米デトロイト上空を飛行中の米旅客機内で起きた爆破未遂事件は、危ないところだった。機内でアブドルムタラブ容疑者を取り押さえたオランダ人男性、ジャスパー・シュリンガさんは、「ヒーロー」として称賛の嵐のなかにいる。 ▼2001年の米中枢同時テロの際、乗っ取られた旅客機内でテロリストたちと戦った、勇気ある乗客たちを思いだす。ホワイトハウス突入はくい止められたが、旅客機は墜落した。英雄の活躍だのみでは、テロとの戦いはおぼつかない。 ▼報道によれば容疑者の父親は、息子の過激な思想に不安を抱いて、米側に通報していた。ところが、テロリストのデータベースに登録されたものの、航空機搭乗拒否リストへの掲載は見送られた。警戒に穴がなかったか、厳密な検証が必要だろう。 ▼容疑者の父親は、ナイジェリアの大手銀行の会長を退任したばかり。容疑者は、ロンドン中心街にある時価4億円の高級アパートに暮らし、ロンドン大学で機械工
先日、原宿に用事があって、久しぶりに竹下通りを歩いたら、ものすごい人込みで面食らった。聞けば、最近は中国や韓国からの観光客が目立つという。もっとも、世界的にみれば、日本への外国人観光客の数はまだまだ少ない。 ▼最新の統計によると、国際観光客の国別で1位は、フランス(7930万人)で、日本(835万人)はまだ、28位にとどまっている。政府が目標とする「訪日外国人年間3000万人」にはほど遠い。 ▼就任時から、観光の重要性を語ってきた前原誠司国土交通相の危機感の表れなのか。先週、観光庁長官の異例の交代を発表して、霞が関の官僚たちを震え上がらせた。羽田空港の国際化や成田への鉄道高速化など、アクセス整備も大事だが、観光客誘致の決め手はやはり、もてなしの心だろう。 ▼早くから「観光立国論」を唱えていた歴史学者の木村尚三郎は、パリでこんな経験をしている。市庁脇に立つ銅像を撮影するために車を止めると、駐
年配の方なら、昭和52年1月、ロッキード事件・田中角栄被告らの初公判の衝撃をご記憶だろう。事件当時、田中首相邸を商社幹部が訪ね、5億円の賄賂(わいろ)を申し入れた。首相は上機嫌で了承したことなどが、検察側の冒頭陳述で赤裸々に明かされたのだ。 ▼田中元首相は同じ初公判で、涙声になりながら否認した。だが国民の多くが関心を寄せたのは、ことの真偽だけではなかった。密室の中で重要施策が決まるような「政治」の現実に対してである。裁判がなければ、垣間見ることさえできない世界だったのである。 ▼その田中元首相の愛(まな)弟子とされる小沢一郎民主党幹事長の秘書が起訴された罪名は政治資金規正法違反である。被告はむろん小沢氏自身ではないし、事件の規模は小さい。だが初公判での冒頭陳述を読むとそこにはやはり「小沢政治」らしさが感じられてならない。 ▼例えば「天の声」で岩手県立病院の工事を受注したゼネコンが献金の減額
小欄のデスクは、月刊誌「正論」の作業スペースと隣り合っている。その販売担当者の電話が、ここ数日鳴りやまない。なぜか大阪市内の書店を中心に「正論」1月号の追加注文が相次いでいるのだ。どうやら、関西地区で最近放映された「たかじんのそこまで言って委員会」という番組が、原因らしい。 ▼出演者の一人、評論家の宮崎哲弥さんが、1月号の巻頭論文「私はなぜ日本国民となったか」を取り上げ、「感動しました」と述べたという。テレビの威力はやはり侮れない。論文の筆者は、小紙読者にはおなじみの金美齢さんだ。 ▼昭和9年に台湾に生まれ、日本に暮らすようになって50年になる今年9月、日本国籍を取った。番組は、これまで金さんのことを知らなかった視聴者が、こんな台湾人、いや日本人がいたのか、と目を見張る機会を与えてくれた。ではなぜ金さんは、日本国民になったのか。 ▼長年、台湾独立運動を闘ってきた金さんにとって、台湾人が昨年
先日、86歳で亡くなった囲碁の梶原武雄さんは、名人戦リーグなどに長年在籍した強豪である。若手棋士への厳しい指導でも知られた。一度だけ食事で一緒になったとき「あれはバカ」「まだまだヘボ」などと連発されるので対応に困った記憶がある。 ▼むろん愛情ゆえの毒舌だったが、テレビの囲碁番組などでの解説も人気があった。ムズ(難しい)、アブ(危ない)といった独特の「梶原語」が飛び出す。中でも有名になったのが「オワ」である。終わり、つまりこの碁はもう勝負あったという意味だった。 ▼いつだったか、対局がまだ十数手という段階で悪手を指摘し「もうオワだね」とニコニコ顔で断定された。囲碁は長丁場である。少々不利になっても相手のミスなどで逆転は可能だ。だが梶原さんは、ひどい悪手を打てば、その時点でもう負けだという考えだったようだ。 ▼その梶原語を借りれば、鳩山由紀夫政権は早くも「オワ」に近いような気がする。常識を超え
小中高校生の暴力行為が文部科学省の調査で3年連続で増え、約6万件にのぼった。 背景として子供たちの規範意識の低下が指摘されている。学校や家庭が連携して、毅然(きぜん)と指導を行わねばならない。 暴力行為は同級生や教師を殴る、教室や物を壊すなどだ。中学生を中心に急増している。小学生の暴力も3年前に比べて3倍近い。教師に対する暴力が増える傾向にあることも心配だ。 昭和50年代後半にも「荒れる学校」として校内暴力が社会問題化した。当時と異なるのは普段おとなしい子が突然、「切れる」などし、問題行動を起こす児童生徒の把握や指導がしにくいことだ。 いじめ問題も深刻だ。調査で把握された件数は減っているとはいえ、親や学校の目のとどかない携帯メールやインターネット上で中傷する陰湿ないじめが増え、自殺する事件も起きている。 別の調査では、小中学生でいじめの加害経験、被害経験のある割合がともに約8割にのぼる。い
■本日の言葉「politicize」(政治問題でないことを政治問題にする)■ 英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介する水曜コラム、今週は「天皇陛下へのお辞儀はどの程度が適切なのか?」についてです。「天皇へのお辞儀の角度」という、そもそも政治問題ではないはずのことを騒ぎ立てて政治問題にしようとしている米保守派が、「アメリカ合衆国の大統領たる者、床に額をこすりつけんばかりのあの卑屈な態度はけしからん!」「しかも日本人にまで恥をかかせた!」と騒ぎ立てています。(gooニュース 加藤祐子) ○オバマ氏のお辞儀は日本人にも恥ずかしい? 天皇陛下の前でお辞儀をする機会が自分にはないのですが、角度は何度くらいが適切なのでしょうか? 10度はさすがに浅すぎるでしょうし、90度は深すぎると思う。45度くらいが、日本人としては適切なのでしょうか? 何が正式かよく分かりませんが、たとえばこちらのページにあ
円の大小を問わず、円周の長さと直径の比は一定で、その数が3より少し大きいことは、紀元前2000年ごろのバビロニアで発見されたという。いわゆる円周率はその後、さまざまな方法で計算されてきた。 ▼桁(けた)数が飛躍的に伸びたのは、コンピューターが開発されてからだ。1949年の2037桁を皮切りに、73年には100万、89年には10億桁に達した。現在の世界記録は、筑波大計算科学研究センターのスーパーコンピューターが今夏打ち立てた、2兆5769億8037万桁だ。 ▼とはいえ円周率の計算は、あくまでスパコンの性能を確かめるために行われる。本来の仕事は、生命科学やナノテクノロジーの研究、気候変動予測、新薬開発などで、画期的な成果を挙げることだ。 ▼政府系研究機関の理化学研究所が中心となり開発を進めてきた次世代スーパーコンピューターは、毎秒1京(1兆の1万倍)回という世界一の計算速度を誇るはずだった。神
作家の佐藤愛子さんは、羽田空港のロビーで、買い物籠(かご)を提げた若者をハイジャック犯だと決めつけて、娘さんにあきれられた。新幹線に乗っていて、トイレから出てこない若い女性が、男に閉じこめられていると思いこみ、車掌室に駆け込もうとしたこともある。 ▼「これだけ世の中に次々と想像を絶する事件が起きているというのに、世の中の人というものは全く暢気(のんき)なものだ、と私は呆(あき)れざるを得ない」。佐藤さんは、昭和50年ごろに書いたエッセー『悪者の顔』で嘆いた。30年以上たって世の人々は、治安の悪化をひしひしと感じている。 ▼ここ数日の新聞の社会面は、殺人と不審死事件の記事で埋め尽くされるありさまだ。千葉県松戸市のマンションでは、千葉大4年の荻野友花里さん(21)が殺害された。行方不明になっていた島根県立大1年の平岡都さん(19)は、変わり果てた遺体となって、広島県北広島町の臥竜(がりゅう)山
米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜選手(35)がワールドシリーズの最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本人選手がワールドシリーズに出場するのも難しい中、すばらしい快挙である。 今年は春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本チームが世界一となった。マリナーズのイチロー選手は9年連続200安打という大リーグ新記録など、めざましい活躍をしてきた。松井選手のMVPはこれらについで、日本野球のレベルの高さを見せつけた。素直に喜びを分かち合いたい。 日本の野球は言うまでもなく米国に学んだものである。30年ほど前までは日米の実力には雲泥の差があるといわれた。「日本の野球はベースボールではない」と酷評された時代もあった。 ここまでレベルアップできたのは、日本人の勤勉さを背景にした練習熱心さや、指導者たちのたゆまぬ努力のたまものといえる。日本の野球界はこのことに誇りを持ち、一方でおごることなく、松
鹿児島空港の送迎デッキに立つと、ほぼ正面に霧島連峰の山々が目に入る。標高は最高でも1700メートルで北アルプスなどに比べるといかにも穏やかな稜線(りょうせん)に見える。しかし、近づいたり登ったりした人は、その意外な険しさに驚くそうだ。 ▼司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』によれば、鹿児島を「新婚旅行」で訪れた坂本竜馬は、新妻のおりょうとともに東の主峰、高千穂岳に登っている。天孫降臨を示す頂上の「天の逆鉾(さかほこ)」を見るためだ。だが寺田屋事件の傷がまだ癒えない竜馬には厳しい登山となった。 ▼特に頂上近くには大きな噴火口が待っている。その縁(へり)を歩く感じの馬背越(うまのせごえ)は難所中の難所だった。小説ではここで突風を受けて転んだおりょうを、竜馬が抱き留めている。姉の乙女にあてた手紙でも「道ひどく女の足にはむつかしかりけれども…」と書いているという。 ▼高千穂岳と並ぶ西の主峰が韓国(からく
三遊亭円楽さんがまだ全生という名で真打ちにもなっていないころ、ある落語会で「淀五郎」という噺(はなし)をかけた。大看板の師匠でも尻込みする難しいネタである。若いころ「生意気だが、スケールは大きい」といわれていた円楽さんの面目躍如だった。 ▼ところが間の悪いことに、その落語会を師匠の三遊亭円生さんが聞きにきていた。円楽さんは冷や汗をかいて高座を下りるが、翌日、皮肉たっぷりのお小言が待っていた。「全生さん、あなたは結構なはなし家ンなりました。もう私が教えることはなにもありません」 ▼矢野誠一氏が『落語讀本』(文春文庫)で明かしている逸話である。円生師匠の弟子に対する厳しさには定評があった。特に円楽さんが「笑点」などテレビで人気を得ると、苦虫をかみつぶしたように、批判した。「落語の芸がだめになる」というのである。 ▼円楽さんにも口には出さぬが、反論があったはずだ。今や落語家が寄席だけでやっていけ
市川崑監督の「東京オリンピック」(昭和40年)を改めて見た。初公開時には、「記録性に乏しい」という批判もあったと記憶している。だが、今となっては映像のすべてが貴重な記録だ。 開会式会場となった国立競技場で、若い主婦がねんねこ半纏(ばんてん)を着て幼児を背負っている。入場行進を実況中継するアナウンサーの古風な口調が新鮮に響いた。 「けなげであります。まったくけなげであります」 最終聖火ランナーの坂井義則選手(当時早大生)が聖火台への長い階段を上っていく。1964(昭和39)年10月10日午後2時。東京の聖火台が点火された…。 あの時、日本中の人々の心は確かに一つになっていた。女子バレーボールの優勝に、マラソンの円谷幸吉選手の力走に、皆が声援を送った。列島に「日本人としての誇り」が満ちていたことを映像が伝えている。東京五輪。スポーツの力だった。 ◆なぜ落選したのか 今月2日、2016年夏季五輪
双子の姉妹ユージーとユーシーは、腰でつながっていた。姉は頭がよく、いつも妹の面倒をみている。姉から養分を吸い取っている妹は、天使のような美しさで誰からも愛されていた。いっそ妹を殺したい、と思いつめたユージーに、医師は分離手術を勧める。 ▼萩尾望都(もと)さんの『半神』は、わずか16ページの短編漫画ながら、初めて読んだときの衝撃は大きかった。ベトナム戦争中に米軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられる、結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」の存在を知った時期と、重なっていたせいもある。 ▼兄弟は1988年にホーチミン市の病院で、分離手術を受けた。兄のベトさんは術後、寝たきり状態が続いたが、ドクさんは義足をつけて学校に通い、28歳の今は病院職員として働いている。3年前に結婚したドクさんが、男女の双子の父親になったとの知らせが届いた。 ▼ドクさんと15年近い親交がある小紙の北村理(ただし)記者によると、兄弟
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