野田岩(のだいわ)は東京都港区東麻布にある老舗鰻料理店。 歴史[編集] 初代岩次郎が麻布田島町にあった当時の有名鰻店狐鰻で修行し、寛政年間現在地の飯倉四丁目に独立して野田屋を立ち上げた。周辺の武家地を商圏として仕出しを行い、また赤羽橋を隔てて赤羽にあった水天宮の参拝客でも賑わった。 一・二代目と店の繁栄を続け、明治9年(1876年)『東都食通番附』では三番目に列せられる。しかしながら、明治4年(1871年)水天宮は赤坂に移転して賑いも薄れ、三代目が放蕩気味だったことでやや衰退した。四代目金本勝次郎は職人気質で、昭和20年(1945年)の東京大空襲での被害、戦後の混乱を乗り越え暖簾を守った。 昭和32年(1957年)、長男兼次郎が五代目を継いだ。戦後天然鰻の入手が困難になり、店を度々閉めざるを得なくなったため、養殖鰻の導入を決断した。更に下北沢、銀座や百貨店に進出して多店舗展開を進め、真空パ
眺めの良い二階座敷で書画を鑑賞する人々。奥の若衆が亀の図を掲げ、扇を持った男が熱心に見つめています。賛の入った絵を広げる男や、墨竹が描かれた扇を手にする女性の姿も見えます。床の緋毛氈に筆を洗うための大鉢や絵具皿、筆が置かれているので、今まさに書画会の真っ最中であることが分かります。書画会とは有名な絵師や書家が客の前で即興的に作品を制作するイベントのことで、気に入った作品をその場で購入することもできました。 本作は江戸の有名な料理屋を取り上げたシリーズのうちの1図で、両国柳橋にあった河内屋を描いています。眼下に隅田川を臨むこの店は貸座敷としても利用され、書画会や落語会などがしばしば行われました。書画会で作られた作品は部屋のなかに飾られ、即席の展覧会のようになったそうですが、本図左の障子上に貼られた紙を見てみると、書画ではなく、なぜか当時人気のあった白粉「仙女香」の文字が…。この白粉、正式な商
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