■ 西郷隆盛は、西欧列強の帝国主義の論理を「野蛮」と評した。だから、明治以来日本の歩みは、その「野蛮」の沙汰に加わった歳月である。 歴史の「イフ」を考えてみる。 もし、清朝末期の中国や李朝末期の朝鮮が、その植民地獲得競争に乗り出せるだけの国力の裏づけを持っていたならば、彼らは、その競争の論理に加わったのであろうか。それとも、「われれは、東洋道義の国であるから、そのようなことはしない」と応じたのであろうか。 これを考えてみることは、大事なことである。 案外、チベットや竹島の扱いを見れば、中国も朝鮮も、殖民地獲得競争に加わった可能性が高い。少なくとも、雪斎は、「敢えてしなかった」根拠を探すことのほうが難しいだろうと思っている、 田母神空将の論稿に垣間見られるように、日本の過去に「過誤はなかった」と弁じたがる神経は、どうも理解できない。19世紀国際政治の常識に則れば、それを可能とする「力の裏付け