[Å] ブログが大好き。ブログって本当に不思議だと感じた1年でした。
最近考えていることなど。 言葉の定義 「共同体」と「主催者」というものを想定する。宗教団体ならば、教団と教祖の関係になるし、 パチンコ屋さんなら、パチンコ屋さんの門をくぐった顧客は全て、共同体の一員で、主催者は社長になる 共同体はしばしば重なり、見る角度によって様相を変える。 「はてな」という共同体を主催しているのは近藤社長とその周りの人々だし、 「はてな村」という、議論それ自体を楽しむ共同体は、「はてな」と重なるけれど、主催者は異なる 「共同体工学」の目指すもの 上手に制御された共同体は、実体としての力を持つ。「コミュニティエンジニア」は、 共同体に対する操作を通じて、そうした力を引き出そうと試行錯誤する 「共同体の成功」というものを、主催者がそこから取り出した、実体としての力であると定義する 「お金」であったり、投票のような「権利」であったり、行動であったり、主催者が、 共同体から大き
今住んでいる地域には「持ち帰り」に対応してくれる回転寿司屋さんがあって、ときどき利用する。 この地域には、そもそも外食産業がそこぐらいしかないから、いつも忙しそうにしている。 うちには子供がいないから、お願いするのはもちろん「ワサビ入り」の、普通の寿司だけれど、 「ワサビ入り」を注文したのに、受け取りに行ったらワサビがなかった。 今までの状況 そこにお寿司を頼むと、最初に注文する寿司を聞かれて、最後にいつも「ワサビはどうしますか ?」なんて尋ねられる。 同じ応対を繰り返すのが面倒だったから、最近は、注文をするときに「ワサビ入りで」なんて頼む。 今まではそれで、「ワサビはどうしますか?」がスルーされて、ワサビ入りのお寿司が出来上がっていた。 今回、いつもの通りに「ワサビ入りで」なんて頼んだのに、そのあともう一度「ワサビはどうしますか?」と尋ねられた。 そこで「ワサビ入りで」なんてお願いして、
シニアブロガーこと@kenkazu2です。 私は、今月中旬に「はてなブログPro」に申し込み、快適までとは言わないがブログライフを楽しんでいる。ところが、はてなブログのホッテントリ入りされているこちらの記事に違和感を覚えた。 はてなブログProに課金して、失敗だと感じた4つの点 - Mokosoft開発者ブログ はてなブログProに課金して、失敗だと感じた4つの点 ... 彼の失敗だったと思わえる点は以下の4つ とにかく使いにくい Pro版で提供される機能がしょぼすぎる なんかメリットが全然ない 堂々と不正をしている人たちには優しい こんな事で失敗だっと感じたら、アメブロの使用している方たちはもっと失敗だった感じてしまう。 アメブロの記事編集エディタとはてなのエディタ はてなの記事編集は「見たまま編集」「はてな記法」と後もう1つ名前は忘れたが◯◯記法がある。私は「見たまま編集」と「HTML
解答しなくてはいけない問題が大きすぎて、どこから手を付けていいのか分らないときには、 まずはリーダーとして旗を振る人が、「規格」を作ってしまうと上手くいくような気がする。 電気自動車のこと ちょっと前の「夢の扉」だったか、大学の先生が水素自動車を作っていた。 沼地にいる「水素生成菌」を培養して、砂糖から水素を取り出す実験を繰り返して、 最終的には「砂糖水で走る車を作る」なんて夢を語ってた。 番組終盤、その研究室ではたしかに「水素自動車」が走っていたけれど、 それは「貯めた水素で走る実験車」であって、水素生成菌は、あんまり関係なかった。 その人の研究を世に問うためには、動く車があったほうが説得力あるんだろうけれど、 「水素で動く車」それ自体は、すでにいろんなメーカーが作ってるんだから、 今さらそれを再発明したところで、なんだか道のり遠そうだった。 「次世代の自動車」には規格がなくて、燃料電池
大義を運用して、道義でもって対象を操作することが、政治家の「アート」であって、 それを怠ったり、ましてや政策なんてものに頼るような人は、 そもそも政治家になどなってはいけない。 阪南市立病院のこと 阪南市立病院で、2000 万円の報酬で働いていた医師が、 市長の交代に伴って、1200 万円への減額を提示されて、全員退職するらしい。 この事例なんかは、もう全面的に市長が悪いよな、と思う。 前職を破って当選した今の市長が、「政治家としての立ち居振る舞い」みたいなものを きちんと行っていたならば、恐らくは医師の確保と予算の削減と、両立できる目は十分あった。 市長が「政治家」であったなら、まずはマスメディアを引き連れて、病院に乗り込んでいったはず。 医局にカメラを入れて、減額されたら辞めるかもしれない内科の医師がいる目の前で、 「私がだらしないせいで、来年度は1200 万円しか払えない。 市長とし
大雑把に「理」と「情」というものがあって、情報の送り手と受け手との間で、 「理」と「情」と、両方が揃わないと、人は動かない。 情報の送り手が「理」と「情」両方を用意するときもあるし、提供のやりかたを 工夫することで、送り手は「理」を提供して、それに反応した受け手から、 「情」が引っ張られるやりかたもある。恐らくはその逆も成り立つ。 梅田望夫氏の書評を読んで、個人的に考えたこと。 書評のこと 企業家の梅田望夫氏が、書評を書いた。 たぶん氏にとってはとても大切な内容が書かれている本で、抑えた文体で内容をほめて、 「全ての日本人が読むべきだと思う」なんて書かれていた。 その文章に、あんまり肯定的な反応が返ってこなかったからなのか、 普段冷静な梅田氏が、珍しくいらだった調子で、Twitter に「はてなブックマークのコメントには、 バカなものが本当に多すぎる」なんてつぶやいていた。 こういうのは、
自分がモデルガンで遊んでたのは、マルゼンが「エアーソフトガン」という名称で、 エアガンを発売して間もなかった頃から、マルイの電動ガンが発売されるちょっと前まで。 火薬で遊ぶ「モデルガン」もまだまだ元気で、エアガンはすべて、スプリングを手で圧縮しないと、 弾が撃てなかった。ガスで動作するエアガンだとか、ましてや電動ガンなんて、まだ誰も考えもしなかった。 モデルガンという小さな文化が、プラモデルという、もっと大きな文化に呑み込まれた頃のお話し。 エアガン以前 金属モデルガンがまだ真っ黒だったのは、昭和48年の規制まで。 火薬の反動が肩に来る亜鉛合金製で、新聞には「ガンマニアの犯行」なんて、 違法改造して実弾発射可能になったモデルガンが報道されてたりした。 表現規制法に反対する人達が憂慮する未来というものは、モデルガンが好きな人達にとっては、 すでに通り過ぎた道だった。 規制以降、手元の金属モデ
来年度の研修医がますます減りそうで、県内にある基幹病院の先生が、大学のことを憂慮していた。 来年度の研修医を獲得するために、大学は、たしかに多様な研修プログラムを準備しているみたいで、 たしかに大学の「上」にいる人達は、成果を見込んだ努力を行っているように見えるけれど、 外野から見たそのプログラムは、今の大学に残っている「現場」の力で運用するのは困難で、 たぶん計画倒れに終わってしまうだろうと。 大雑把に「上」と「現場」という言葉を使うと、「現場」が実際にどれだけの能力を持っているのか、 「上」が計画を立てたとして、「現場」は果たしてそれを実行できるのか、どれだけ詳細な報告を 上げたところで、「上」がそれを予測するのは、今も昔もやっぱり難しい。 医療の「現場」力 たとえば自分は「循環器内科」ということになっているけれど、今の病院にはカテ室がない。 心電図を読んだり、心不全の患者さんを診るこ
確かな技術と努力の方向音痴で、数々の名作(迷作?)をネットで披露してきたniconicoの「ニコニコ技術部」。3Dプリンターや3Dスキャナーなど、クリエイターを刺激するデバイスも注目を集めて、今年も「つくってみた」旋風が吹き荒れた感じです。2013年を締めくくる前にぜひ見ておきたい作品を、独断と偏見で12コを選んでみました!! OpenSky3.0予告編 「風の谷のナウシカ」に出てくる架空の飛行機「メーヴェ」を実現し、本当に飛ばすというプロジェクトの動画。制作者はメディアアーティストの八谷和彦さんという「プロの犯行」だ。プロジェクトが始まったのは2003年で、ゴムを引っ張って飛ばすタイプなどを経て、ついに10年という節目でジェットエンジンを搭載して飛行するところまでたどり着いた。平均寿命が80歳として、8分の1の人生をかけて生み出された作品ということを考えると、その情熱にただただ敬意を表す
大きくなりすぎた問題に対して発生するかもしれない無関心のお話し。 新大統領のこと 新しい大統領を警護する人達は、今頃頭抱えてるだろうな、とか想像する。 オバマ大統領が劇的な勝利を挙げて、「負けた」感覚を味わった人は、たぶんすごく多い。 勝ったのがマケイン候補だったなら、年老いた、たくさんの財産を持っている人が今さら勝ったところで、 マケイン候補に「負けた」と思う人は、そんなにいないはず。「ああまたか」と絶望する人は いるのだろうけれど、絶望は、怒りや怨嗟には結びつかない。 勝った人が受ける恨みの総和は、その人が追い抜いた人数に比例する。 若い人が勝てば、年老いた人は「負けた」と思うし、移民が勝てば、昔からその国にいる人達は、「負けた」と思う。 年齢が若い、移民の息子であるオバマ候補は、スタートの時点から極めて不利な条件を背負っていて、 それをひっくり返して大統領になれたのだから、きっとすご
墨東病院の産科が、11月から2人当直体制を復活させるらしい。 問題が発生した都立墨東病院(墨田区)は、11月の土日祝日の当直体制を、 これまでの1人体制から可能な限り、>2人体制へと強化するとした。(中略) 当直が1人体制の日は、常勤医師による当直体制をとる。 同病院内の当直に入る産科医15人の中で、当直回数を増やしながら2人体制を実現。 今後は他の医療機関からの協力を得ながら当直体制の充実を図りたい意向だ。 【妊婦死亡】墨東病院、可能な限り2人当直体制へ - MSN産経ニュース 2人当直体制を「復活させる」とか、これは都が出した宣言みたいだけれど、今のところは人が増える当てはないみたい。 墨東病院産婦人科で常勤している先生は、たしか4人ぐらいしかいないはずだから、 増える負担の量はすごいだろうなと思う。 責任ゲームと扇動ゲーム 人数は変わらない。すでに限界を超えた運営。で、今
いろんな要素が徹底的に分散された架空兵器の思考実験。 中枢を持った脅威のこと あまりにも強力すぎて、事実上弱点の存在しない敵を相手に、「弱い味方」をどう運用すれば勝てるのか。 大昔、OGRE (オーガ) という、巨大戦車を主人公にした ゲームがあって、「強い単体対弱い多数」をテーマにしていた。 「敵」になるのは人工知能を持った巨大な戦車。1 台しかいない代わり、射程の長い、強力な武器を 山ほど積んでいて、普通に勝負したのでは、「味方」側は絶対に勝てない。 「味方」は単なる歩兵であったり、ちょっとした放題であったり。巨大戦車の前には単なる雑魚だけれど、 その代わりたくさんいる。 プレイヤーは、たくさんの弱い味方を様々に配置して、巨大戦車を迎え撃つ。相手が動くほどに 犠牲が増えるから、とにかく相手の「足」を止めて、それから武器が尽きるのを待つだとか、 弱い側には弱いなりに、いろんな攻略方法があ
恐らくは「名将」なんて持ち上げられるような人というのは、あとから冷静に振り返ってみると、 案外「ショボい」勝利しか上げていないような気がする。 「名将」はその代わり、大きすぎる問題を切り分けることが上手で、「小さく解決する」やりかたをデザインして、 現場から「勝つ予感」を引き出すことが上手で、もうひとつ、そうして得られた小さな勝利を運用して、 それを大きな戦果に結びつけるのが上手なのだと思う。 えらい人が指揮する部隊は怖い 墨東病院が大騒ぎになっている。 人手が絶対的に足りなくて、結果的に患者さんが一人亡くなった。都知事と厚生大臣と、 日本を代表するような大物が二人、病院を舞台に喧嘩を始めた。すごくよくないことだと思う。 どちらが勝つにしても、喧嘩の舞台になった病院は、これから先は、 大物自らが指揮を執ることになる。 「ふがいない。俺様自ら戦闘というものを教えてやる」なんて、 現場を知らな
田舎の常で、マイナーな漫画本だとか、ハヤカワのSFだとか、本屋さんにほとんど売ってない。 最近はだからAmazon ばっかりだけれど、発注かけて、題名検索して、実物手に入る前に海賊版が 見つかったりすると、なんか落ち込む。 海賊版は便利 特によく売れている漫画本は、発売されてから10日もすれば、たいていは世界の誰かが海賊版を作る。 漫画の題名と、よく知られているダウンロードサイトの名前と、検索ワードに両方入れて検索すると、 英語圏だとか中国だとか、たいていはどこかのサイトが引っかかってくる。 日本の漫画家が、漫画を書いて本を出す。 海外の誰かが、それを購入してスキャンして、ダウンロード可能な形で、アップローダーに上げる。 恐らくはどこかに、海外の「2ちゃんねる」みたいな掲示板があって、そういう人達が情報を交換して、 やっぱり海外の、別の誰かが「まとめサイト」みたいなものを作って、検索しやす
ずっと書きたかったけど避けていたことについて。 それはPerfumeの衣装の路線変更について。*1 私はPerfumeのアイドルとしての戦略を ポリリズム発表のブレイク後(2007年末)~シングル「ねぇ」発売時期(2010) レーザービーム(2011)~現在 この2つに分けています。 記事前半はこの2つの時期の私なりの解説 後半は愚痴です。 前半1・オシャレなアイドルとしてのPerfume誕生 ポリリズムの大ヒット以降、Perfumeについて回った言葉、それは「一発屋」。 その言葉を払拭するにはより多くの固定客及び新規客の確保が必要でした。そしてPerfume陣営がとった策は、当時のアイドル=半端モノ・ダサいという共通認識を逆手に取った、アイドルなのにカッコイイ・アイドルなのに本格的という新しいイメージ戦略です。楽曲のクオリティの高さや当時では珍しかったアイドルのロックフェス参戦、芸能人に
タスクトレイに常駐しているTwitter クライアントを、ホットキーで起動するやりかた。 具体的には今、Tween というソフトを使っていて、 一度起動させるとタスクトレイに常駐するのだけれど、何か思いついたことを書こうと思ったら、 いちいちマウスでアイコンをクリックしないといけなかった。 TrayExpand という ソフトをを使って、Tween に「Ctrl + 1」というホットキーを割り当ててからは、 Ctrl + 1 でクライアントが立ち上がって、Alt + F4 でウィンドウが閉じる。すごく快適になる。 TrayExpand というソフトは、 開発しておられるかたが終了を宣言して久しいのだけれど、ソースコードを引き継いで、 64bit対応 にして下さった方がいた。 リンク からアプリケーションを ダウンロードして設定すれば、タスクトレイに常駐状態になったTwitter クライアン
脳出血を合併して亡くなった妊婦さんの事例をみて思ったこと。 亡くなった方は、きちんとかかりつけのクリニックを持っていて、 そこに勤務する医師もまた、患者さんを正しく診断して、 正統な手続きのもとに、地域の基幹病院に助力を要請した。 全てが正しく行われたにもかかわらず、あるいは、正しいやりかたが重ねられた 帰結として、「受け入れ可能」を表明する病院は現れなくて、受け入れに時間がかかった。 正しくなければ速かった 最初に「受け入れ不可能」の返事が返ってきた段階で、救急車でなくタクシーを呼んで、 「東大病院の救急外来に飛び込んで下さい。うちのクリニックのことは伏せて」なんてアドバイスしたら、 診療が開始されるまでの時間は、もう少しだけ速くなったような気がする。 若い方の脳出血だから、やっぱり予後は厳しかっただろうけれど。 全て正しい手続きで紹介された患者さんに対しては、医療者側もその施設にできる
たとえば軍隊ならば、同じ地形、同じ敵、率いる部隊も同じにしたとき、 その軍隊に所属する将軍は、たぶん誰もが同じ作戦を「定石」として導き出す。 戦争の科学「軍事学」には、「戦術学」という領域があって、士官になる人達は、状況ごとの兵士の動かしかた、 状況判断のやりかたを学校で習う。将軍達は「定石」を共有できているから、 不確実な「戦場」を相手にしているときであっても、そこに集まった人の能力を有効に利用できる。 結核患者さんのこと 以前に一人内科をやっていた病院で、人工呼吸器を付けないといけないぐらい、 具合の悪い結核患者さんを診ていたことがある。 結核はまわりの人に感染するし、本来は結核の専門病院に移すべきなんだけれど、 具合が悪くてそれどころじゃなかった。 人工呼吸器がついていて、部屋も集中治療室だったから「個室隔離」なんて無理。 どうしていいのか分からなかったから、とにかくまわりのベッドを
最近始まったばかりの新番組。まだ見てない。紹介しているblog 「子供の命を守りたい」一心で、勤務していた総合病院を辞めて、 24時間営業の無床クリニックを始めた医師のお話。救急の現場にとっては、悪魔のような主人公。 たぶんこのドラマには実在のモデルがあって、どこかで今でも開業しているはず。 ドラマと同じく、「子供の命を守りたい」とか、そんな理由で開業医になって、24時間外来を開いて、 調子の悪そうな子供は近隣施設に振る。 テレビでは昔、そのクリニックに勤める人達を取材していたはずだけれどそこから「振られる」側の 先生がたが、実際のところどう思っているのか、「後方」がある、外来だけのクリニックと、 後がない救急外来と、人的リソースが限られる中、どうやって共存を続けているのか、是非聞いてみたいなと思う。 優しい外来からの紹介は怖い 24時間営業のクリニックができたところで、その施設で外来から
電子化された文章というのはやっぱりどこか読みずらい。 ちょっと調べるだけならともかく、何かを読んで自分の文章を書くだとか、 まとまった、記述された知識を吸収して、それを自分の仕事に生かすだとか、 得た情報を、道具として利用しようと思ったら、やっぱり製本された本が欠かせない。 電子時代の読書のありかたと、抜き書きの効果について。 読書というコミュニケーション 手で持てること。書き込めること。ページを折れること。 パソコンには、製本された本が持っている、こうした感覚要素がまだ足りない。 ディスプレイに映し出された文字を追っかけるだけの電子媒体と、本を読むという 体験それ自体がイベントになる読書と、パソコンという道具が持つ「帯域」は、 昔ながらの本に比べて、まだまだ狭い。 恐らくは人と本との間には、視覚を含めたいろんな感覚が動員される、一種のコミュニケーションが成立している。 本は人に情報をもた
機関銃が世の中に登場して、それはもちろん極めて効率的な道具だったから、 すぐに戦争で用いられるようになった。 異民族との戦争では、機関銃は、時に100倍もの戦力差を跳ね返す活躍を見せたから、 現場の兵士はその武器を大歓迎して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだという。 兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の部隊だった時代。 戦争教則は、銃剣と騎兵とを最大に生かすように理論が組まれて、磨き上げられた理論を捨てるのは もったいないから、将軍は機関銃を捨てた。 それはたしかに「異民族」との戦いで活躍したかもしれないけれど、「人間同士」の戦いは、 あくまでもライフルと、銃剣突撃とで決着がつくものだから、そこに機関銃の出番はないのだと。 本当の戦争が始まって、ドイツが機関銃を採用して、横一文字に並んだ騎兵、「正しい戦場」での 最強部隊が、機関銃陣地に殺到した
診断学の本を読んでいる。 ベイズ推定が主流になるのか、どの本も、「総論」のところに統計学的な疾患推定のやりかたが解説されている。 「蹄の音を聞いたら馬だと思え。シマウマを探してはいけない」だとか、医師の思い込みだとか、 先入観で診断を行うことを戒めてる。 驚きが追従者を生む 統計的には、感度が高い検査が陽性になったからといって、そもそもの発症頻度が低い病気なら、 その陽性にはあまり意味がないのだという。95% の的中率を誇る検査で「陽性」が でたからといって、普通の人がその疾患にかかる確率が5%でしかないのなら、 「陽性」と言われたその人がその病気である可能性は9%にしか過ぎなくて、 「陽性」の9割は間違えなのだ、なんて紹介される。 新しいやりかたで、今までやってきたことを振り返ると、しばしば全く違った世界が見える。 「先入観」が隠してた何かだとか、自分達が必要以上に恐怖を煽って、あるいは
個人情報の問題が大きすぎるから実現は難しいけれど、 やっぱりいつかは、電子カルテをネットワーク化して、医師同士、あるいは 患者さんが、いろんなカルテを相互に参照できるようになってほしいなと思う。 思考を拡大する道具としてのコンピューター 「知的生産の技術」以降、ジャーナリストであったり研究者であったり、様々な人達が、 情報を整理したり、並べ替えたりするやりかたを工夫しあって、そうした人達は当然のように、 真っ先にコンピューターを取り入れた。 それが書斎に入ってきた当初、コンピューターは、単なる便利な計算機か、 せいぜい「清書」の道具以上のものにはなり得なかった。ハイパーカードだとか、 データベースソフトだとか、たしかにそれが「便利だ」と喧伝されたこともあったけれど、 結局のところ入力があまりにも大変で、昔ながらの「カード」と「システム手帳」に 回帰した人が多かったように思う。 知的生産は、
「知的生産」のブームというのが80年代にあって、 「知的生産の技術」だとか、「スーパー書斎の仕事術」だとか、「超整理法」だとか、 学生だった当時、たくさん読んだ。 京大カードとか、袋ファイルだとか、あるいはそれらを綴じ込むためのシステム手帳だとか、 今までは、ただノートにまとめるだけだった「メモ」というものを、分離、独立、編集、検索可能にするやりかた。 ただそれだけのことが、当時はえらく画期的に思えた。 スーパー書斎の仕事術 当時はまだ新人だった山根一眞がいろいろ工夫して、それを本にまとめてたけれど、 あの人があの頃試した多くのことは、結局のところパソコンに収斂した気がする。 山根一眞自身もまた、早い時期からパソコン通信を取り入れて、 海外のデータベースに電話回線でアクセスするだとか、書斎にいながらにして、 電話回線一本を駆使して人捜しをしてみるだとか、本の中で「ネットワーク」のすごさを紹
人間の体はよくできているけれど、ライフスタイルが変化すれば、やっぱり「設計」は古くなる。 胃を切った人は元気 「メタボ検診」の悪影響で、病院に健康診断の患者さんが大挙して、一時大変だった。 普段病院に来ないような人達をたくさん診察して、「胃を切った人は元気だよね」なんて、 医局で話題になった。 今70歳ぐらいになる人達が若かった頃は、胃潰瘍の治療といったら「手術」だった。 当時はまだ、開業した人達も手術してたから、今だったら薬を飲むだけで済むような人が 片端から手術を受けて、胃を切除された。 胃を切られた人は、食べられないから太れない。やせた人が来て、お腹を見ると手術跡があって、 「これは昔、潰瘍で」なんて教えていただく。診察して、後日血液検査を見ると、みんな正常値。 こんな人が何人か続いた。 サンプルは偏っているし、観察者の主観でしかないから、この事実にはまだなんの意味もないけれど、 「
さて。OGPについてのエントリーを書いたばかりですが。 色々頑張って、このブログのOGPは↓こんな感じになりました。 <meta property="fb:app_id" content="1234567890" /> <meta property="og:type" content="blog"> <meta property="og:description" content="***記事抜粋***"> <meta property="og:title" content="***記事タイトル***"> <meta property="og:url" content="***記事URL***"> <meta property="og:site_name" content="Sunday In The Park"> <meta property="og:image" content="htt
Foursquareは、世界のどこにいても、あなたがきっと気に入るスポットを見つけるお手伝いをします
起動するとオープニング画面になります。 テンキーの2、8 やカーソルキーで、ゲームスタート、ハイスコア画面、 終了等を選択できます。Z、X、スペース等で実行してください。 オープニング画面、 ハイスコア画面ではESC、Q を押すと終了することができます。 ゲーム中はESC、Q を押すことによってポーズをかけることが出来ます。 ポーズ中にQを押せば強制終了できます。その他のキーでゲームに復帰できます。 内容はふつうのシューティングゲームです。 テンキーの2、4、6、8 やカーソルキー等で戦艦ヤマ卜を動かし、Z、X で攻撃です。 ジョイスティックでもok。 画面下部にレーダーがあるのでそれを見てうまく攻撃してください。 ステージは4種類に分かれていて、海面、空面、宇宙面、ボス面があります。 海面と空面では横移動しかできません。 全12面をクリアーするとエンディングが用意されています:-) ある
iPadでメモやノートを集約したい方、必見です! 紙にボールペンでメモを書いているように、iPadでデジタルメモが書けるようになるタッチペン「Adonit Jot Script Evernote Edition」をご紹介します。 このタッチペンがあれば、仕事中にメモ帳とペンを持ち歩かなくてよいです。紙とペンをiPadとタッチペンに持ち変えてしまう、すばらしいタッチペンです。 今までのタッチペンのどれとも違う書き心地です。タッチペンのどれかと比較するよりボールペンの方が近いです。 その書き心地を演出している極細のペン先に注目してみましょう! Jot Scriptで早書きメモを撮っている様子 Jot Scriptが、いかにボールペンのように書けているのか、という様子を動画に撮影しました。 Jot ScriptはEvernoteとコラボしたタッチペンです。デジタルノートの代表であるEvernot
DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中
若者のプロトコル離れが叫ばれて久しいが、最近プロトコルは非常にホットな分野である。 目まぐるしく進化するWebに合わせ、プロトコルの世界も着実に進化している。 今までブラウザでは出来なかった事が出来るようになり、Webサービスをより安全に使えるようになった。 そしてWebのパフォーマンスを大きく改善するためにHTTP2.0も議論されている。 Webを支えるプロトコルとして、大きく分けて3つに分けられるかと思う(私の勝手なイメージ、正確な図ではありません) Webアプリケーション ブラウザが今まで出来なかったことを出来るようにしたり、Webアプリケーションの認証・認可などの機能を提供するプロトコルなど。JSやサーバサイドプログラミングで利用したりする。 WebSocket (http://tools.ietf.org/html/rfc6455) ブラウザとWebサーバの間でソケット通信を行う
「皇国の守護者」という、戦記物の小説を読んだ。 戦記物の常で、主人公は能力があるのに低い地位に甘んじていて、軍隊には、無能な上司があふれてた。 主人公が活躍するたび、「無能な上司」はそれを無視したり、足を引っ張ったり、 あるいは間違った判断を下すことで、主人公を不利な状況に追い詰めたり。 売れた小説というものは、多かれ少なかれ、社会の鏡として機能する。 この小説はずいぶん売れたみたいだから、「不遇な有能」である主人公と、 それを取り巻く「無能な上司」という構図に、自ら置かれている社会を見た人は、 きっと多いのだろうなと思う。 無能な上司のお仕事 小説世界、主人公はもちろん大活躍するわけだけれど、 その舞台を設営するのは、「無能な上司」の大切な仕事。 設営の条件は厳しくて、どうしようもない無能しかいない軍隊を設定してしまうと、 そもそも主人公が活躍するはるか以前の段階で、戦いが終わってしまう
「うちの人が倒れました」なんて救急要請があって、救急隊が現着してみたら心臓停まってて、 救急車に積んである自動式の除細動器をつけてみたら「心室細動」の表示が出て、 すかさず直流除細動のボタンを押したら、患者さんが復活した、なんて事例が、 今年に入ってからすでに3 人目。 救急車に「AED 」 、自動式の直流除細動器が積まれるようになって、今までなら亡くなっていた人が、 ずいぶん助かるようになった。 自動式の除細動器はたしかにすばらしい機械なんだけれど、あの機械のすごさというのは、 「技術的には全然すごくない」ことにつきるのだと思う。 救命救急士の時代 研修した病院は、米国式の心肺蘇生術を広めた草分けみたいなところ。 職員は全員心肺蘇生の手順を覚え得ていたし、必要な機材も、一通り揃ってた。 14万人規模の中規模都市で、市内の救急半分以上受けていて、それだけの「備え」を病院で行いながら、 助か
研修医になりたての頃は、「お菓子の家」に迷い込んだような気分。 検査室は24時間フル稼働してたし、けっこう大きな病院だったから、CTだとかMRIだとか、 民間病院の割には、当時としてはずいぶんいいものが入っていた。 何だって診断できる、何億円もする機械に取り囲まれて、自分がサインするだけで、 どんな機械だって稼働可能だったのに、 研修医には、それを勝手に使うことは許されなかった。 正しいやりかたの正しさ 習ったのは、正しいやりかた。 ほめられた振る舞いは、患者さんの話を聞くこと。何度も診察して、 いろんな場所の培養を取ること。顕微鏡を覗くこと。血液培養を提出すること。 目的も決めないで血液検査を提出するとか、とりあえず肺のCTスキャンをオーダーしてみるとか、 勝手にやるとすごく怒られた。 「治癒につながらないことは、やっても意味がない」だとか、 「君のそのオーダーは、何か患者さんの予後を変
最近読んだ診断学の教科書は、診療という行為を「カードゲーム」に例えていた。 そこに記述されていることは、たしかに正論ではあるのだけれど、全く共感出来なかった。 診療という行為を、自分はむしろ、「鬼ごっこ」だと考えているから。 追い越す感覚 普段から「病気を追い越す」感覚を目標に、診療計画を立てている。 症状の原因だとか、あるいは病名が「これ」とはっきりしているときならかまわないのだけれど、 よく分からない症状の人を相手にしているときは、そこで立ち止まることが、すごくおっかない。 病気と競争をしているというか、暗闇の中で、お互いに鬼ごっこをしているような気分。 自分たち医療者側の目標は、病気を「追い越す」ことで、なんというか、 病気が行き着くであろう場所に先回りして、病気が予想していた以上に「重たい」治療を繰り出して、 相手が壁にぶつかって、乗り越えられなかったらこちらの勝ち、というルール。
勤勉さとか、専門家とか、成果主義とか。 有能さ 細胞にとっての「有能」「無能」というものは、分化度に相当する。「有能である」ことは、すなわち「それ以外のものになれない」ということを、必然的に意味する。だから何にでもなれるES細胞は、それ単体ではもっとも無能な細胞だし、思考の一翼を担う神経細胞、外敵から身を守る皮膚や白血球、全ては専門家であって、一度専門家になった細胞は、他の細胞に変化することは、原則出来ない 「本来そこにいる能力を持たない人がそこにいる」ことは、人体でもときどき起こる。胃の粘膜内に腸の粘膜が生えてくる「腸上皮化生」とか、脾臓がいくつかに分かれて、他の場所に生えてくるとか。もちろんそんな細胞は、全くの役立たずであったり、時には潰瘍の原因になったりして、必然的に弱点となる。ミスマッチが「思わぬ長所」を発揮することは、生体ではまずありえない 勤勉さと発癌 細胞にとっての「勤勉さ」
blog とかニュースサイトにおける「成功」について。 大手ニュースサイトを管理している方が、「私をニュースサイト管理人のプロトタイプと考えるのは間違い。 私は特殊すぎる」なんてことを書いておられた。 アクセス数の多いサイトを管理している人は、たぶんほとんどが同じような感想を、 自分はたまたま上手くいったケースであって、成功すべくして成功したわけではないなんて、 そんな感想を持っているような気がする。 他人から見ると王道を歩いて成功したように見える人は、案外自分を「特殊解」だと思ってる。 平凡だけれど真似出来ない 自分が普段見に行くような、誰もが名前を知っているような大手サイトは、 それが経済社会系にせよ、アニメやら、ライトノベルの情報サイトにせよ、 どこも案外「フラット」な、一見平凡な文章を書く人が多い。 言葉の使い方が面白いだとか、毒舌の形容が面白かったりだとか、 いかにも「この人」が
形が機能を支配する 待合室に座っている患者さん達が、携帯ゲーム機で遊んでた。 大人も子供も、イヤホンつけて、膝の上にゲーム機抱えて、みんな同じ格好をしてた。 そこで行われているのはゲームだけれど、ある意味その姿は、未来の風景の先取りなんだと思った。 形から入るやりかた 何か新しい物を広めようと考えたときに、「形から入る」やりかたのほうが、正解に近いのだと思う。 機能は十分だけれど不格好な製品をまず出して、それを改良するやりかたと、 機能はまだ不完全もいいところだけれど、形だけは、デザイナーが描いた「未来」になっている製品をまず作り上げて、 機能はあとから作り込んでいくやりかたとがある。 技術者のコミュニティに受け入れられて、新製品に最初に飛びつく人達が未来を感じるのは、 たぶん十分な機能が実装された不格好な製品なんだろうけれど、最終的に広まって、 未来の日常の中で、風景として認知されるのは
訴訟や摘発が怖いくせに社会派気取るのは良くないと思うんですよね。 秘密保護法の思わぬ余波… 「ブロガーも処罰対象?」で時事評論「断筆」相次ぐ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131230/crm13123012010011-n1.htm 記事中にある「響堂雪乃」とか「陽光堂主人」など、知らないんですけど。 ガセネタ流して盛大に祭り上げられた上杉隆さんならともかく、ネットに文字流すことを活動としている人が、日本社会にとって真に大事なことだと思った内容を「処罰されるかもしれないから」と日和って断筆するならその程度の話だったということじゃないでしょうか。 ただ、いろいろ問題意識を持って話を聞きにいった先が、国会議員や秘書や公務員やOBだったりすると、書いている私だけではなく先方にも迷惑がかかることもあるでしょうから、それはそれで配慮することはあるのかも
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く