考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
  • サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    今日は1日中ついったしていた。明日は外で遊ぼう。 加藤智大はサバルタンである。なぜならば、彼は社会から疎外され、ネットからも疎外され、自身の主体性からも疎外されている存在だからだ。 加藤が社会的にもネット的にも疎外されていたことについては、既に多くの語りが存在する。では、自身の主体性からも疎外されていた、というのはどういうことか。それは加藤の供述書に見られる決定的な類型性から読み取り得る。 加藤は自己がいかに社会に疎外され、ネットにおいても疎外されていたか、そしてそれはなぜなのかを語るが、そこに読み取れるのは類型的な――極一般的にネットで流布されている非モテ言説のテンプレートでしかない。そこからは白昼衆人環視の中で大量殺人を起す動機を読み取ることができない。もしそこから動機を読み取れるというのなら、非モテ言説を述べるbloggerのほとんどは大量殺人者予備軍であることになるが、もちろん、そ

    サバルタンとしての加藤智大 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • Expired

    Expired:掲載期限切れです この記事は,産経デジタルとの契約の掲載期限(6ヶ月間)を過ぎましたのでサーバから削除しました。 このページは20秒後にNews トップページに自動的に切り替わります。

  • 秋葉原無差別殺傷事件派閥メモ

    │ ├犯人の個人的な問題だよ派 │ ├キモオタだから生きていても仕方ないよ派 │ ├彼女がいなかったからだよ派 │ └コミュニケーション能力の欠如が問題だよ派 │ ├今の社会が悪いんだよ派 │ ├日雇い派遣のせいだよ派 │ ├ゲームが悪いんだよ派 │ ├インターネットが悪いんだよ派 │ ├キレる脳のせいだよ派 │ └ゆとり教育なら救えた派 │ ├刀狩派 │ ├ダガーナイフを禁止すればいいんだよ派 │ ├レンタカーが当の凶器なんだよ派 │ └歩行者天国を廃止すればいいんだよ派 │ ├昔はこんな事件は無かったよ派 │ ├ネットを監視して予知しよう派 │ └平将門の怨霊だよ派 参考:http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10105277624.html

    秋葉原無差別殺傷事件派閥メモ
  • 秋葉原無差別殺傷事件 その後の夜のアキバ 警察署・現場他 | アキバOS

  • 秋葉原通り魔事件に付随する色々な見方 - behind the counter

    凄惨な事件でした。 どう捉えて良いのか分からない。というか、色んな見方があって、無論まだ情報が足りないので、どれも消化不良なままだ。ネットの意見とか、IRCの意見とかを読んで、少しずつ考えている。個人的にはやはり「秋葉原」である点が気になる。やはり自分にとって、大きな意味を持つ場所だから。 まずは、不運にも犠牲となり、亡くなられた方々のご冥福と、怪我をされた方々の一日も早いご快復をお祈りします。 なぜ、アキバ? 犯人の動機と、特に「アキバ」の関連が謎だ。今のところ、大きく二つの意見を聞いた。後者はマスコミ関係者の意見の又聞きだが、一定の説得力があるように思う。 犯人は典型的ラスト・ロスジェネ、格差社会の犠牲者。アキバ文化を破壊することに何らかの意味がある。もしかしたらアキバの「住民」。 犯人にとって、アキバは単に「目立ちたいから」選んだだけの、標的。犯人は、根的には愉快犯。 愉快犯だから

    秋葉原通り魔事件に付随する色々な見方 - behind the counter
  • 加藤智大は格差社会の代弁者ではない - the deconstruKction of right

    もうひとつだけ。 アキバで虐殺した加藤は間違っていたのだろうか http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1212930515/ 加藤はおれたちの仲間 http://human7.2ch.net/test/read.cgi/dame/1212928480/ などの2ちゃんねるのスレッドで、秋葉原の通り魔の加藤智大を格差社会の代弁者で、非正規雇用の叫びのように言っている人間がいるが、これは一面で正しく、一面で間違っている。確かに、彼は優秀で東工大の大学院*1まででていて、努力して頑張ったのに、一歩足を踏み外して「派遣社員」という工場労働者になったという、現代の諸問題を引き受けているように見える。ここから、プレカリアートとか非正規雇用の屈の代弁者として賞賛する声までちらほら見えている。しかしこれが決定的な間違いであることを指摘する。 まず、彼が若

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