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musicと批評に関するTZKのブックマーク (9)

  • 柄谷の「児童の発見」は「アイドルの発見」だった(我々はアイドルをどのようにPart.8) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「最近、2冊のを読んだ」 kenzee「吉田豪のは40歳前後でサブカルの人々はになると言われるが、いかに克服したかのインタビュー集、そしてECDのは、2002年から2010年にかけてECDがいろんな雑誌とかに書いた音楽関係のコラムやエッセイ、短編小説を集めたものだ。奥付をみると2011年3月22日。まともに3.11とカブってしまい、ほとんど話題にならなかっただろう1冊。で、この2冊を続けて読んで考え込んでしまった。つまり私も38歳でサブカル方面の人なので心配になったのだ」 司会者「吉田豪のにでてくる人々も「まさか自分がになるとは、神経症とかになるとは思ってもみなかった」と言ってますね」 kenzee「で、まさにオレ自身、他人事だと思って読んでいたのだが、こんなノホホーンとしてる襲われるのがというヤツのようなのだ。最近こういうことを考える。11年前。2001年。オレ

    柄谷の「児童の発見」は「アイドルの発見」だった(我々はアイドルをどのようにPart.8) - kenzee観光第二レジャービル
  • 86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル

    86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) kenzee「また渡辺美里に話戻るけど」 司会者「一向に時代が進みませんな」 kenzee「世間一般は、つまり大方の若者は美里を受け入れた。優れたポップミュージックであると認めたのである。では音楽ジャーナリズムはどう美里を判断していたのか。ミュージック・マガジンという老舗音楽雑誌がありますね?」 司会者「ね?ってアンタも書いたことあるだろう!」 kenzee「MMには老舗コーナー「クロス・レビュー」というのがある。要はライターさんたちが集まって新譜をツイッター並みの短文で批評し、点数をつけるというなかなかのコーナーだ。この1986年9月号になんとマドンナやスミスの新譜と並んで美里の「Lovin'You」が俎上に乗せられている。4人の評者に5点、5点、4点、7点と辛い評価を受けている。意外

    86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル
  • 国木田独歩の見た「風景」と尾崎豊の「焼けつくような夕陽」(我々はアイドルをどのように消費したかPart.4) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「というわけで今日のテキストは柄谷行人「日近代文学の起源」ですよ」 この「日近代文学の起源」はなにが書いてあるのかというと一言でいうと「古くからあると思われているものって意外と最近になって創られたものなのですよ」につきる。この基アイデアはのちにカルスタ、カルチュラル・スタディーズに受け継がれ、音楽関係で最近なら、輪島祐介「創られた「日の心」神話」などに脈々と受け継がれている。「演歌って日の伝統音楽みたいに、NHKとかですら平気で言うけど今の演歌って70年代以降にできたものですよ」という話だ。私もまた、同様に「J POPの歌詞といえば「当の自分ってなんだろう」とか「自分らしい生き方」とか「あなたの夢をあきらめないで、ガンバッテ」みたいなこというのが伝統的と思われているが、そんな歌詞がロック、ポップスの歌詞に登場したのはせいぜい1985年ぐらいからだ、みたいな話をしよう

    国木田独歩の見た「風景」と尾崎豊の「焼けつくような夕陽」(我々はアイドルをどのように消費したかPart.4) - kenzee観光第二レジャービル
  • 「きみ」と「ぼく」の起源1985年説(我々はアイドルをどう消費したかPart.5) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「さて、「反省」する歌は意外と売れる、しかもうまくすると熱狂的な売れ方をする、ということを尾崎を通じて音楽業界は学んだ。これが歌謡曲の歌詞の近代化のターニングポイントである。「反省」すれば売れる、と踏んだ音楽業界は主に「シェリー」の話しのもっていき方などを参考にした。「シェリー」では夢を見失いそうになった主人公が「シェリー」という恋人か友人かわからないが信頼をおく人物に自己と世界がどう関係を切り結んでいるか を問いかける。「俺は上手く歌えているか うまく笑えているか 卑屈ではないか愛される資格はあるか」と生真面目に問いかける。そして最後に「俺は歌う 愛すべきものすべてに」と決意を表明する。ここで問題にしたいのは「シェリー」における「不安定な状態にある自分」という状況設定、そこから「その状況を乗り越える決意をする」という展開。これはこの後の若者向けの歌謡曲(後にJPOPと名付けら

    「きみ」と「ぼく」の起源1985年説(我々はアイドルをどう消費したかPart.5) - kenzee観光第二レジャービル
  • 民謡の国を軍歌の国が侵略したのでござる(我々はアイドルをどのように消費したかPart.6) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「今、激売れ中の新書「AKB48白熱論争」(小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史著・幻冬舎新書)を読んだ。とにかくAKB48とはスゴイグループで音楽業界や芸能界どころか日社会の未来すら変える勢いだ、という一冊」 司会者「ネタのトンデモかと思ったら意外とマジメな内容でビックリ」 kenzee「ボクも基線として「あの子たち、ブサイクなのに売れてるアイドル集団ってだけでいろいろネットとかでボコられてかわいそう、AKB商法も含め、健全な興業といえるのか?」みたいなとこを落としどころにしようと思ってたんですよ。この話。でも、一冊読んだらキャツラに洗脳されてしまいまして」 司会者「キミ、意外とすぐ洗脳されるよね。矢沢の「成り上がり」レベルでも」 kenzee「ウン、三代目魚武濱田成夫とかでも洗脳されるヨ! で、こんな理論家の集団で諭されたらもしかしてAKBってスゴイのかも、と思

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  • ボクはエロ歌詞のほうが好き。軍歌キライ(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「さて、若い女性歌手の歌う歌詞が近代化したターニングポイント、1985~1986年とはどういう年だったか。音楽関係でいけばまず、秋元さんの手がけたとんねるず「一気!」のヒットで「イッキ」が流行語となった。と同時に86年には岡田有希子の飛び降り自殺という悲劇もあった。85年は日航機墜落事故もあった。ファミコンソフト、「スーパーマリオブラザーズ」の大ヒットもこの年だ。だが、もっとも重要だったのはバブル経済の引き金になったといわれるプラザ合意が行われたのがこの85年である。80年代前半のいわゆる「レーガノミックス」は高金利・ドル高政策と過剰消費によりアメリカの貿易赤字を拡大していた。そこで、85年9月、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議、通称G5がニューヨークのプラザホテルで開催され、財務長官ベーカーはアメリカのドル高を是正するための協調介入を求めた。これがプラザ合意である。この後の日

    ボクはエロ歌詞のほうが好き。軍歌キライ(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) - kenzee観光第二レジャービル
  • アイドルは近代的自我の夢を見るか?(我々はアイドルをどのように消費したかPart.2) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「前回の続き。キャラクター表現と生身の人間の間でパフォーマンスする側も受容する側も最適な距離を未だ測れず、結果、アイドルを不幸に陥れているのではないか問題。キャラクター表現とは1970年代後半に新井素子の「アニメを写生するような文体」「まんが・アニメ的リアリズム」や大林宣彦「HOUSE」のメディアミックス表現によって登場した。この時からサブカルチャーは「自然主義的リアリズム」の外にあるリアリズムを模索しはじめた。同時期に音楽表現において「まんが的」キャラクターが登場し、商業的成功を収めた。誰あろうピンク・レディーだ」 司会者「(kenzeeってネタがまとまってる時はドヤ顔文体で進行するんだよなあ。前々回ぐらいまでのグダグダはなんだったんだ、ていう)」 kenzee「ていう! ていう不快! で、ピンク・レディーはイチイチ説明しなくてもキャラクター表現なのですが、便利なから引用す

    アイドルは近代的自我の夢を見るか?(我々はアイドルをどのように消費したかPart.2) - kenzee観光第二レジャービル
  • 反省する歌の時代、はじまる(我々はアイドルをどのように消費してきたかPart.3) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「久しぶりにアクセス数が1000を超えるなど」 kenzee「マッハッハッハ、おとうちゃんもたまにはヤルでェ。誰か有名人にツイートされたとかじゃなくやでェ。ワシ、まだまだイケてるんやでェ」 司会者「御用の方は、 kenzee74of@yahoo.co.jp  まで。ところで前回の話でわからないとこがあるとかメールもありました。まず、ロキノン批評が「近代的自我を問う」批評だった、のクダリがよくわからない、と」 kenzee「まあ、昔の60年代のレコードとかの裏ジャケにある推薦文とかがもともとの音楽評論だったんだよね。朝一郎さんみたいな人が「バカラックの楽しい、楽しい、音楽の贈りもの」みたいな。70年代に入ると学生運動以降の人が音楽評をやり始めるわけです。そうすっと、「この経験を通じてこのミュージシャンは人間的に成長した」とか「彼のファズ・ギターの歪んだ音色のなかにマイノリティの悲しみ

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  • 連載「現場から遠く離れて」第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【3】 - WEBスナイパー

    第一章 ゼロ年代は「現場」の時代だった 【3】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 宇川はおそらく、先に挙げたインタビューの中で、日のクラブカルチャーが付加する意味合いを込めて「現場」という言葉を発している。つまりこれには「事件や事故が実際に起こった場所。また、現にそれが起こっている場所。げんじょう」(大辞林より)という原義を越えた含意がある。文化人類学者のイアン・コンドリーは、この言葉を特に日のヒップホ

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