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ブックマーク / yugyu.hatenadiary.org (6)

  • 流石に殴りはしませんよ-僕という自称非モテからのお返事- - ネット硬派系

    僕の何気ない一言に、かの高名なid:p_shirokuma先生からシロクマの屑籠(汎適所属) -問いかけをいただきました。 ちゃんとした答えになっているかどうかはわかりませんが、自分なりの答えを以下に並べてみたいと思います。 その前に、前回のエントリについて 「結局非モテってどうなりたいんですか?モテたいんですよね?」 これ全体を疑問文としてください。モテない人間全てが恋愛を求めているかのような思い込んでいる人が多く、憤りを感じているだけです。 非モテを自称する人達が、マジョリティの価値観に迎合しそのなかで適応を向上させようとする、いわゆる『脱オタ』を採用しないとすれば、id:yugyuさんが視た“上下関係”を直視し、上からの目線だの下からの目線だのという事に拘る事は、個人の適応を維持するうえで利口な戦略では無いと思う。むしろ、苦痛を長引かせるだけの、非生産的な選択肢ではないか?だからこそ

    流石に殴りはしませんよ-僕という自称非モテからのお返事- - ネット硬派系
  • 教えて先生さん(だったっけ) - ネット硬派系

    当事者性うんぬんとは全く関係なしに、「恋人や配偶者とかパートナーがすでにいるのにどちらかというと非モテスタンスで議論するのは何で?」という疑問は常々ある。 例えば、id:p_shirokuma先生とかid:Masao_hateさんとか天馬さんをみて感じるけれど、(大変言葉が悪くて申し訳ないですが)繁殖行動というか異性を求める意思に限っていえばは、「僕ら」というとid:utsutsuさんに怒られそうだから、僕の嫌いなDQN的なメンタリティをお持ちでいらっしゃる。 それこそ、非モテなんてキモいところに顔をださずにパートナーと過ごしたり、繁殖行動に勤しんだりした方が楽しいんじゃないかと……どうなんですかね。そういうことしたことがないので、漠然とそう思うだけだけど。 わざわざ非モテの話をする理由が、仮に「優越感ゲーム」だったとしてそれは素直に納得できる。僕は一応、オタクの世界に足を突っ込んでる。オ

    教えて先生さん(だったっけ) - ネット硬派系
  • それは僕(たち)のことだから - ネット硬派系

    ここ最近、id:temtanさんのエントリをしげしげと読んでいる。 ストレートで(ネタかもしれないけど)とても清々しい気持ちにさせてくださる。これからも冷静になんかならずに走り続けて欲しい。 さて、id:temtanさんのコメント欄にて、非モテ界の導師(グル)非モテロリストid:rAdio様とはてな非モテ界の寵児id:utsutsuさんが軽く小競り合い?をされていた。実際に見てもらった方が早いが、僕が気になったところは しかし、徹底的にrAdioさんには嫌われてるな私。 この部分。id:utsutsuさんは、前回のお祭り終盤に「自分の発言が、それまで非モテ語りをしてきた人に不快にとられていないか」という趣の(すいません、どこでみたのかは忘れてしまいましたが)発言をされていた。 これに対して、全然古参ではない僕がいまさら考えてみると「どうでもいい、気にしたことない」としか言えません。id:u

    それは僕(たち)のことだから - ネット硬派系
  • 脱恋愛じゃなくて、反恋愛 - ネット硬派系

    非モテ界隈を眺めてみると、異性だったり、自分の価値観と合わない人だったり、恋愛主義と呼ばれるものだったりするものをdisっているわけだけれど、多くの人が恋愛そのものは、それほどマイナス感情でみていない感じ。 喪の方々だって、純愛は良いって考えているようだし、田透は脳内恋愛を推奨している。 でも、恋愛自体を是とすることになんとなく違和感がある。それは僕自身の中で、「恋愛は堕落」という価値観が強くあるからだ。これは、僕の友人達が恋人と付き合いだすようになると、話がどうも下品になったり、それまでもっていた切れ味みたいなものを失ったりしていることに起因している。 恋人が出来たからといって、浅ましく変わってしまうその弱さ。美しくない。 脳内恋愛に興ずる友人も同じ。田透にアジられて、露骨に女性批判をはじめた。それは男として情けない。(というとジェンダーを論じる人とかフェミニストに怒られてしまう

    脱恋愛じゃなくて、反恋愛 - ネット硬派系
  • 非モテの戦は負け戦 −非モテは何を求めるのか− - ネット硬派系

    と書いてみたが、ここでの非モテは喪と過激派の方々のこととする。あと、一部非モテ哲学を論じようとする方々。 非モテに係わる論争を見てきて思った。喪・非モテ側はモテ側、非・非モテ側にいかなる手段をもってしても勝つことは難しい。と。 いくら、喪や非モテの方々が一騎当千(いや百くらいかしら)だったとして、普遍的な共感とやらによって生み出されるモテ、非・非モテ側の尖兵は、わらわら生み出されてくる。そして、非モテとモテ、非・非モテどちらも相手のことが理解できないし、理解しようともしない。 その中で、いくら非モテが自分達の正当性や異性の醜さを啓蒙したとして、相手が受け入れるわけがない。たとえ、受け入れたとしても非モテが満足するとは限らない。ひたすらにたたき続けるだろう。 とここまで考えて、非モテの最終目的が気になった。非モテの論争のときに「非モテの目的は何か」と問われるケースがある。そこで浅はかなモテの

    非モテの戦は負け戦 −非モテは何を求めるのか− - ネット硬派系
  • 馬鹿にされない服をもとめて - ネット硬派系

    id:a666666さんので、その機能性の高い服とやらは【馬鹿にされない】服なんですか?を読んで考えてみる。 僕も服にまったく頓着しないので、とても興味がある。 機能性なら、今着てる服がすでに満たしています。オタクでも非モテでも、必要なものならちゃんとお金を出して買います。必要性がわかれば服だって。決してケチではないのは、趣味になら湯水のごとく金をつぎ込むことからもおわかりでしょう。ただ、機能面は現状で満足なんです。不満があるなら必要な服を買いに行くわけで、買いにいかないのは満足しているからです。 まったくその通り。僕の場合、「暑いので薄手のものを買おう」とか「寒いので上に羽織るアウターが欲しい」くらいだけれど「機能」を求めている。最低限の機能を考えた上で、自分の感覚に合うものを買っている。 馬鹿にされない服を求める非モテオタクがもやもやしているのは、「自分で選んだもの」もしくは「人(例

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