「敦賀での日々を生涯大切に心に抱いていました」。第2次世界大戦中、ナチスの迫害から福井県の港町・敦賀へ逃れてきたユダヤ人難民と家族から寄せられたメッセージが「人道の港 敦賀ムゼウム」のモニターに映る。古くは北前船が入港し、明治以降は国際貿易港として栄えた港の一角に施設はある。 「ムゼウムとは、ポーランド語で資料館を意味するんです」と西川明徳館長(51)。大正時代にロシア革命などの混乱で敦賀に逃れたポーランド孤児をはじめ、大戦中のリトアニアでユダヤ人難民に「命のビザ」を発給した外交官杉原千畝(ちうね)など、敦賀の歴史を伝える資料を展示している。「世界に開かれた港町の姿を紹介しながら、平和について考える。そんな施設を目指しています」 ドイツ・ブンデスリーガで活躍する奥寺康彦さんに熱狂したのが、欧州や国際分野に興味を持ったきっかけ。大学でドイツ言語学を学び、同国へ留学した。現地の友人とダッハウ強