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ブックマーク / ray-fuyuki.air-nifty.com (2)

  • Web 2.0 と人工知能 - [間歇日記]世界Aの始末書

    いわゆる「Web 2.0」なるものに、なーんとなく既視感があるなあと思っていたんだが、おれなりに考えがカタチを取ったので書いてみる。 昨今の Web 1.0(なんて言いかたは、もちろん 2.0 なる言いかたが出てきてから遡及的に出たものだが)から 2.0 へのシフトの機運は、一九八〇年代の人工知能業界における流行の変転にとても雰囲気が似ているのだ。 そう、当時は“人工知能業界”としか言いようがないものがあったのである。人工知能の産業化と商業化が一気に進んだのが八〇年代だ。ま、人工知能が商売ネタとして脚光を浴びるようになったわけだ。なんでもかんでもAI、AIと言っていたバブルの時期である。当時ことさらAIアプリケーションなどと看板を掲げていた技術の多くはすっかり“浸透と拡散”が進み、いまではあたりまえの基盤技術としてあちこちに取り入れられていたりする。八〇年代の人工知能業界を思い起こすに、ア

    Web 2.0 と人工知能 - [間歇日記]世界Aの始末書
    TZK
    TZK 2006/05/28
  • 暗黙知 - [間歇日記]世界Aの始末書

    今日はたいしてネタもないので、近年気になっていることをぼやく。 どうも、いつのころからか“暗黙知”という言葉が気色の悪い使いかたをされるようになっているのである。ナレッジマネジメントとやらがふつーのビジネス用語になってしまったあたりから、なにやらヘンになっている。どうやら、ナレッジマネジメントの伝道師(?)野中郁次郎が諸悪の根源らしい。 たとえば、「2007年問題を乗り切るには、団塊の世代の暗黙知をいかに形式知として表出し、若い世代に伝えるかがポイントだ」みたいな使いかたを、ビジネス雑誌やなんかでは平気でするわけである。おいおい。そもそも原理的に表出できないから暗黙知なのとちがうのか? おれも恥ずかしながらニューアカが流行ったころにはいろいろな思想書を読み漁ったものだが、少なくとも、おれがマイケル・ポランニーを読んだかぎりでは、暗黙知というのは、「(面倒くさいので)いまだマニュアルとして整

    暗黙知 - [間歇日記]世界Aの始末書
    TZK
    TZK 2006/01/22
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