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ブックマーク / zilge.blogspot.com (1)

  • ボスニア('96)   スルジャン・ドラゴエヴィッチ

    こんな最悪の状況下で、一人のカリスマ的指導者が出現した。名ヨシップ・ブロズ。 後に、「チトー元帥」と称されるコミュニストである。 父親がクロアチア人である彼は、若くして激烈な活動家であり、ユーゴスラビア共産党員でもあった。 そんな男が連合軍の支援もあって、ドイツ占領下の母国で反独パルチザンを組織し、甚大な被害を蒙ったものの、第二次大戦後にユーゴを解放したという史実は良く知られている。 当然の如く、チトーは戦後ユーゴの支配権を握り、その圧倒的な求心力によって、連邦国家の国家内の質的な矛盾を稀薄化させたのである。 彼は連邦内の共和国の自主性を守り、ソ連と決別したその独自の社会主義的政策に於いても、一定の経済的成功を生み出した。 まさに、「チトーの国家」としてのユーゴスラビアだったが、1980年の彼の死によって、カリスマ性が剥奪された連邦国家の矛盾が噴出したのは、蓋(けだ)し必然的だった。

    ボスニア('96)   スルジャン・ドラゴエヴィッチ
    ashigaru
    ashigaru 2014/07/23
    いや、スルジャン・ドラゴエヴィッチの「ボスニア(Lepa sela lepo gore、美しい村は美しく燃え上がる)」(1996)はいい映画ですよ
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